魂鎮め | ナノ

魂鎮め


「さっきから、笛の音が聞こえるね」
 弁当を食べていた桜が突然、窓の向こうに視線を向けて言った。ミホとリカは昨夜のテレビ番組に関するお喋りをはたとやめる。ミホは不思議そうな顔をして桜の視線の先にあるものを追い、リカは箸先をくわえたまま首を傾げて桜を見遣った。
「笛の音?」
「うん。吹奏楽部の誰かが吹いてるのかな?すごく心が休まる感じの音」
「……リカちゃん、聞こえる?」
 ミホがリカに視線を向けて、僅かに眉をひそめながら問う。リカは玉子焼きを口に運びながら、首を横に振った。その二人の反応で、自分に聞こえている笛の音が常人には聞こえない霊音であることを悟った桜は、場をとりなすように椅子を少し大袈裟に引いて立ち上がった。
「私、ちょっと用事思い出しちゃった」
「えー?でも、桜ちゃんまだお弁当食べ終わってないんじゃない?」
 突然席を立った友人にミホとリカは揃って目を丸めた。
「すぐ戻ってくるよ。じゃあ、また後でね」
 霊視の力を持たない二人にとって、霊に関する数奇譚は恐怖心を煽るものにほかならない。そのため桜は常日頃から、おかしなことを言って二人を怖がらせることのないようにと気を配っていた。
 二人の様子を見るからに、どうやら笛の音のことから二人の意識を逸らすことができたらしい。安堵を覚えながら、桜は二人に手を振ると、休憩時間でざわつく廊下を小走りに駆けていった。

 笛の音は屋上が出処だとあたりをつけていた桜は、その足で真っ直ぐに目的地へと向かった。階段を上っていくごとに、朧気だった旋律は明瞭になっていく。
 階段を天辺まで上り詰めた桜は、屋外に出る扉を開けた。凍てつくような冬風が隙間から一瞬ごうっと吹きこぼれて、僅かに身震いする。その風音を追い掛けるように、安らかな音色が桜の耳元をそっと撫でていった。
 目前にひろがった外の景色は、一面が清らかな白色で覆われていた。冴え渡った天空から小雪が降っている。辺りは寒波のためか霧にうっすらと覆われ、遠くの景色は曇ったガラス窓の向こう側を覗いたかのように曖昧だった。
「……真宮桜?」
 薄霧の中でひとりの少年が立ち上がり、そう呼んだ。白一色の世界に紅一点、寒椿のような赤がにじむ。彼が声を発したと同時に、笛の音はぴたりと止んだ。
「なにやってんだ?こんなところで」
「六道くんこそ、こんなに寒い中なにしてるの?」
 桜は悴む手をこすり合わせながら、たった今自分を呼んだ同級生のもとへ小走りに駆け寄り、質問返しをした。彼はいつもの黒ジャージに黄泉の羽織を重ね着し、以前桜から貰ったマフラーを首元に巻いているが、それでも寒そうにぷるぷると全身を震わせている。
「俺は、ちょっと死神界(むこう)から知り合いが来ていたから」
「知り合い?」
「ああ。見えるか?あそこにいる、あいつだ」
 りんねが振り返って指差した方角に、桜は視線を向けた。薄霧のなか、胡座をかいた格好のまま宙を漂う青年がいた。長い黒髪を高い位置で一括りにして、瑠璃色の衣を纏い、耳飾や首飾りを二、三ほど重ねてつけている。怜悧な面差しに雅びな風体がよく映えた。
 黒漆塗りの篠笛を、つい今しがたまで吹いていたかのように横に構えたまま、青年は桜を興味深げにじっと見つめていた。その笛をみとめて、彼女はあっと小さく声を上げる。
「私、笛の音が聞こえてきたの。それで気になってここに来たんだけど…」
「お前、私の笛の音が聞こえるのか?」
 驚きを湛えた青年の問い掛けが、桜の言葉を遮った。桜が小さく頷くと、りんねは解釈をするために一歩歩み出る。
「彼女には霊が見えるんだ。だから、お前の魂鎮めの笛の音も聞こえたんだろう」
「なるほどな」
「……魂鎮めの笛?」
 聞き慣れない言葉に桜はほんの少し首をかしげた。りんねは彼女を振り返って、親切に説明を与えてやることにする。
「あいつが持っているあの笛は、魂を鎮めるためのものなんだ。この辺を漂っている霧は全て、あの笛から出る音色を求めてここに集まって来た魂たちの塊だそうだ」
「え?そうなの」
 桜は立ち篭める霧をきょろきょろと見渡しながら言った。本人は充分驚いているのだが、傍から聞いているとあまり驚いていないかのような声だった。
 その反応が可笑しかったのか、青年はくすくすと笑いながら地に足をついた。音を立てずに桜へと歩み寄っていく。 
「私の名は吉柳。古えの時代から続く、奏者の家系の末裔だ」
「奏者?魂鎮めの笛の奏者、ですか?」
「そうだ。私の一族は死神ではないが、代々死神界に住まわっている。りんねとは人間界(こちら)に来る折に、時々会っているんだ。……それで、お前の名は?」
「ああ…私は真宮桜です。六道くんとはクラスメートで…」
 ね?と、同意を求めるように桜はりんねを見た。マフラーに鼻先まで顔をうずめたりんねは一瞬、ほんの一瞬だけ、不服そうに眉を微かに顰めたが、目敏い吉柳はそれを見逃さなかった。

「ふーん」
 突然、桜との距離をぐっと縮めると、吉柳は腰元に手を当ててじろじろと桜の顔を観察し出した。
「なるほど。慎ましやかな相が出ているな」
「……」
 りんねは途端に小難しい顔になった。品定めするかのように彼女を眺め回している吉柳を、諌めるように横目で軽く睨む。
「人間の小娘など酔狂なことだと思ったが…改めよう。りんね、お前いい女子をつかまえたな。親父に似ず色事に関してはいつも涼しい顔をしていたくせに、なかなか隅におけん奴だ」
 鼻先が触れそうなほど近づいても顔色一つ変えない桜に、吉柳は不敵に微笑んだ。海のように深い瑠璃色の瞳が好ましげに細められると、
「そんな野暮ったい言い方はよせ。それに、いい加減彼女から離れろ。困っているだろう」
 渋柿を食ったような苦々しい表情でりんねは言った。実際のところ桜は相変わらずの無表情で何を考えているか読めなかったが、不躾な吉柳の態度のせいできっと不快感を抱かせているに違いない。そう思うと、りんねは気が立って仕方がなかった。
 なによりも、あれだけ距離を縮められても桜が嫌悪を微塵も表さないことが、彼は癪にさわった。なぜ距離を置かない。嫌じゃないのか。こんな、ずかずかと土足で人の領域に入ってくるような男。
 苛立ちの矛先はそのまま吉柳へと向けられた。さっさと離れろ。馴れ馴れしく彼女に近寄るな。心の中で毒づきながら、不機嫌オーラを丸出しに睨み付ける。
「りんね、お前は死神だろう?彷徨える魂を鎮めるべき死神が、己の魂を荒らげてどうする」
 肩を揺らして笑いながら、吉柳は言った。もっともな指摘に、りんねはうっと言葉に詰まる。そんな彼を一瞥し、桜までもが思わず無表情を崩してくすっと笑いをこぼした。
 こうなると、二人が水面下で共謀して、自分をおちょくっているのではないかとすら思えてくる。これ以上吉柳に自分をいじる口実を与えないようにと、りんねは努めて無表情を保とうとした。しかし、吉柳が再び笛に口を付けて、魂鎮めの旋律を奏で始めたとき、その曲調が「さくらさくら」であることに気付くと、眉をぴくっと攣らせた。
 安らかな旋律が空気を震わせる。自分の名が付けられた曲によって、霧が少しずつ散り散りになって晴れてゆくのを、桜は感慨深そうに見つめていた。安寧なる響きによって鎮められた魂たちは、安息を求めて在るべき場所へと旅立ってゆく。
「桜、と言ったな。りんねのような朴念仁を相手にしていたら、いずれきっと飽きが来るだろう。……その時はいつでも私の元へ来るといい」
 曲を奏し終えた吉柳が、蠱惑的な微笑を口元に湛えて囁いた。はらはらするりんねが見守る中、桜は穏やかな微笑みを浮かべながら、
「考えておきます」
 とだけ言った。

 その言葉が冗談なのか本気なのか判断がつかず、憐れな死神の少年は、煩雑する思考と鎮まらない魂とを鬱々と抱えながら、長い一夜を明かしたという。





end.


back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -