泥中の蓮 | ナノ






泥中の蓮



「清く、正しく、美しく」
 それが死神中学校の校訓だった。巣立っていく生徒達が、やがて真っ当で清廉な死神となって、救いを求める多くの霊を導くことができるように。そんな死神界の願いが、この校訓には込められている。
「きみはあの校訓を覚えているか?」
 架印にそう問い掛けられた時、れんげは咄嗟には是と返すことが出来なかった。あの世縁日の賑わいの中で、偶然遭遇した彼。向かい合う出店と出店の間を二人並んで歩きながらも、今は記死神の任務の最中なのだろう、辺りを見渡す架印の目付きは険しい。きっと、堕魔死神摘発の足掛かりとなるものを探っているに違いない。
 今、この時に、何故そんな質問をするのか。彼の真意が読めずに、れんげは冷や汗を流す。まさか、隣を歩いている者こそが忌むべき堕魔死神であると、気付いてしまったのか。
 探るようなれんげの視線を横顔に受けながら、架印はなおも周囲に目を光らせている。
「覚えてます。――清く、正しく、美しく、ですよね」
 仕方なくれんげは答えた。架印がようやく彼女に視線を移した。
「そうだ。覚えていたんだな、安心した」
 安心した、とはどういう意味だろう。彼の言葉尻がいちいち気に掛かる。思いがけず姿を見付けた時の喜びはとうに失せていた。嫌な予感ばかりが増幅して、れんげは思わず顔を強張らせる。
「ところで架印先輩、今日はどんな用事でここに?」
 何気ない調子を繕って問い掛ける。一瞬、架印の目に動揺の色が過ったのを、れんげは見逃さなかった。
「――堕魔死神摘発の手掛かりでも掴んだんですか?」
 内心の動揺を抑えながらカマを掛けてみる。案の定、彼は目を見開き、息をのんだ。
「その通りだ。……今日、この時間に、この辺りで、堕魔死神の会合があるとの情報が入った」
 れんげは死神のカマを強く握り締めた。やはりそうか。命数管理局に秘密会合の情報が漏れていたのだ。
「――れんげ、きみこそ何故ここにいる?」
 架印が戸惑ったように聞いてきた。勘のいい彼のことだ、彼女を疑わしく思っての問い掛けに違いない。
 いけないと分かっていながらも、れんげは思わず顔を背ける。
 ――清く、正しく、美しく。
 ――その教えを、きみは覚えているか。
 もしかして彼はとうに全てを知っていたのではないか。全てを知ったうえで、彼女の罪を追及しているのではないか。
 いつまでも正であり続けようとする架印は、悪に染まりつつあるれんげにはあまりにも眩し過ぎた。それはまるで、朝の僅かな時間にしか咲けない蓮の花が、太陽を避けるようにして花を閉じるのに似ていた。
 名は人を表すというのはその通りかもしれない。
 これからもこうして、堕魔死神であり続けるかぎり、私は架印先輩を直視できずに生きていくのか――。
 れんげは絶望的な思いに打ち拉がれた。
「もちろん、きみも堕魔死神を捕まえにきたんだろう?」
 沈黙に耐え切れなくなったように、架印が畳み掛けた。そうであることを是が非でも信じたい、とばかりの明るい声音だった。
 渡りに船とばかりに、れんげは頷く。安堵したように、胸を撫で下ろしながら架印も頷く。
「そうだろうと思った。れんげ、あの頃からきみは、誰よりも清く、正しく、美しい死神だったから……」
 思いを馳せるように、架印の眼差しが和らいだ。
「初めてきみを見た時、ぼくはきみに親近感を覚えたよ。ぼくたちは境遇が似ているからね。
 ――きみと生徒会で過ごした日々は、本当に充実していた」
 れんげは胸を衝かれる思いがした。彼女とて、憧れの彼と過ごしたあの日々は、決して忘れられるものではなかった。
「きみには『れんげ』という名がよく似合う。ぼくがよくそう言っていたのを、覚えているか?」
 あの頃と同じ優しい声だった。れんげは、鼻の奥がつんと痺れた。
「蓮華は泥の中から生じる花だ。それでも真っすぐに伸びて、水の上に清らかな花を咲かせる――」
 架印はれんげの肩にそっと手を置いた。蓮の浮かぶ水面のように穏やかな眼差しで彼女を見下ろす。
「れんげ。どうかいつまでも、その名に相応しい死神であってくれ」
「架印先輩……」
「清く、正しく、美しくあってほしい。誰あろう、きみには」
 れんげはあえかな微笑を浮かべて頷いた。架印の声は優しくて静かで、だからこそより一層彼女の心を掻き乱した。
 彼の好んだ蓮華の花が、とうに泥の中に沈んでしまったことを知ったら、一体どんな顔をするのだろう。
 それでも彼は、その花を、清らかで美しいと言ってくれるだろうか。





end.


(架れん)




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