運否天賦 | ナノ

運否天賦




「どうやら、また私の勝ちのようだね」
 龍宮城の主は、我が意得たりとばかりに微笑んだ。
 目線の先には、不服そうに唇を尖らせる妻がいる。
 この夫婦、今日は二人とも休日なので、特にやることもなく、寝起きの格好のまま、寝台の上で、朝からこうして双六遊びに興じていたのだった。
「ハクったら、なんでそんなに強いの!?」
 現在五連敗中の千尋が、連勝を重ねるハクを疑わしそうに見やった。透き通った瑠璃と玻璃の賽子を掌中でもてあそびながら、彼はくすくす笑う。
「偶然だよ。今日はきっと、天運が私に向いているのではないかな?」
「天運ー?ハクにばっかりずるい……」
 不公平だと言わんばかりに、千尋は双六盤を睨み付ける。螺鈿で龍と月と青海波の細工が施された美しい双六盤だ。ハクの馴染みの龍神が、二人の結婚祝いに贈ってくれた品だった。
「運は天まかせ、なんて言うけど、本当はイカサマしてるんじゃないの?」
 千尋は身を乗り出してハクの目をじっと見つめた。ハクはしばらく彼女を見つめ返していたが、やがて何かに引き付けられたように、視線を下へ下へと落とした。
「――ほら、目逸らした!図星だからやましいんでしょ?」
「まさか。イカサマなどしてないよ、私は」
 早とちりして勝ち誇ったようになる千尋に、ハクはある一点を凝視したまま告げる。
「それより千尋。……そなたはこの私を誘っているのかな?」
「え?」
 千尋は彼の視線を追うように、自分の胸元を見下ろした。夜着の合わせ目が大きく開いて素肌があらわになっている。思わず顔を赤くした。
「見ないでよ、ハクのスケベ!」
 素早く後ろを向いて、千尋は自分を抱き締めた。背後でハクがこれ見よがしに溜息をつくのが聞こえた。
「やれやれ、私の妻はどこまでもつれない。遊びに勝てばイカサマと疑われ、誘いに乗ろうとすれば拒まれる……」
「さ、誘ってなんかないってば!」
 上ずった声で千尋は否定した。立てた片膝に顎を乗せて、ハクは物欲しげな眼差しを彼女の背に送る。
「こっちを向いておくれ、千尋」
「……」
「千尋」
「……いや。ハクなんか嫌い」
「嫌い?……それはあんまりだ」
 ハクはいじけたようだった。寝台の上にうつ伏せになったかと思うと、ふかふかの枕に顔を埋めて、そのまま微動だにしなくなった。
「拗ねたふりしたって、駄目なんだから」
 千尋は唇を尖らせた。その背後で、ハクはそろそろと身を起こし、音を立てずに千尋に近付くと、夜着の襟首と素肌の間にできた隙間に、二つの賽子をぽとりと落としてみせた。
「きゃっ!?」
 突然、背中に冷たいものが転がり落ちていくのを感じて、千尋は大きく身を竦ませた。
「ああ、うっかり賽子を落としてしまったようだ」
 振り返り見れば、小首を傾げて白々しく微笑むハクがいる。その美しい顔のなんと小憎らしいことか。
「うっかりじゃなくて、わざと落としたんでしょっ」
 怒った千尋が拳を振り上げる。彼はその手首を掴み取って、後ろへ押し倒した。雲のように柔らかなしとねに、二人の身体が折り重なるようにして埋もれる。
「夜着をお脱ぎ、千尋」
 蜜を含ませたように甘い声でハクは囁いた。
「そうしたら、賽子をとってあげる」
 千尋は耳まで真っ赤に染め上げながら、首を横に振る。
「い、いいよ、自分でとるから!」
「遠慮することはない。……なんなら私が脱がせてあげようか」
 長い髪を肩口からこぼしながら、ハクは千尋の耳元に唇を寄せた。恥ずかしさのあまり、千尋は眩暈を起こしそうになる。けれどそんなことなどお構いなしに、彼の手は千尋の腰帯を解きにかかるのだった。
「さて、どうすれば機嫌を直してくれるかな?」
 ふふ、と吐息をこぼしてハクは笑った。
 これで仲直りできるかどうか。これまた双六と同じで、運は天まかせ。
 千尋の夜着から、二つの賽子が軽快な音を立てて転げ落ちた。





end.
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