夜想 | ナノ

夜想


 ベランダの窓を開けると、夜風が心地よかった。がらんとした部屋に、月の光が冴え冴えと射し込んでくる。窓辺で背伸びする人影が、そこだけ刳り貫かれたかのように、何もない床の上に細長く伸びた。
「――藤沢先生、どんな様子ですか?」
 壁ぎわで蹲っていた直が、すかさず膝の間から顔を上げて尋ねた。
「今夜も一睡もしないつもりらしいよ。さっきから、同じ場所に座ったまま微動だにしないからな」
 くく、と秋山は喉の奥で笑いを押し殺した。隣の家を見下ろしながら、至極愉快そうに目を細める。
「余程不安なんだろうよ。家の中に隠した二億円のことが――」
 事実、秋山はこのゲームを楽しんでいた。藤沢という対戦相手は、実に分かりやすくて単純な人間だ。彼の心理を読むことも、撹乱することも、欺くことも、秋山にとってはいとも容易いことだった。
 何もかもが秋山の描くシナリオ通りに進んでいた。彼には、神崎直を勝たせる絶対の自信があった。所詮藤沢は、秋山の掌で踊らされているだけなのだ。勝敗が決まり、敗北を思い知るその時まで、不様に踊らされ続けるだろう。
 ――他人を陥れて自分だけ得をしようとする。そんな人間は、仕返しをされて当然だ。地の底まで落ちるがいい。
 復讐の味を噛み締め、秋山は酷薄な微笑みを浮かべた。
 けれど、当のプレーヤーの直は、どこか浮かない顔をしている。
「……大丈夫かな、藤沢先生」
 その呟きを、秋山は聞き逃さなかった。眉根を寄せて、直を見下ろす。
「藤沢は君に一億の借金を負わせようとしているんだぞ。そんな奴に、哀れみや情けをかけてやる必要はない」
「そうかもしれないですけど……」
 直の言葉はどうも歯切れが悪い。
「心配です。――藤沢先生、すごく追い詰められてるみたいだから」
 煙草に火をつけながら、秋山は聞こえないふりをした。
 藤沢の精神を極限状態に追い込むことは、作戦の要なのだ。追い詰められているに決まっているではないか。彼がそう目論んで策を講じているのだから。
 それに、これは双方合意のゲームだ。個人的な感情など捨てて、割り切ってしまえばいいものを――。
 秋山は煙草の紫煙をくゆらせながら言った。
「そろそろ見張り交替の時間だ。――いいのか?帰らなくて」
 返事がなかった。視線を落としてみて、秋山は微かに笑う。壁ぎわで身体を丸めて、直は静かな寝息を立てていた。
 一人で戦うには心許ないか弱き戦士。けれど彼がてこ入れするなら、二人手を取り合ったなら、きっと勝たせてやれるだろう。
「心配するな。――神崎直、お前は負けない」
 頭に手を乗せてやる。彼女の口元が少しだけゆるんだ。
 秋山の眼差しも心なしかやわらいだ。





end.


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