死神 | ナノ

死神


 夜空に金色の三日月がかかっている。いっそう深まっていく夜のなかで、それだけが唯一、眠れる街にやわらかな光を落としていた。
 細く開いたカーテンの向こうに浮かぶその三日月を、死神の少年はかすかに目を細めながら見上げている。
 月が少しずつふくらんでいき、やがてきれいな円を描く。それが今度はしぼんでいって、無に帰る。果てしなく再生と消滅を繰り返す月。人はそれに自分達の姿を重ね、時に驕り、時に悲しんだ。
 この少年も例外なく、満ち欠けを続ける月にみずからを照らし合わせている。自分の抱く恋心はまるで月のようだった。諦めがついたかと思えば、またふくれあがっていく。その繰り返しできりがない。この恋に果たして出口はあるのだろうか。とりとめもなく、そんなことを考えてみる。
 穏やかな沈黙が、ふいに途切れた。
「そろそろ、名前を教えてくれてもいいんじゃない?」
 柔らかいベッドに座って足をぶらぶらさせながら、少女は言った。ベッドから数歩の位置にたたずんでいる彼が、理由を問いたげに首を傾げる。
「名前じゃないと、呼びづらいし。それに……」
 少女は上目遣いに彼を見上げた。
「なんか、寂しいよ。こんなふうに毎晩会ってるのに、あなたの名前すら知らないなんて」
 羽織の袖に両手を差し入れたまま、少年は視線を落とした。寂しいのは彼とて同じだった。自業自得とはいえ、三年間も一緒に過ごしてきた彼女が、少年をまったく知らない人としか見ていない。彼の名前すらも忘れてしまっている。
 少し迷った末に、少年は告げた。
 ――俺は死神。
 少女が息をのむ。
「あなたが死神。じゃあ、私、死ぬの?」
 少年は慌てて首を振った。とんでもない。
 けれど彼女は不安げな表情を拭い去れずにいるようだった。
「だって、じゃあなんで死神が私の部屋に来るの?」
 うっ、と少年は言葉に詰まった。後退りし始める彼を見て、怪しい、と少女が眉をひそめる。
「……私に何か隠してるでしょ?死神さん」
 それはもう、隠しごとだらけだ。
 結局その夜は、気まずい雰囲気のままお別れすることになった。


 そろりそろりと、足音を忍ばせて寝床にもぐりこもうとしたりんねを、背後から声がひきとめた。
「――こんな夜更けに、一体どこに行ってたのかしら?」
 彼は驚きに肩を揺らした。おそるおそる振り返ると、暗闇のなか、寝間着に肩掛けをした祖母魂子が、開けた障子に寄り掛かっている姿が浮かび上がった。
「おばあちゃん、お、起きていたのか」
 冷や汗を流してどもるりんね。そんな孫を、魂子は両手を袖に差し入れて面白そうに眺めている。『おばあちゃん』と呼ばれた憤りすらも、今は感じていないようだ。
「りんね。あなた、人間界に行っていたのね?……まあ、今日に始まったことじゃないけど」
「……」
「むやみに人間と関わってはいけない。あの掟のことを、忘れたの?」
「いや、べつに忘れたわけでは……」
 困ったようにりんねは口ごもる。そしてそのまま口を割ろうとしないので、魂子はいきなり核心をつくことにした。
「桜ちゃんに会いに行ってたんでしょう」
「……!」
「あの子に催眠術をかけたのは他でもないあなたよ、りんね。……なのに、今だに未練があるの?」
 りんねは反射的に反論しようと口を開きかけたが、すぐに閉じた。彼女の言葉はもっともであり、反論の余地がなかった。降参したように、肩をがっくりと落とす。
 遠くで輪廻の輪が回る音がしている。
 その音が何周分聞こえただろう。長い沈黙の末、彼は胸元をつかみながら打ち明けた。
「わかっているんだ。こんなの自分勝手だって。死神になることを選んだのは俺、彼女と離れることを決めたのも俺。これ以上、俺の勝手で彼女を振り回してはいけない。……そう思ってる」
 魂子がうなずいた。りんねは、闇のなかのどこか遠くを見ていた。
「――死神と人間では生きる世界が違う。最初は自分にそう言い聞かせてた。このまま彼女がいなくても大丈夫だって考えようとした。でも、実際は一ヵ月ももたなかったんだ……。笑えるだろう」
 額にこぶしをあて、自嘲気味にりんねは笑う。
「会いに行って、ほんの少し寝顔を見ているだけのつもりが、気づけば一晩中居座ってしまった。……そうやって、いつのまにかもう何日も、何週間も、何ヵ月も。今日こそ最後にしよう、今日こそは――そう思うのに。自分でももう自分を止められないんだ、どうしても会いに行きたくて。
 もう、寝ても覚めても、忘れられないんだ……真宮桜のことが」
 りんねが必死に訴える。そんな姿を、魂子は微笑ましく思った。この孫が、こんなにもくるおしく誰かに恋をするようになるとは――。
「血は争えないものね」
 彼女は懐かしい過去を回想しながら微笑んだ。
「ねえ、りんね。私は思うのよ。死神だろうが人間だろうが、そんなの恋に落ちたら関係ないって」
 過去を通して現在を見ている魂子の目が、優しく細められる。
「死神だからだめとか、人間だからいいとか、そんなの屁理屈だわ。いい?恋に理屈なんていらないの。だからくだらない掟なんて、目を瞑りなさい。そんなもの、蹴散らしちゃいなさい。
 本当にあの子のことが好きなら、半端な気持ちでいてはだめ。いつか引き返そうと思っているようじゃ、まだまだ覚悟が足りないわ。――いざという時は、死神界に背を向けるくらいの覚悟を持たなくちゃ」
 りんねは唇を震わせた。
「……いいのか、死神が人間を思っても」
「あら。恋をするのに、誰かの許可がいるかしら?」
 魂子がおどけたように言う。
「くだらない心配なんてしてないで、あの子を振り向かせる方法を考えるのね。時は待ってくれないわよ?あんなに可愛い子を、現世の男の子達がいつまでも放っておくはずがないわ」
 りんねの顔がにわかに青ざめた。なんて表情だろう。魂子は吹き出した。
「あら、いやだ。余裕がないのねえ」
「し、しかたないだろう!」





end.


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