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下氷人


「ところで、りんねは元気にしている?」
 湯呑み茶碗のなかみをふうっと吹いて、魂子は自分の元契約黒猫を見やった。
 茶請けに出された羊羹をほおばりながら、六文はうなずく。
「お元気ですよ。寒くなって、ちょっとまいってますけど」
「コタツはあるって聞いたわ。でも確かあの部屋、電気が通ってないんでしょう?」
「そうなんですよ。おまけにヒーターもないし」
 羊羹を温かい煎茶で喉の奥に流し込んで、六文は溜息をついた。
「寒すぎてローソクの火さえ凍るようですよ。ぼく、朝起きたら自分が冷凍食品みたいになってるんじゃないかって、寝る時いつもハラハラしてるんですから」
 魂子は受け皿に湯呑み茶碗をそっと置いた。困ったわね、と小さくつぶやく。
「りんねったら、やっぱり冬の間だけでもうちに来ればいいのに」
「ぼくも逐一そうおすすめしてるんですよ。でもりんね様、絶対にうんとおっしゃらないんです」
 魂子は窓の外に望む輪廻の輪をぼんやりと眺めながら言った。
「あくまで現世を離れたくないわけね」
「ええ。まあ、あっちには桜さまもいらっしゃることですし」
「そうね」
 元主従は顔を見合わせた。
「ところで、六文」
「はい」
「あの二人はどうなってるの?」
「どうとおっしゃられても……どうもなってませんよ」
 六文は肩を竦める。
「桜さまが差し入れを持ってきてくださって、それを食べながら、コタツでお話したりするだけです」
「それだけ?」
「それだけです」
「りんねったら、私や鯖人に似ず奥手なのねえ……」
 魂子は少し考えるような素振りを見せた。
「お膳立て、してあげようかしら」
「え?」
 二切れめの羊羹に手を伸ばしていた六文が聞き返すと、魂子は愉快そうに笑った。


「頼むから、もう少し寝かせてくれないか……」
 黄泉の羽織にくるまってぐっすりと眠っていたのに、休日の朝早くに六文に揺すり起こされてりんねは不満げだ。
「すみません。でも、仕事の依頼が入ってるんです」
 六文は依頼者からとおぼしき手紙をりんねに手渡した。寝癖のついた頭を少しもたげて、りんねがそれを受け取る。寝転がったまま、どんよりとした目で封を開けた。
「ん!?」
 手紙を読むや、彼は羽織を退かして跳ね起きた。目の色を変えて手紙にかじりつく。
「ご、豪華食事付きだと!?しかも、あの世の三ツ星レストラン!」
「へえー、すごいですね」
 なぜかあやしげに含み笑う六文。だが超VIP待遇のオイシイ案件に有頂天のりんねは、その笑みの意味を知る由もない。
「どうします、りんね様?この依頼、引き受けますか?」
 笑いを噛み殺しながら六文が聞くと、間髪入れずにりんねは「引き受ける」と答えた。
「では、この服に着替えて、待ち合わせ場所に行ってください。依頼主が待ってますから」
「うん、わかった」
「それから、この薔薇の花束も忘れずに」
「ああ」
 りんねはなんの疑いもなく六文の言う通りに動き、意気揚揚と霊道の彼方に消えていった。その後ろ姿といったら、まるで尻尾をふりながら餌に駆けていく子犬のようだった。

 待ち合わせ場所の「あの世縁日 べっこう飴屋台前」についたりんねを、意外な人物が出迎えてくれた。
「りんね、ひさしぶり」
 と、べっこう飴をなめながら片手を上げたのは、祖母の魂子だった。
 りんねは飴と祖母をまじまじと見比べながら、
「なにしてるんだ、おばあちゃん」
 つい地雷を踏んでしまう。
「その呼び方はやめてって言ってるでしょ〜」
「いでででで」
 こめかみをぐりぐり押され、りんねは抗議の声を上げる。その声に反応して、誰かが屋台ののれんから顔をのぞかせた。
「六道くん?」
 それは片手にべっこう飴を持った真宮桜だった。彼女と目が合った瞬間、りんねの猫背が無意識下にしゃんと伸びる。まさか桜がいたとは予想外だった。
「真宮桜、どうしてここに?」
 桜は余所行きの出で立ちだった。ついつい頭のてっぺんから爪先まで見てしまう。
「私が誘い出したからよ」
 問い掛けに答えたのは魂子だった。りんねは首を傾げる。
「誘い出した?なんで」
「あなたたち二人の月下氷人になってあげようかと思って」
 ほほほ、と魂子が上品に笑った。りんねと桜は目を瞬かせて顔を見合わせる。
 月下氷人――男女の仲をとりもつ人をあらわす言葉だ。
 りんねははっと思い至った。
「まさか、俺をここに呼び出したのも……」
「そう、私よ。偽の依頼の手紙を出したの。ちなみに六文もグルでーす」
 魂子が茶目っ気たっぷりに手を振った。けれどりんねは海老で鯛を釣られた脱力感よりも、連れて来られた桜のことが気に掛かってしかたがない。
「で、俺たちにいったいどうしろと?」
 りんねが答えを急くように詰め寄ると、魂子は懐から封筒を取り出した。それをりんねに渡して、にっこりと笑う。
「今日一日、桜ちゃんとデートしてきなさい」
「――!」
 りんねの顔が湯立った。ぎしりと硬直した孫の背中を、励ますように魂子の手が叩く。
「私が全部手配してあげたから、お金なんて一円も要らないわ。安心して楽しんでらっしゃい」
 魂子は桜を見やった。桜もさすがに驚いているようだった。手付かずのべっこう飴を地面に落としてしまったまま、気付いてもいないのだから。

 落とした飴にアリの霊がたかっている。魂子が去ってから、もう十分は経過しているだろう。
 このままでは間がもたない。りんねは無言で薔薇の花束を差し出した。なにか言わなければと思うのに、緊張のあまり言葉が出ない。
 桜の方もなにも言わずに花束を受け取った。なにか言ってくれればいいのに、と自分のことを棚に上げてりんねは思う。
 思えば二人きりでデートするなんて初めてだ。それも二人とも余所行きの格好で、段取りも完璧に決まっていて。浄霊のための潜入調査でもおとり捜査でもなく、純粋に自分たちのためだけのデート。緊張しないはずがなかった。
 前後に人二人分くらいの間隔をあけて、彼らは歩き出す。先を行くのはりんね、後ろをついて行くのは桜だ。早足になったり、遅足になったり。二人とも、互いに適度な距離を測りかねていた。
 ――いつもは距離なんて気にせずに一緒にいるのに。
 自分の調子が狂っているのを感じているのは、お互い様だった。
 りんねは魂子に手渡された封筒から、何枚かのチケットを取り出した。あの世テーマパーク入園券、三途の川クルージング乗船券、レイクサイドホテル館内レストラン食事券。用意周到なことに、どれもきちんと二人分揃えてある。相当値が張るだろうに。いつからおばあちゃんはこんなに太っ腹になったんだろうと、りんねは苦笑する。
 りんねには魂子の本心が手に取るようにわかった。彼女はたった一人の孫が可愛いのだ。可愛いからこそ、りんねの喜ぶ顔が見たい。幸せになってほしい。まだ停滞したままのりんねの恋を、なんとかして後押しして前進させてやりたい。
 ――そんな祖母の思いに気付いていながら、このまま無為に貴重な時間を過ごしてしまおうというのか。
 出来るはずがない、そんなことは。
 少年はいよいよ覚悟を決めた。歩みを止めて、後ろを振り返る。
「真宮桜」
 顔を上げた桜の手を、りんねはすばやく握った。決意がにぶらないうちに、言ってしまおう。
「あとで、聞いてほしいことがあるんだ」
 桜は熱意をこめてそう言ったりんねを、まっすぐに見上げた。
「それって、いいこと?」
「わからない。でも、おまえにとって、いいことだったらいいなと思う」
「――そっか。どんな話題なんだろう、それ」
 ちょっと楽しみかも、と桜が破顔する。二人の間にはりつめていた緊張の糸は、その笑顔でたちまちゆるんだ。

 測りかねていたはずの距離が、ぐんと縮まったようだった。テーマパークで同じ絶叫マシンに乗ったり、幽霊のパレードに揃って歓声をあげたり、一つのパフェを二人で分け合ったりするうちに。
「楽しいね」
 輪廻の輪に似せた赤い観覧車に乗ると、桜が満面の笑みでそう言った。
 今までこんなに楽しいと思ったことは、ないかもしれない。楽しそうな桜を見て目を細めながら、りんねは思う。
「六道くんも楽しい?」
「ああ。すごく」
「本当に?六道くん、あんまりそういうの顔に出さないから――」
 眼下に広がるあの世の景色を眺めながら、桜は独り言のようにつぶやいた。
「たまに不安になっちゃうよね。私といてもつまんないんじゃないかな、とか」
 りんねは目を見開いた。苦笑して、とんでもないとばかりに首を横に振る。
「おまえと一緒にいて、つまらないと思ったことは一度もない」
 りんねたちの乗るコンパートメントが、ちょうど観覧車の天辺になった。ガラスの向こうに見える輪廻の輪が、二人の目線と同じくらいの高さになる。

「真宮桜、聞いてほしいことがあるんだ――」

 長い時間をかけて、観覧車は一周し、りんねと桜をふたたび地上に戻した。
 コンパートメントから出てきたとき、二人の手はしっかりと繋がれていた。


 三途の川クルージングで絶景を満喫し、レイクサイドホテル館内の三ツ星レストラン「彼岸」でおいしい料理に舌鼓を打ったのち、ホテルから出ようとした二人をロビーから誰かが呼び止めた。
 魂子だった。双眼鏡を手にしているところを見ると、どうやらずっと彼らの後をつけて様子をうかがっていたらしい。
「結局、うまいことまとまったわけね?」
 からかうように聞かれて、りんねは照れ隠しに俯いた。恋人繋ぎでつながれた二つの手が、その問い掛けへの答えだ。
「魂子さん、今日はありがとうございました。おかげで本当に楽しかったです」
 かたわらで桜が頭を下げる。お安い御用よ、と魂子は鞠を弾ませるように軽快に笑った。
「実はね、サプライズプレゼントを用意してるのよ〜」
 と、りんねの片手に冷たい質感のなにかを握らせる。
 手を開いてみて、彼は言葉を失った。
 ――それはこのホテルのルームキーだった。
「お、おばあちゃん。これ……」
「据え膳食わぬは男の恥よ、りんね」
 人差し指をりんねの鼻先に突き立てて、魂子はにやりと笑った。
 真っ赤になって、ロビーに飾られている大天使の石像のように固まっているりんね。その隣できょとんとしている桜の肩に、魂子は手を置く。
「桜ちゃん、はやく私に曾孫の顔を見せてちょうだいね」
「……おばあちゃんっ!」
 珍しく冷静さを失っている孫を、月下氷人はこのうえなく微笑ましく思った。





end.








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