Tiramisu | ナノ

Tiramisu

 
 坂の上にひっそりと佇むアンティークショップ「地球屋」の戸口には、真昼間にもかかわらず「CLOSED」の看板が掛けられていた。もっとも、知る人ぞ知る隠れ家的なこの店は、オーナーの孫いわく、
「開いていることの方が珍しい」
 らしいので、近隣の住人にとっては特に驚きに値することでもないのかもしれない。

 人気のない店の中は静まり返っていた。ひっそりとした空間にはヨーロピアン調の趣きある古美術品達が点在している。それらの品々は、この日は人目にさらされることなく、また射し込む日光に照らし出されることもなく、まるで安らかな眠りを得ているかのようである。
 そんな中、張りつめた沈黙の空気を優しく揺さぶるように、階下から談笑の声が溢れた。様々な古楽器が並べられた木の香りのする部屋で、談話の時を分かち合い顔をほころばせ合っているのは、若い恋人たち。
「ほんと、久しぶりだよね。半年ぶりだっけ?」
「うん、そうだな。それにしても…もう半年も経ってたのか。休みが少なくてなかなか帰って来れないからなあ」
 聖司がやれやれといった面持ちで苦笑いすると、雫は机に頬杖を付きながら微笑んだ。
「でも、それだけ大変だとやりがいあるでしょ?」
「まあね。色々大変だけど、やっぱ本場で学ぶのは最高だよ。先生達も一流だしさ、なんってったって…」
 ヴァイオリン製作学に関して熱弁をふるう彼。躍動感ある土産話に、遠い国の御伽噺に聞き入る幼女のように目を輝かせる彼女。
「やっぱりすごいなあ。聖司は」
 雫が感嘆のため息をつくと、聖司は照れ隠しのように後ろ髪をかき上げた。
「雫だって頑張ってるんだろ。おじいちゃんから聞いたよ、図書館に通いつめで物語書いてるって」
「うーん…自分なりに頑張ってはいるけど、まだまだ先は遠いかな」
 雫は聖司が淹れてくれたイタリア茶葉の紅茶をひと口すすった。それからおもむろに居住まいを直して、真剣な眼差しを恋人に向ける。
「物語を書くって、書きたいって思うだけじゃだめじゃない?知識の積み重ねがあってこそ、紙の上にしか存在しない物語を、本物に近付けることができるんじゃないかなって思うの。だから、もっとちゃんと勉強して、色々なことを知らないといけないなあって」
 それから肩を少し落として、雫は物憂げな視線を天井に向けた。
「……高校入ったらいきなり勉強が難しくなっちゃって、このままだとみんなにどんどん追い越していかれそう。私、最近ちょっと焦ってるのかも」 
 祖父によく似た温色を湛えた柔和な眼差しを、聖司は悩める彼女へとそそいだ。そっと席を立ち、物思いにふける雫を残してこっそりと部屋を出る。

「雫、これ何て言うか知ってるか?」
 雫は物思いの淵から呼び覚まされて、得意げな顔をした聖司の手元に視線を下ろした。いつのまにか、その手は白く縁が丸みがかった小皿を持っていた。皿の上にはチョコレート色をしたケーキがちょこんと乗せられている。
「……ティラミス?」
 目を輝かせながら雫が訊くと、聖司は小皿と金色の小さなフォークをを彼女の目の前に置いて、「正解!」とピースサインを作った。
「すごくおいしそう!もしかしてこれ、聖司が作ったの?」
「うん。向こうで友達に作り方聞いたからさ、試しに作ってみたんだ。知ってたか?これってイタリアのお菓子なんだぜ」
「へえー、知らなかった…じゃあ本場の味だね!」
「……あんまり自信ないけどな。まあ、試しに食べてみろよ」
 謙遜する聖司にうながされて、雫は金色のケーキフォークを手にとった。顔を近づけてみると、甘い香りが鼻腔を擽った。ふんわりと柔らかなスポンジにフォークを入れて、ひと口分を口に含む。
 マスカルポーネの口当たりがなめらかで、とても美味しかった。本格的な洋菓子に舌鼓を打ちながら、身を乗り出して反応を待つ聖司に、雫は幸せそうに表情を緩めてピースサインを作ってみせる。
 彼女の笑顔を見届けると、聖司は机を回って雫の隣に立った。おもむろに、両腕を広げて彼女にがばっと抱き着く。フォークをくわえたまま、驚きに目をぱちぱちと瞬きさせる雫のうなじに、顔をうずめて聖司はつぶやいた。
「ティラミスってさ、イタリア語でどういう意味か知ってる?」
 状況をようやく把握して、顔を真っ赤に染めた雫がぶんぶんと首を横に振ると、聖司は小さく溜め息をついた。
「私を元気づけて、っていう意味があるんだよ」
「……へ、へえ、そうなんだ?」
 緊張のあまり上擦った声で返した雫に、聖司は仔犬が甘えるように身を寄せた。
「雫の笑顔が見たかった。俺…雫に元気づけてほしかったから」
 その声色が捨てられた仔犬のように哀れっぽく聞こえ、驚いた雫はすぐそばにある顔に視線を向けた。
「なんで?もしかして聖司、落ち込んでたの?」
「……空元気出してたけど、割とね。海外で暮らすって、色々と苦労が多いからさ。言葉は通じないし、文化が全然違うし、雫には会えないし」
 ふうっと悩ましい溜め息をつく聖司の背に、雫はぎこちなく手を回してみた。一瞬驚いた顔をした聖司は、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせて雫の頬に頬を寄せた。
「でも、雫の笑顔見たら元気が湧いてきた!」
「せ、聖司、近いよ……」
 羞恥からカチコチに固まってしまった雫が、ボソボソと訴えかけると、これくらいイタリアでは挨拶がわりだぞ、と彼はいたずらっぽく笑い飛ばした。





end.


back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -