花嫁 - 13 - 「サーン!私はここだ!」 少しはなれたところからアシタカの呼ぶ声が聞こえて、サンは疾風の速さで駆け出した。 目線の高さほどもある茂みを抜けると、勢いあまって何かにとぶつかる。 「わっ」 頭上で声がして、上半身を抱き留められた。顔を上げてみれば、それは頭巾をしたアシタカだった。 「アシタカのバカ!」 サンは膨れっ面になり、アシタカの胸を拳で叩いた。 「随分探したぞ。穴蔵に来いと言ったのに、なんでここにいる?」 「す、すまない。サン」 アシタカは頭巾をとって詫びた。 「ただならぬ気配を感じたのだ。だから場所を動いてしまった――」 サンは口をつぐんだ。 二人のまわりを、瑠璃色の蝶がひらひらと飛んでいる。 七色の尾をもつ蜻蛉が、水際に咲く花で羽を休めている。苔むした石の上で、こだまが陽気に身体を揺すっている。 かつてシシ神の聖地だった場所。――そこは新たな神によって、浄化と再生の加護を受けていた。 「ようこそ、サン」 水の上からシシ神が朗らかに声をかけた。見入られたように辺りを見渡していたサンは、はっと目を見開く。 「一刻も早く、再生したこの地をそなたに見せたかったのだ。──誰あろう、我が花嫁に」 サンは、ふらりとアシタカの腕の中から離れた。 青々と茂る草を踏みしめて、万感の思いで、その清浄な空気を胸いっぱいに吸い込む。 目をこらせば、姿が見えるようだった。 モロや乙事主、この森を守るために果てたたくさんの者達の姿が。 ──母さん、乙事主様、仲間達。 見えていますか。 私達が守ろうとした森は、こんなにも、美しさを取り戻しつつあります。 「おいで、サン」 シシ神が両腕を広げて、やさしい声でいざなった。──サンはその腕の中に、迷いなく飛び込んでいった。 「──ありがとう、シシ神様」 サンは涙をこぼした。 「あなたがいてくれたから、森はここまで再生できた。本当に、ありがとう、ありがとう……」 アシタカは、何もできずにただ、寄り添う二人を見つめているだけだった。 まざまざと実感せずにはいられない。 ──やはりサンにとって、森は、唯一の生き場所なのだ。 悔しいが、今のアシタカに、割り込む余地はなかった。 【続】 back |