水中楼閣 「神様ってさ、本当にいるのかな?」 唐突に友人の薫から問われて、千尋は飲んでいたオレンジジュースにむせた。 「な、なんでそんなこと聞くの?いきなり」 「だってさ。千尋、いつもやたら神様神様っていうじゃん」 「そうかな……」 「そうだよ。もしかして、無意識?」 薫が片眉を持ち上げる。 「石のほこらは神様の家だとか、川には神様がいるとか」 「……」 「日に一度はそういうこといってる」 「そ、そうだっけ?」 しどろもどろになりながら千尋は曖昧な笑みを浮かべた。 薫は同じ学部生で、授業も千尋とかぶっているものが多い。共通の友達がたくさんいる。時間がゆるせば、講義の合間にこうして中庭のベンチで落ち合うのが暗黙の了解となっていた。 千尋は薫の横顔をこっそり盗み見た。 薫は頭が良かった。それに、そこそこもてる。 ついでに付け足すと、究極の現実主義者だった。 「神様なんているはずがない」 薫はなぜか不満そうに断言する。 「八百万の神様とかいうけど、じゃあ大根なんかが動くのを見たことある?」 千尋は即座に油屋の常連客おしらさまの白くむっちりとした身体を連想した。でも、まさか本当に「見た」と答えるわけにもいかない。 「雨は龍が降らせている、なんて迷信も嘘に決まってる」 「……」 「龍なんて空想上の生き物にすぎないんだから」 薫が長い脚を組みながら、またも断定口調でいった。 これにはさすがの千尋も少しむっとした。 「かってに決め付けないでよ」 「……」 「薫が信じてなくたって、龍はちゃんといるんだからっ」 薫は眉根を寄せた。 「ほら、やっぱりこういう話題になるとそうやって必死になる。千尋はなんでそう空想的なのかなあ」 千尋はむつけた顔をして立ち上がった。 「龍を信じるなんて、水の中に城をつくるようなものだよ」 そんな千尋を見上げて、挑むように薫がいった。 すると信じられないことが起きた。 雲一つない青空にどこからか小さな雨雲が流れてきて、薫の頭上に滝のような雨を落としはじめたのだ。 「千尋」 呆気にとられた千尋の肩に、背後から誰かが手を置いた。 ハクだった。 長い髪を魔法で短くして、人間の服を着ている。その辺に歩いている大学生となんら変わらない出で立ちだ。 「な、なんでここに……!?」 あまりのことに口をぱくぱくさせる千尋だが、ハクの方は穏やかに微笑んでいる。 「……あんた、誰?」 まだ雨にしっとりと濡れながら薫が怪訝そうに聞くと、 「千尋の夫です。いつも妻がお世話になっています」 ハクは千尋の肩を引き寄せて事もなげにいった。 薫も千尋も、そろって雷に打たれたような顔をした。 「――つ、妻?」 「はい。私の妻です」 「まさか……嘘だ!」 「嘘ではありません。――ね?千尋」 ハクが顔を覗き込んで聞いてきた。が、千尋は周囲にできはじめた人だかりを気にしていて聞こえなかったようだ。 「……あの人、超かっこよくない?」 そんな囁きがあちこちから聞こえてくる。 「あの子の旦那さんなんだって」 「えーっ、てことは学生結婚?」 女子達から羨望の眼差しを向けられた。まったくハクはなんてことをしてくれたのだろう。穴があったら入りたい気分だ。 大学にいる間は、龍宮城での生活などおくびにも出さずに、ごく普通の女子大生ライフを満喫していたのに――。 「あんた、どこの学部生?」 まだ雨に打たれている薫が少し攻撃的に聞くと、ハクは黙って首を横に振った。 「学生じゃないのか?」 「仕事がありますので」 「社会人か。ふーん……会社はこの近くなのか?」 「はい、トンネルのむこうの不思議の街で――」 正直にハクが答えかけると、薫は怪訝な顔をした。 まずい。千尋は慌てて割り入った。 「この人はね、帳場役……じゃなくて、ほら、えっと――お会計する人!」 「それってつまりはレジ打ち?」 「そ、そうそう」 「どこで?」 「えっと、ハクはお湯屋さんで働いてるの」 冷や汗を流しながら千尋が答えると、薫は不思議そうにつぶやいた。 「……この辺に湯屋なんてあったかな?それ、なんて名前の湯屋?」 「油屋ですよ。油という字に、屋根の屋をつけて『油屋』です」 今まで黙っていたハクがご丁寧に口を挟んだ。 「招待できないのが残念だ。――人間は連れていけない決まりだから」 「は?」 目をしばたたかせる薫に、ハクは勝ち誇った笑みをむけた。 「いえ、こちらの話です。どうかお気になさらず――」 彼らが去ったあと、薫はふと気付いて空を振り仰いだ。 不思議なことに、雨はぴたりとやんでいた。 end. ×
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