翠帳紅閨 | ナノ

翠帳紅閨




 「千花玉宮」は、あまた存在する水宮の中でも、一際美しいと称される龍宮城であった。
 宮殿を囲うように咲く極彩色の花々は、珊瑚や瑠璃や琥珀といった宝石から成るという。全てが宝石を砕いた粉を蒔いて開花させた花で、龍宮城に満ちる神気と月光を糧に成長するのだ。
 玄関口たる「通龍門」では、赤い柱や屋根の細部に金色の龍をあしらってあった。半身龍の姿をした屈強な門番が二人、門の前で銛を交差させて控えている。万が一悪しき者が門を押し通ろうとすれば、彼等は金色の龍達を従えて襲い掛かってくる。先日千尋に招かれてここを訪れたカオナシが、その亡霊のような容貌から門番に不審の来客と誤解され、散々銛でこづき回されるという憐れな目に遭ったばかりだ。
 宮殿の屋根瓦は虹色に輝く瑞魚の鱗を、柱と壁は透き通る玻璃やつややかな螺鈿を惜しみ無く用いてつくられている。室内は色鮮やかな布を天井から幾つも垂らし、御簾や几帳や屏風をめぐらせてある。家財道具も花鳥風月や吉祥文様にあやどられた絢爛豪華な品々でそろえてあった。
 ゆえにその宮殿は見るからに神々しい佇まいだった。
 いつ何時でも、千尋のために、千の花が咲き誇り、千の宝玉が輝くように。――そんな願いを込めて名付けられた千花玉宮。
 千尋はその龍宮城で、夫たる龍神の寵愛を一身に受け、甘美で幸福な日々を送っていた。


 いつものように楽士達に「霓裳羽衣」の曲を演奏させ、その嫋々とした音色を美酒の肴として堪能したのち、ハクはとろとろと眠たそうな目をしている千尋を抱き上げて彼女の寝室へと運んだ。
 翡翠(かわせみ)の羽があしらわれた帳がめぐらされ、紅い玉のちりばめられた寝台が置かれたその閨房は、まさに「翠帳紅閨」そのものだった。
 もっとも、千尋の寝室といっても、ハクがこの部屋以外で朝を迎えたことはただの一度も無かったので、むしろハクと千尋ふたりの寝室と呼ぶべきかもしれない。
 ハクは天蓋つきの寝台に半睡状態の千尋を横たえると、白い衣の袖をふわりと浮かせて明かりをおとした。
「千尋」
 既に千尋は小さな寝息を立て始めている。ハクは長い髪を肩口からこぼしながら艶やかに微笑した。
「……寝たふりかい?」
 ぎくり、と寝台の上で千尋の全身が強張るが、ハクは微笑みを崩さない。音もなく狩衣を脱いで、千尋の上にのしかかった。
 衣の合わせ目を寛げながら、
「いつまで、そうしていられるかな――?」
 耳元で妖しく囁かれて、耐え切れずに千尋は身を捩らせた。
「だ、だめっ!」
「おや――やっぱり寝たふりだったね」
 ハクは楽しげにくすくす笑いながら、千尋の額に口付けた。
「本当に寝ていなくて良かった。そなたを愛し損ねたならば、眠れぬ夜を明かさなければならなかったよ……」
 千尋は掛け布団がわりの薄物を掴みながら、鬼灯よりも赤く頬を染めた。
「でも……。毎日する必要、ある?」
「ある」
「なんで?」
「私がそうしたいからさ」
 千尋が絶句するのもかまわず、ハクは涼しげな瞳で事も無げにいう。
「私は千尋を心から愛しいと思う。だからそなたを愛したい。そなたの心も身体もすべて、私のものにしたい」
「……」
「千尋、そんなことを思う私はおかしいかい?」
 髪を優しく撫でながら問われて、千尋はそろそろと顔を上げた。
「……おかしくなんて、ないと思う」
「――そうだろう?」
 ハクは嬉しそうに、千尋の唇に口付けた。最初は浅く、しだいに深くなっていく。
「そなたのことが、私は愛しくてならないんだ。どうしたらこの気持ちが伝わるだろう。千尋さえいてくれたなら、他にはもう何も望まない――」
「ハク……」
 熱情のこもった千尋の眼差しに、ハクは背中が痺れるほど強い性の衝動を覚えた。
 蓮の形をした照明器具が閉じて、明かりがふっと掻き消える。
 水中にほのかな朝日が差し込む刻まで、ふたりは何度も互いの愛を確かめ合った。





end.
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