龍王太子 | ナノ

龍王太子




 その日は大海龍王のおわす水府の中核「水宮殿」において方々の龍神達を集めた宴が催されることになっており、招待に与った「千花玉宮」の主人たる龍神ハクもまた新妻千尋を伴って参内していた。
 衛兵の夜叉によって宮殿内に通された二人は、沢山の水晶の円柱が立ち並ぶ華やかな宴の間へ案内された。既に百を越える龍神達が集っており、老若男女を問わず賑やかに酒を酌み交わしている。
「おう、見てみい。あれは人間のおなごぞ」
 二人が席につくや、少し離れた所にいた泥鰌髭の龍神が物珍しそうに笏で千尋を指し示してきた。「なんとも珍妙な」
「人間のおなごじゃと?どれどれ」
「わらわにも見せてたも」
「ほんに人間じゃ」
「あれ、あのように愛らしく装って」
「まるで女雛のようではないか」
 程なくして千尋の周りにはちょっとした人だかりが出来た。龍神達の好奇の視線に晒されて、千尋はうろたえながらハクの背に隠れる。
「なんか、見られてるよ。すごーく恥ずかしいんだけど……」
 だがハクは野次馬のことなどどこ吹く風、金粉の散る黒漆の盃に口をつけて穏やかに微笑を浮かべた。
「大丈夫、気にすることはないよ」
「って言われても、やっぱり気になるよ!」
「見たい者には見せておけばいい。それより千尋、私はそなたに酌をしてもらいたいのだが」
「もう……!」
 千尋は頬を膨らませながら酒瓶を手にとった。「ハクは奥さんが動物園の猿みたいに晒しものになっててもいいわけ?」
「動物園の猿だなんてとんでもない。そなたは雛人形の女雛のようではないか」
 と、ハクは陶酔の眼差しで千尋を見遣る。千尋が呆れて口もきけずにいると、
「ちと、通してたもれ」
 どこからか幼い声が聞こえてきた。すると突然人だかりが真っ二つに割れ、そこから一人の童子が姿を現した。髪を美豆良に結い、水晶の髪飾りをつけている。
 いつの間にかハクを含め、周囲の龍神は皆その童子に向かって頭を下げていた。
「そなたは人間か?」
 問われて、千尋は何が何やら分からずに頷いた。
「ふうん。人間なぞ初めて見たわ」
 童子はてくてく歩み寄ってくると、いきなり千尋の腰に抱き着いた。
「え!?」
「ううん、人間のおなごとはかようにひょろひょろなものなのか?」
 いっそう強く抱き着きながら、童子が唇を尖らせた。そして何を思ったか突然、両の手で千尋の胸を鷲掴みした。
 千尋はのぼせ上がった。
「ちょ、ちょっと……!」
「ここはまあまあ柔らかいのう」
 全く悪びれなく童子は千尋の胸を揉みしだいている。千尋がくらくらと目を回し、ハクが不穏な空気を発しながらゆらりと立ち上がった所へ、
「これ、なりませぬ、太子様」
 一人の女性が衣を引きずりながら現れ、窘めるように童子を見た。
「その方をお放しあそばせ」
 ゆったりとした口調ながらも、有無を言わせぬ響きがあった。童子はやむなく千尋から離れ、女性の元へとぼとぼと近寄っていった。
「申し訳ございません。こちらの龍王太子がご迷惑をおかけ申しました」
 女性が静々と頭を下げた。千尋は目を丸めた。
「龍王太子?じゃあこの子は――」
 ハクが千尋の隣に寄り添うように立った。
「千尋、この御方は大海龍王の御子息でいらっしゃる。そちらはおそらくは乳母殿であろう」
 女性は膨れっ面の龍王太子を抱き上げながら頷いた。「お察しの通り、わたくしは太子様の乳母、福寿にございます」
「福寿、おれを下ろせよ」
 太子が足をじたばた動かし始めた。「おれはあの人間とお遊びしたいぞ」
 ハクは僅かに眉をひそめ、これみよがしに千尋の肩を抱いた。
「何とも『愛らしい』太子様でいらっしゃるね、千尋」
 全くそう思っていないだろうことは、やけに朗らかな口調からして明らかだった。
「私達も、早くあのように『愛らしい』子を授かりたいものだね。今宵も頑張らなければ」
「ひ、人前で何言ってるの!」
 千尋は頬を赤らめた。そこでこの話は打ち切られたはずだったが、彼女の思惑とは裏腹に、周囲の野次馬がこの話題に大いに興味を掻き立てられたようだった。
「しかし、果たして龍と人との間に子が生まれようか?」
「そうじゃそうじゃ」
「いえ、絶対に生まれます」
 自信に満ちたハクのその横顔に、千尋は思わず張り手を食らわせたくなった。
「愛さえあれば問題ないでしょう。いずれ必ず玉のような子を授かると信じています」
「じゃが、やはり前例なきこと。そなたら二人共、相当励まねばならぬじゃろうのう」
「御心配なく。妻も私もまだまだ若いので」
 話題が千尋が逃げ出したくなるような猥談に達しはじめたところで、乳母は太子をそっと外へ連れ出した。手を引かれて歩きながら太子は名残惜しそうに、後ろを振り返ってはまた振り返り、
「福寿、やつらは一体何に励んでいるんだ?」
 小首を傾げた。乳母はわずかに目を細めた。
「太子様にはまだはよう話にございます」





end.
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