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夜思


 既に星満天の夜である。王都咸陽は昼間の賑わいが嘘のように、深い静けさの中に沈んでいた。
 王宮殿の奥深く、絢爛豪華な玉座の間において、玉座に背を凭れながらそっと溜息をつく少年の姿がある。御年十三の若き秦国大王、贏政である。今日一日の政務をようやく終えた政は、困憊の表情を隠そうともしない。
 実権のない王、丞相の操り人形――。その不名誉な烙印を打ち消すのはやはり至難の業だった。政は政なりに精一杯の努力をしているつもりだし、側近の昌文君もそれを認めてくれてはいる。それでも呂不韋という大きな壁を突き崩すにはまだまだ力不足だ。
 政には、重臣の傀儡としてまつりごとを行っていく気はさらさら無かった。若き王は大志を抱いていた。いつか自分の手で、この広大な中華を一つに統べるのだ。そしてその頂点に立ち、歴史におのれの名を刻む。幾千万もの時を経ても、自分の偉業が後世に語り継がれていくように。
 こんなところで躓いているようでは、何一つ叶えられはしない。
「……まだまだだな、俺も」
 政は天井に向かって呟いた。今自分が座っている目も眩むような黄金の玉座が、やけに大きすぎるような気がした。早く大人になりたい、地に足をつけたい――切実にそう思った。
 物思いに耽っているところへ、控えていた侍従がするすると玉前に進み出て来た。両手を袖に差し入れて、拝礼をとりながら、
「大王、河了貂が謁見を願い出ております」
「いいだろう、通せ」
 政が言い終わる前に、扉が開いた。青白い月光とともに、簑をすっぽりと被った河了貂が玉間に上がり込んできた。
「よう、政。元気か?」
 侍従が引き下がると、貂が気さくに声をかけてくる。
「元気かと言っても、つい三日前にも会ったばかりだろう」
 政は微かに苦笑した。「どうした、貂。最近よくここへ来るようだが」
「……迷惑だったらごめん」
 板敷きの上に座り込んで膝を抱え、貂があるかなしかの声で言った。
 政は思わず瞬きした。
「迷惑だとは言っていない。今日はもう政務も終えたところだ」
「……」
「話があるなら聞こう。まずはその簑をとったらどうだ?」
 貂は首を横に振った。「いいんだ、このままで」
 政は僅かに眉をひそめ、玉座から立ち上がった。
「大王の命令だ。河了貂、その簑をとれ」
 突然威厳ある声で命じられて、貂は驚いたように肩を揺らした。どんなに親しい仲であっても、やはりこの少年は殿上の人なのだと思い知る。やむなく震える手で頭に被っている簑を外した。
「貂」
 玉座から政が呼んだ。その声はもう王の厳しさをふくんではいなかった。
「……何故泣いている?」
 貂は白い頬に真珠のような涙をころがしながら、政を見上げた。
「心配なんだよ」
「……」
「心配でたまらないんだ、あいつのことが。初陣なのに調子にのって、怪我でもしてないかな、とか、大食いだから暴れ回って腹減らしてんじゃないかな、とか」
 貂は手の甲で涙を拭った。
「あいつのことを考えると、夜も眠れないよ――」
 政はゆっくりと階(きざはし)を下りて、貂の目の前に立った。貂は縋り付くような眼差しで彼を見上げた。
「政、頼みがあるんだ」
 貂の泣き顔が月光に照らし出された。
「魏との戦なんか、もうやめてくれよ――」
 政は片膝をついて、貂の両肩に手を置いた。そして静かに首を横に振った。
「なんでだよ」
 貂はくしゃりと顔を歪めた。
「お前はこの国の王様だろ。こんなこと、お前の他に、誰に頼めるっていうんだよ!」
「落ち着け、貂」
 政は貂の目を覗き込んだ。「落ち着いて考えてもみろ。仮に俺がこの戦をとりやめたとして、一体何になる?」
「……戦さえなければ、あいつはうちに帰ってくる」
「果たしてそうだろうか?」
 政の眼差しは穏やかだった。
「貂、お前もよく知っているはずだ。あいつは、信は、大志を抱いている」
 貂はまだ目を潤ませている。「知ってるよ。あいつは大将軍になりたがってる。……無謀だよ」
「無謀、と思うか?」
「当たり前じゃんか。ただのド平民が、そんな大それた志――叶えられるわけないよ」
「俺は――」
 政は切れ長の目をそっと細めた。「無謀とは思わない」
「なんでだよ!?」
「信はきっと、志を叶える」
「だから、なんでっ」
 政がふっと笑った。
「さあな……あいつのことを見ていると、何と無くそんな気がする。ただそれだけのことだ」
 政は泣きべそをかいている貂を立ち上がらせた。
「……納得できないよ」
「まあ、見ていろ」
 政は諭すように言う。「この戦で、信は必ずやおのれの道を切り開くはずだ」
 ぽん、と政の手が貂の頭に乗った。貂は大王の美しいかんばせを見上げた。
「誰にもあいつを止めることはできない。俺にも、貂、お前にも――」





end.








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