追想

 秋も闌の霜月の夕暮れだった。
 住宅街の街路を並び歩くりんねと桜の頭上には、鮮やかに色付いた木々が聳え立っている。銀杏に紅葉に桜、櫨、柿。どれをとっても微妙な色合いが溜息の出るようで、ひとつひとつが錦秋に美を添えていた。
 二人は時折お喋りをやめて、街灯に照らし出された木々を振り仰いだりしている。秋風に吹かれてふるふると落葉するさまが、また美しかった。
「もう、秋だね」
 感慨を込めて桜が言うと、
「ああ、秋だな」
 すぐ横でりんねが頷く。
「じゃあ六道くん、秋といえば?」
「『食欲の秋』」
「六道くん、ひょっとしてお腹すいてる?」
「どうかな?」
「すいてるんでしょー」
 桜は彼をちらりと一瞥した。そして、嬉しそうに微笑した。
「それ、今年もつけてくれるんだ」
「ん?」
「私のマフラー」
「ああ」
 りんねは首に巻いているマフラーを見下ろした。
「それ、去年ブレゼントしたんだよね。ほら、首しめマフラーの事件の時に、おとり作戦で」
「そういえば、そうだったな」
「りんねの『R』にしたつもりなのに、貧乏の『B』に見えるって、六文ちゃんに言われちゃって」
 くすくす、と桜は笑った。「私、やっぱり不器用なのかな」
「そんなことはない。このマフラー、すごく上手に出来てる」
 りんねは大事そうにマフラーに触れた。「暖かくて、秋冬は手放せん」
「そう?じゃあ、徹夜した甲斐があったよ」
 桜は機嫌よさそうに、りんねの腕に腕をからめた。頭をことりと傾ける。りんねは一瞬緊張に身を竦め、照れ臭そうに頭を掻きながら彼女を見下ろした。
「この一年で、背、伸びたよね。六道くん」
「ん……まあな」
「来年になったら、おとうさんを追い越しちゃうかもね」
「かもな」
「やっぱり似てるよね、おとうさんと六道くん」
「……不本意だが、よく言われる」
「でしょ。でも、似てるんだけど、逆に似てないような気もする……かも?」
 不意にりんねが立ち止まったので、桜は首を傾げた。
「六道くん?」
 やや間をあけてから、ぽつりと、
「――驚いた」
 何の脈絡もなく、りんねが呟いた。
「懐かしいな」
 彼は目の前にある、赤い屋根の小さな家を見上げていた。不思議がる桜に言う。
「ここは、俺がおじいちゃんと暮らしていた家だ」
「え?」
 桜は目を瞬いた。「ここ、六道くんの前のおうち?」
「ああ。借家だったんだ。おじいちゃんが死んで、俺は大家から追い出されて、それから一度も帰ってなかった」
 りんねは懐かしむように目を細めた。
「表札が掛かってないな……。あれから、まだ誰も住んでいないらしい」
 桜は門越しにその家を覗き込んだ。どこにでもあるような、何の変哲も無い家だ。じっと見ていると、今にもリビングの明かりがついて、美味しそうな夕飯のにおいや、楽しそうな子供の笑い声がこぼれてきそうだった。
 人間と死神の夫婦、そしてその孫が仲睦まじく暮らしていた家。普通ではない一家が、普通に住んでいただろう家。
「素敵なおうちだね」
 桜が素直にそう告げると、
「そうか?」
 りんねはどこか嬉しそうだった。
 突然、何か閃いたように、きつく巻いていたマフラーを少し緩めると、彼はその中に手を差し入れた。
「折角だから、中に入ってみるか」
「え、どうやって?鍵掛かってるよ?」
 りんねは胸元から黄泉の羽織を抜き出すと、それを両手で広げて、ふわりと二人の肩に被せた。片腕がさりげなく、桜の肩を抱き寄せるかたちになる。
「そっか、これで壁も戸も通り抜けられる。名案だね」
「だろう?」
 至近距離で顔を見合わせ、二人は悪戯っ子の顔で忍び笑った。
 元六道家は、閑散としていた。
 家具は何一つ残っておらず、窓から差し込む青白い月光が、がらんどうの部屋を瑠璃色に染め上げるばかりである。
 それでも、かつて六道家の人々が住んでいた形跡は、確かに残されていた。
「ここの、柱」
 りんねが和室の柱を指差した。「毎年、ここでおじいちゃんが俺の身長を測ってたっけ」
 その柱には幾つもの線が刻み込まれていた。それぞれ、横に薄れた字で、背丈を測った時の年齢が書かれている。
「『りんね6才』だって。へー、6才の時って、まだこんなに小さいんだね。……あ、ここから一気に伸びてる」
 桜は下から上へ、刻まれた線を指で辿っていった。
 それは「15才」のところで終わっていた。
 そこで止まった桜の手を、りんねが両手で包み込んだ。
 二人の肩からずれた黄泉の羽織が、畳にふわりと落ちた。
「知っているか、真宮桜」
 りんねが真剣な表情で告げた。
「死神は、自分の意思で成長を止められるんだ」
 桜は小さく頷くのみに留め、あとは黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「おばあちゃんはともかく、おやじは混血だが、見ての通りあいつも老化を止められる。俺が小さかった頃から、おやじはあの姿のまま……ずっと若いままだ」
 りんねは睫毛を伏せた。
「おじいちゃんが死んで、この家から追い出された時、俺は――俺ももうこれ以上、成長したくないと思った」
 りんねは、これまで桜が見たことのない、寂しそうな表情をしていた。
「俺の成長を喜んでくれたおじいちゃんはもういない。なら、もう年なんかとりたくない、背もこれ以上伸びなくていいと思った。――だからずっと、この柱の線の身長のまま、15のままでいようと決めたんだ」
 だが、と静かにりんねは続けた。
「現世で生きている以上、たとえ目に見える成長を止められたとしても、必然的に年はとる。俺は高校生になった。16になった。そして、真宮桜、お前に会った――」
 桜は目を瞠った。さっきまで悲しげな顔をしていたりんねが、今はもう穏やかに、満ち足りた表情で微笑している。
「お前に会ったから、俺はまた成長出来たんだ。自然のなりゆきなんかじゃない。ちゃんと俺の意思で、17になれた。背だって伸びた」
 りんねは、まるで眩しい光を見ているかのように目を細めた。
「きっと、何か一つ無くしたら、かわりに何か一つ得るようになっているんだろうな。人生って」
 その言葉を噛み締めながら、桜は窓の外を見上げた。少し、ほんの少しだけ照れ臭くて、床に落ちた黄泉の羽織を被って、顔を隠しながら。





end.
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