管狐 4 空き教室に入ると、先輩は向かい合って座るよう桜に促した。 「それで、きみの名前は?」 「一年四組の、真宮桜です」 「ではよろしく、真宮桜さん」 先輩は握手を求めてきた。桜が黙ってそれに応じると、彼は満足げに微笑んだ。 「俺は、筮イヅナといいます」 「めどき、いづな」 不思議な名前だな、と桜は思った。 「自慢ではありませんが、俺の占いはよく当たると評判なんですよ。校外からも依頼人が訪ねて来るほどでね」 「すごいですね」 「はは、そうでもありません。実家が代々占い師の家系で、俺も必然的にそう生まれついただけですから」 彼は切れ長の目を更に細めた。 「どんなことを占ってみても、かならず天地神明が卦を導いてくれる。だから俺にはあらゆる事柄が見えます。一週間後の天気も、一年後の誰かの運勢も、簡単に見通すことができる。真宮桜さん、今、あなたが何を思っているのかさえも」 桜はぎくりとした。筮イヅナはどこからか竹ひごの束を取り出すと、それらをじゃらじゃらと鳴らして、卦をつくった。桜にはそれが何を意味するのかさっぱりわからなかったが、彼には読めるらしく、両手を重ね合わせて思案げに頷いた。 「過去の因果がめぐりめぐって災厄を起こすでしょう。――狐に気をつけて」 くす、と彼は笑った。またどこからか、いつか聞いた、狐の啼き声がした。 まるで狐に包まれたような感覚だった。ふらりと教室を出たところで、桜はばったりりんねと鉢合わせる。 「真宮桜!」 彼のつけている狐面に一瞬動揺する桜だが、安堵のため息をつくりんねは気付かない。 「姿が見えなくて随分と探したんだぞ。ずっと呼んでいたのに返事もないし。でもとにかく、無事でよかった……」 姿が見えない?ずっと呼んでいた?りんねの声なんて彼女には聞こえていなかった。桜は後ろを振り返った。空き教室の戸を開けると、中にはもう誰もいなかった。 「誰かと一緒だったんだろう」 「──うん。ついさっきまでね。いまはもう、いなくなっちゃったけど」 「ただの人間ではないはずだ。それはおそらく、俺に呪いをかけた呪い手」 りんねは自分の方を向かせようとして、桜の肩に触れた。が、またも「熱っ」と声を上げて、火に触れたように、すぐにその手を離してしまった。おどろいた桜が目を見開く。 「六道くん!」 「大丈夫だ。それより、真宮桜」 顔にくっついて離れないお面に触れながら、りんねはたずねる。 「心当たりはないか?誰がお前を狙っているのか。この狐のお面は、一体なんなのか。どんなに些細なことでもいいんだ。何か気づいていることがあったら、教えてほしい」 自分のせいで関係のない彼に迷惑をかけてしまった。いたたまれなくなって、桜は俯いた。 「ごめんね、六道くん。私のせいでこんなことになっちゃって」 こん、こん、こん。 彼女の背後で、狐が啼いている。それは、りんねの耳にも聞こえた。 「小さい頃、神隠しにあって、六道くんのおばあさんに助けてもらったことは、前にも話したよね」 記憶をたどりながら、桜は思い出し始めたことを語り出した。 「その帰りにね。私、森の中で迷ってしまったの。その森には『御狐様』が棲んでるって言い伝えがあったから、ひょっとしたらその縄張りに入っちゃったのかもしれない。歩いているうちに、だんだん周りが暗くなってきた。でも、なかなか出口が見つからなかった。私、だんだん怖くなってきて、早く帰りたいって思った。そうしたら、狐の啼き声が聞こえてきて、暗がりの中からあの人が――」 筮イヅナ。そうだ、あれは彼だった。 「背の高い男の人が、目の前にしゃがみ込んで私に聞くの。この森から出たいですか、って。それで、私」 あの時の選択が、始まりだったんだ。桜は固く目を閉じた。 「うん、って答えた。そうしたら、その人は聞いてきたの。帰してあげることはできる、でも代わりにあなたは何をくれますかって。……私、その時は何も思い付かなかった。人にあげられるような物なんて持ってなかったし。だからもう少し待ってもらえないか、お願いしたの。おばあちゃんの家に帰ったら、必ず何かを持ってこの森に戻ってくるから、って。その人はそれで納得してくれた。それで、約束のしるしに、その狐のお面をくれたの」 桜はりんねを見上げた。その不思議なお面は、確かに以前見たことのあるものだった。 「気が付いたら、遠くの方から青年団の人たちの声がしてた。私はもらったお面のことも忘れて、その人たちのところに走っていって。森を出た時には、もうお面は持ってなかった。どこかに落としてきちゃったみたい」 桜は表情を曇らせた。 「あのあと、私は森に戻らなかった。一週間も娘が行方不明になった森でしょ。パパとママが気味悪がって、もう二度とあそこには行っちゃだめだって。私も怖くなって、あの森には近寄らなくなったの。……だから、あの人との約束を守れなかった」 「真宮桜──」 「全部、私のせいだよね。約束を破ったのは、私なんだもん」 自責の念に駆られる桜をどうにかなぐさめようとして、りんねが口を開きかけた、その時。 桜の背後で空き教室の戸が開き、中からするりと手が伸びてきた。彼女のおさげをつかみ、引っ張って空き教室に引きずり込もうとする。 「真宮桜!」 りんねは咄嗟に桜の手を掴んだ。じゅう、とお面が焼けるかと思うほど熱くなる。それでも、今度は意地でも手を離さなかった。 「離して、六道くんっ!」 「いやだっ」 「このままだと巻き込まれちゃうよ、だから早く――」 「──絶対に、離さん!」 強い口調で言い放つりんねに、桜は目を見開いた。 りんねの足が床を離れた。二人は空き教室の暗闇にのまれ、手を取り合ったまま底なしの空間を落ちていった。桜はどうにかその手を振りほどこうとするが、りんねが頑なに離そうとしない。むしろその手を強く引いて、下へ下へと落ちていきながらも、桜をかばうように抱き寄せるのだ。 『――かならずここに戻ってくるよ。私のいちばん大切な物をもって』 いつの日かの自分の声を、桜は聞いたような気がした。 続 |