管狐 2 天高く馬肥ゆる秋。というが、このひもじさは一体どうしたことだろう。 廃屋寸前のクラブ棟の一室に住む死神と黒猫の主従は、すきっ腹を抱えている。腹が減っては戦ができぬとはまさにその通りで、一人と一匹は空腹のあまり、そろいもそろって仕事に行く気すら起きずにいた。 「馬でさえ肥えるといわれる季節なのに、ぼくたちときたら……」 「──今少しの辛抱だ、六文」 机に伏せったままあてずっぽうなことを言う主を、黒猫は恨めしそうに睨んだ。 「りんね様、百葉箱を見てきてくださいよ。何かお供えものが入ってるかもしれません」 「そうしたいのはやまやまだが──」 きゅるる、とりんねの腹がせつなく鳴る。育ち盛りの男子高校生が丸一日飲まず食わずで過ごすのは相当堪える。身体に力が入らない、と続ける彼の声は哀れだった。 どうやら本当に燃料切れのようだ。六文は溜息をついた。 「わかりました。ぼくが見てきますよ」 「すまん、六文。何か入ってるといいんだが」 主人は大儀そうに目を閉じた。 百葉箱を開けた時、何やら酸っぱい匂いが鼻をついて、おや、と六文は胸を躍らせた。 中には一通の便箋と、皿にちょこんと乗った稲荷寿司が供えられていた。酢のきいた匂いの元はこれだったのか、と六文は合点する。 さっそく部屋に持って帰ると、生ける屍のようだった主がたちまち生気を取り戻した。 「久しぶりのお米ですね、りんね様!」 「ああ、まさに地獄に仏。さっそくいただくこととしよう」 いただきます、と主従は声を揃えて、ひさしぶりのまともな食事にありついた。 先に異変に気付いたのは、りんねの方だった。 酢飯の酸っぱさと、油揚げからにじみ出る甘辛いだしの味に舌鼓を打っていると、ふと顔に違和感を覚えた。なにやら猫じゃらしであちこちを撫でられているかのように、むずむずするのだ。気になって手で触れてみると、鼻と口の辺りが本来あるべきでない場所に、ぽっこりと出っ張っていた。けれど肌に触れた感覚がしない。──何かが、顔に張り付いていた。 「六文」 顔を押さえて俯いていた六文が、主の呼び声にゆっくりと顔を上げた。主の顔の異様さに、目を丸める。彼の指の間からのぞく目は、赤くふち取られており、異様に細く吊り上がっていた。 「りんね様……?どうしたんですか、そのお面?」 そういってりんねを指差す六文の顔には、縁日の出店で見かけるような狐のお面が張り付いていた。そして、りんねの顔にも、同じものが。 笑顔でも泣き顔でもない、掴みどころのない不気味な表情をした狐面が、互いをじっと見つめていた。 「ん?……とれない」 りんねは顔をぺたぺたと触る。狐のお面は、いくら外そうとしても外れない。まるでりんねの顔の一部になってしまったかのように、しっかりと皮膚にくっついている。同じように奮闘していた六文が焦れた声を上げた。 「なんなんですか、これ!」 はめられたか、とりんねは狐面の下で舌打ちした。 机から二つ折りの便箋がはらりと落ちた。気づいた彼が拾い上げてみると、そこには狐の印がくっきりと捺されている。真ん中には狐がおり、それを丸く囲むようにして、見馴れない字が細かく連なっていた。印は血で捺したように赤々としていて、まだ乾ききってさえいない。 「どうやら、俺たちは呪われたようだな」 歯ぎしりしながら苦々しく呟くりんね。 狐の印はだんだんと薄れていき、やがてまっさらな白紙に戻った。 翌日、登校したりんねはいつにも増して周囲からの注目を集めていた。奇異のまなざしで見つめてくるのは、隣の席に座っている真宮桜もまた例外ではない。 「六道くん、そのお面どうしたの?」 「いや、これはその……」 食い気に負けて、よくよく警戒もせずに百葉箱に入っていたお供えものを食べたら、見ず知らずの誰かから呪われてしまった──などとはみっともなくて白状しがたかった。視線を泳がせつつ、適当に言い繕うことにする。 「つけてみたら、なぜかとれなくなってしまったんだ」 「えーっ!なにそれ、怖ーい」 心霊話の好きなミホが発言にそぐわないはしゃいだ声を上げた。人事だと思って、と内心りんねは恨めしく思う。 「それって呪われたお面とかじゃない?よくあるでしょ、つけると顔から離れなくなるお面、みたいな」 「うーん。呪われたお面か」 職業柄、気にかかるらしい。十文字翼が顎に手を遣り、まじまじとりんねの顔に張り付いた狐面を観察してきた。 「狐の顔か……。それにしてもふざけたお面だな。そう思わない?真宮さん」 「え?」 上の空だった桜が一拍子遅れで反応を返した。「ええと、ごめん、今なんて?」 「いや、このお面、胡散臭いなと思って」 桜は手を伸ばして、狐面の頬のあたりにそっと触れた。すると、お面の下でりんねが息をのんだ。 「熱いっ」 「ご、ごめん」 桜が咄嗟に手を引っ込めると、りんねはお面を押さえて息をついた。 「顔が焼けるかと思った……」 「なんだなんだ?ますます怪しいじゃないか」 お祓い屋の感がはたらいたのだろう。翼の目付きが険しくなる。今度は試しに彼がお面に触ってみた。けれどりんねが苦しむことはなかったので、つい拍子抜けしてしまう。 「一体なんだったんだ、さっきの大袈裟なリアクションは」 「大袈裟じゃない。真宮桜に触られた時は、本当に熱くて顔が焼けそうだったんだ」 むっとしてりんねが言い返した。桜の気を引きたくて芝居じみたことをしている、と言われているようでしゃくにさわる。 「いつまでそうしているんだ。手をどけろ、十文字」 桜は額に手を当てて何か考えている様子だったが、ふと顔を上げた。 「ねえ。そのお面、私、どこかで見たことがあるかも」 続 |