管狐 1 昔、とある森で神隠しにあいました。 ほんの少し迷い込んだだけだと思っていた。なのに、帰って来てみると、一週間もの時が経っていました。 神隠し、と言われても、にわかには信じがたかった。 そんなこと、絵本の中のおとぎ話でしか有り得ないことだと思っていたから。 けれどあれ以来、私の目には普通の人の目には見えないものが見えるようになりました。耳には聞こるはずのない音が聞こえるようになりました。通学路にはいつも人魂がふわふわと漂っていて、身体の透けた幽霊があちこちを飛んでいる。彼らは時として、ランドセルを背負って歩く私に語りかけてさえきました。 正直、わずらわしくはあった。けれど、怖くはありませんでした。今まで見えなかったものが、見えるようになった。ただそれだけのことなのですから。 でも、そんな私にも、一つだけ怖いものがありました。 それは、――あの森です。 あれ以来、おばあちゃんの家がある田舎を訪ねても、あの「神隠しの森」にだけは決して近寄らなくなりました。 不思議でたまりません。私があの森について覚えていることといえば、頭の上にひろがっていた深緑の天蓋と、途中で不自然に途切れた轍、そしてその先にあった暗闇、ただそれだけなのに。 ……いいえ。 本当は知っています。 その暗闇こそが、私の怖れているものなのだと。 あの暗闇の奥からは、狐の啼く声がするのです。 こん、こん、こん。 指で狐を作った「誰か」が出て来ます。 狐のお面をもう片方の手にぶら下げています。 その人は、私に言います。 「いいですか。この森で名を呼ばれても、決して振り返ってはいけません。さもないと……」 あの森には、ひょっとすると、御狐様が棲んでいるのかもしれません。 続 |