Troika りんねにとって、いつもと変わらぬ放課後だった。七時限の授業を終え、掃除当番をこなし、百葉箱の依頼を果たした後は、クラブ棟に帰って造花をつくる。その一連の流れのすべてにおいて、ごく当たり前のように、彼のすぐ側に真宮桜がいる。それが何の変哲もない午後の光景だ。 偽物の薔薇をくるくる回しながら、りんねは机越しの彼女を一瞥した。ちょうどあちらも最後の造花を完成させたところらしい。視線に気付いて顔を上げ、花が綻ぶように微笑みかけてくる。途端にかっと頬が熱くなって、りんねは勢いよく後ずさった。桜が声を出して笑った。 「どうしたの、六道くん」 「な、なんでもない」 「そう?」 笑いかけられて恥ずかしかったから、などと言えるはずもなく、りんねは胡座をかいて落ち着きなさげに視線をさ迷わせた。そんな彼の様子に首を傾げながらも桜は造花を段ボールの中に入れ、鞄を肩にかけて立ち上がる。 「じゃ、私そろそろ帰るね」 え、とりんねは思わず未練がましく呟いてしまった。それが桜を振り返らせた。 「六道くん?」 心安らぐ放課後の終わりにはきまって「じゃあね」が訪れる。今日はそれがひどく名残惜しいように思えた。りんねは膝の上で拳を握り締め、桜をもう少しだけ長く側に留まらせる口実を考えた。不意に、大胆な考えが浮かんだ。 「真宮桜、――俺とデートしてくれないだろうか」 六文が定例会で不在だから、そういう大それたことを言えたのかもしれない。後日りんねはその時の自分をそう回想することになるが、今はとにかく思うままを口にしたまでだ。あとほんの少しだけでいいから、彼女に側にいてほしい。ただそれだけだった。 桜はさすがに驚きをあらわにした。けれど、次の瞬間には、本当に嬉しそうに破顔した。 「いいよ、もちろん」 しかし、りんねにとって念願叶っての「デート」は、なかなか首尾よくはいかなかった。まずはこの最悪にいいタイミングで訪れたライバル十文字翼を、そしてなぜか突然部屋の壁から現れた鳳を、そしてさらに騒ぎを聞き付けて乗り込んできた隣室のれんげを、まとめて蹴散らさねばならなかった。 「お前達、俺に一体何の恨みがある!」 うんざりしたりんねは桜の手を取って、邪魔な連中から逃走した。せっかく、あらん限りの勇気を振り絞って取り付けたデートの約束なのだ。他人から台なしにされたくはない。 「なんか私達、駆け落ちしてるみたいだね」 霊道を通っていると、桜が笑いながらそんなことを言ってきた。駆け落ちか、それも悪くないかも。現金にもりんねはそう思った。 こうなったらなにがなんでもデートしてみせてやらなければ。あの世に出ると、りんねは桜の手を引いたまま、後ろを振り返らずにただひたすら走った。背後からは追っ手の声が聞こえてくる。彼は焦ってきた。走っても飛んでもいずれ追い付かれるだろう。二人きりになれる場所は、一体どこにある。 前方から三頭立ての馬車、トロイカがやって来た。馬はまるで精巧な骨格標本のように、骨だけの姿で走っている。馬車には誰も乗っていない。通り過ぎざま、りんねは咄嗟の判断を下した。さながら姫君を守る騎士のごとく、桜を軽々と抱き上げる。そして無人の馬車に乗り込んだかと思うと、あっという間に元来た道を引き返し、追っ手を蹴散らした。そのままギャロップで走り続け、道の果てまで来ると、死せる馬はペガサスのように翼を生やして、黄泉の空へ飛翔した。 「うわー!すごい……!」 りんねの腕にしっかりとつかまったまま、みるみる小さくなっていく景色を見下ろして桜が歓声をあげた。 「見て、鳳達があんなに小さくなってる!」 このトロイカが速過ぎて、飛ぼうにも追い付けないらしい。 「戻ってからの仕返しが恐ろしいな」 苦笑するりんねだったが、お邪魔虫達を振り切った爽快感はたまらないものだった。 ともあれ、地上から何フィートも離れて、やっと二人きりになれた。 急な加速と減速を繰り返してトロイカが揺れる度に、りんねはごく自然に桜の肩を抱くことができた。そんな時には、桜もごく自然にりんねの肩に頭を預けた。元々口数の少ない彼は、こういう状況でどんな言葉を囁くのが良いのか、皆目見当がつかない。けれど恐らく、今は言葉は要らないのだった。言葉を使わずとも、きっと心に思うことは同じなのだから。 恋人と呼ぶにはまだ早いが、友人と呼ぶともはや物足りない。そんな少年と少女を乗せて、トロイカはひたすら霞にけぶる黄泉の空を駆ける。 end. |