重陽節






 その日の放課後、猫飯店に立ち寄った乱馬とあかねは、奇妙な光景を目の当たりにした。
「あいやー、乱馬!私に逢いに来てくれた、大歓喜!」
 いつものように擦り寄ってくる中国娘を必死で引きはがしつつ、乱馬は尋ねた。
「おい、今日は何か祭りでもあるのか?」
「うん…すごい数の菊よね」
 まだシャンプーに縋り付かれている乱馬に少しぴりぴりしながらもあかねは言い添える。店の中には所狭しと菊の鉢植えが置かれていて、目の前が黄色にけぶるようなのだ。
「祭りもなにも、今日は九月九日じゃろうが。重陽節の祝いじゃ」
 あかねの横にすっとムースが立った。「重陽節?」あかねが小首を傾げて聞き返す。
 重陽節――中華の陰陽五行思想に端を発する節句である。九月九日は陽における最大数「九」の重なる日であり、これは不吉とされたため、厄払いや長寿祈願として家屋に菊花を飾ったり菊花酒を飲んだりした。現在では転じて縁起のよい日とされている。
「重陽のお祝いに、これ、ひいばあちゃんにプレゼントするね。乱馬もほしいか?」
 シャンプーが手に持っていた羅紗を彼の目の前でひらひらさせた。それには見事な金色の菊の刺繍がなされている。
「へえー、器用だな。こんなもん、不器用なあかねにはぜってー縫えねえよ」
 あかねは憤然と乱馬の足を踏み付けた。
「失礼ね!あたしだって、裁縫くらい出来るんだからっ」
「まあまあ、落ち着くんじゃ天道あかね」
 足を押さえて悶絶している乱馬を尻目に、ムースは彼女を宥めた。
「おらが縫い方を教えてやるだ。おぬしなら、きっとすぐ出来る」
「えっ、本当に?」
 一転して目を輝かせたあかねに、ムースは不敵な笑みを浮かべた。引っ掛かりを覚えた乱馬はムースの手からなにやら怪しげな裁縫キットを奪う。
「おのれ乱馬!」
 袖の中で暗器をがちゃつかせるムースに肘鉄を食らわせ、シャンプーが中国語の説明書きに目を走らせる。
「『この裁縫キットで縫った菊を誰かにプレゼントすると、その方は重陽の日に途轍もない不幸に見舞われます』……こんなもの、一体どこで手に入れたね」
「ようするにムース、おめーはあかねを使ってこの俺を不幸にしようとしてたわけだな。いい度胸だぜ」
 憐れなアヒルがすっかり伸びている所へ、コロンがやって来た。
「なんじゃ、婿殿もおったのか。重陽の祝いに菊花酒でも飲んでゆくか?」
 盃に酒が注がれており、水面には菊が浮かんでいた。
「いや、俺はいいよ。未成年だし」
「なら家に持ち帰ってやるといい。親父殿に飲ませれば長寿の御利益があるやもしれぬからの。……じゃが、くれぐれもハッピーに飲ませるでないぞ」
 苦虫を噛み潰したような顔で言い足すコロンに、乱馬とあかねは思わず顔を見合わせて笑った。


「あのジジイが長生きなんぞしやがったら、最悪だな」
「ほーんと」
 重い酒壷を指一本で支えながら、乱馬はフェンスの上を難無く歩いてゆく。斜め下を一瞥すると、あかねが菊の小さな鉢植えをしげしげと見詰めていた。
「そういえば。シャンプーから貰ってこなかったのね、あれ」
 たった今思い出した、というようにあかねが言った。けれどずっとそれを考えていただろうことを乱馬は見抜いている。
「貰ってくれば良かったじゃない。厄除けの御利益があったかもよ?」
「いらねえよ、別に。おめーがくれるんだろ?」
 あかねがそろそろと顔を上げた。
「不器用なあたしには、あんなの出来っこないんじゃなかったっけ?」
「や、やってみなきゃわかんねーだろうが」
 それもそうね、とあかねは漸く笑顔をほころばせた。
「ねえ、知ってる?陰陽の考え方ではね、太陽が陽、月が陰なのと同じで、男の人が陽、女の人が陰なんだって」
「なんだよ、藪から棒に」
 通学路の向こうの落陽を見晴かしながら、あかねはどこか嬉しそうに言葉を続けた。
「陰と陽のバランスがとれてると、世界は平和になるんだって。どっちかが強すぎても、弱すぎても駄目なのよ」
「ふーん」
「あたし達も、案外バランスがとれてるのかもしれないわね。そう思わない?」
 そうだろうか。そうだったらいいなとは思うけれど。乱馬は赤く染まった頬を隠すように、慌てて上を見上げた。空にうっすらと月が見え始めていた。





end.



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