命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも - epilogue - | ナノ

命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも epilogue






 先程までとは違った空気を感じて、犬夜叉は袖の中からそろそろと顔を上げた。頭上で、街灯の明かりが点滅を繰り返している。車の走る音が、ごく近いところから聞こえてくる。立ち並ぶ家々からは、腹の虫が鳴るような夕飯の匂い、子供達の楽しそうな笑い声が溢れている。日が暮れても暗夜が訪れることのない、いつまでも明るく賑やかな、不夜の街。ああここは、かごめの暮らす世界なのだ、と彼は実感した。
「犬夜叉、ここ、どこ?私達、今度はどこに来ちゃったの?」
 犬夜叉の腕の中から、褪せた火鼠の衣をしっかりと被(かづ)いたまま、不安そうな声でかごめが聞いてきた。
「どこだと思う?――かごめ、俺がずっと、帰って来たかった場所だ」
 嬉しい。嬉しくて幸福でたまらない。高揚する心を、犬夜叉は抑えきれなかった。震える手でかごめの被衣を取り払う。それでもまだ固く目をつむる彼女と、屈んで額を突き合わせた。
「ねえねえ。そろそろ目、開けてもいい?」
 擽ったそうに肩を竦めながら、かごめが聞く。犬夜叉はふっと微笑み、軽く唇を触れ合ってから、彼女から離れた。

「い、犬夜叉、その格好…あんたどうしちゃったの?」
 大きな目を更に見開きながら、かごめが犬夜叉を指差した。犬夜叉は不思議に思いつつも、なにか違和感を覚えて自分の頭に触れた。犬耳がない。驚いて今度は爪を見ると、長かった爪が短くなっていた。背丈を越すほど長かった髪もすっかり短くなり、色が黒に変わっている。
「新月、じゃないはずよね…?」
 狐に包まれたような顔で、かごめは空を見上げた。月は満月に程近い形で、雲間に輝いている。
 犬夜叉に動揺はなかった。この先この世界でかごめと生きていくには、もしかしたら、妖怪の姿が足枷となったかもしれない。ならば人間の姿でいたほうが都合がいいだろう。己が半妖だろうが妖怪だろうが人間だろうが、彼にはもう頓着はないのだった。かごめの側にいるかぎり、彼は「犬夜叉」でいられるのだから。
「――犬耳のある俺じゃなきゃ、駄目か?」
 聞く前から、返ってくる答えは既に知っていた。かごめは屈託なく笑い、彼の欲しい答えを口にする。
「ううん。どんな姿でも、犬夜叉は犬夜叉だわ。――犬耳があってもなくても、私は犬夜叉が好き」
 犬夜叉は照れ隠しのように笑った。かごめも少しだけ頬を染めて、彼の肩を小突いた。ほんの一瞬、互いの目の端に光ったものを、二人とも見逃さなかった。

「ようやく、万事解決じゃな」
 青い狐火をまとった七宝が、住宅の屋根上からひょっこり顔をのぞかせて、やれやれと肩を竦めた。
 犬夜叉とかごめは、手を繋いで、街灯に照らし出された街路を並び歩いていく。が、ほんの数歩進んだ所で、野良犬にキャンキャンと吠えられた犬夜叉が、なにやら険悪な顔付きで立ち止まった。出来の悪い飼い犬を見るような目で犬夜叉を見ているかごめが、おかしくてならず、七宝は腹を抱えて笑った。おすわり、とでも言われたのか、突然犬夜叉が縮み上がったのが、また一段と笑えた。
「まったく。何百年経っても、世話のやける奴じゃ」
 七宝はふと、笑うのをやめた。不思議な感じがした。あれからもう五百年もの時が流れたなど、とても信じがたい。つい昨日まで、ここに弥勒がいて、珊瑚もいて、こうして皆で笑い合いながら、旅をしていたような気がした。目に見える景色も、肌に感じる空気も、あの頃とはまるっきり違うものなのに。
「そうか……おらも、歳をとったんじゃな」
 七宝は静かに笑った。先程犬夜叉達を見た時の笑いとは種類が違えど、それでもその笑顔は満ち足りていた。



 命あるかぎり側にいる。
 二人手をとり、色褪せぬ想いを抱きながら、この時を生きていこう。





「命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも」 end. 

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -