因果 ―後編― R-18 あれこれ悩む暇もなく、約束の日はあっという間に訪れた。まだ朝日が昇らないうちから、私は開け放った窓の向こう側を眺め、朝が来るのを今か今かと待ち侘びていた。 万が一千尋が来なかったとしても、彼女を恨むことは決してしない、と心に誓う。ここで一晩を過ごすことの意味を悟れぬほどに、千尋はもう幼くはない。しかし、結ばれてはいけない者同士が結ばれる罪を背負うことが出来るほど、成熟してもいないのだ。 道ならぬ恋であることは、もう十二分に分かり切っている。それでも私は、自分に嘘をつくことが出来ない。 「早く……私の所へ来ておくれ、千尋」 早く、早く。朝よ来い、きっと愛しい娘を引き連れて。遠くで輝く明けの明星に、私は切にそう祈った。 昼下がり、遠慮がちに戸を叩く音が聞こえた時、私は喜びのあまり卒倒するかと思った。 「――来ちゃった」 二年前に私が選んでやった古典柄の浴衣を着て、暑さにうっすらと汗ばんだ千尋は、私に笑いかけた。 「本当に…いいの?この部屋に入ってしまえばもう、後戻りはきかないよ」 最後の確認をとりながら、私は猛烈な喉の渇きを覚えていた。朝から氷を一杯入れた麦茶を、何杯も飲んだはずなのに。 千尋は真っ直ぐな眼差しで私を見詰め、頷いた。 「いいの。わたし、後悔なんてしない。だから――入れて?」 ぷつり、と糸が切れる音がした。おかしなものだ。何年もの間、何が何でもと死守してきた理性が、千尋の囁き一つで、こうもたやすく絶たれてしまうのだから。 私は千尋の手首を掴んで、鍵をかけるのももどかしく、部屋に引き入れた。壁に彼女の背を押し付けて、貪るように口付ける。千尋は馴れないながらも懸命に、私の求めに応じようとした。上気して桃色に色付いた頬を、汗が伝い落ちていく。 「……好きだ」 唇を離しては、また重ね。その合間に、まるで譫言のように繰り返し、思いを告げた。千尋はその度に、私の首に回した腕に更に力を篭める。 「血が繋がっていようと構わない。本当はずっと、こうしたかった――」 千尋は、今度は自分から唇を寄せてきた。まるで私に同調するかのように。 窓の向こうに目を遣る。夏空は透き通ったように青い。蝉がわが身を焦がすように鳴いている。窓辺には沢山の凌霄花が咲き乱れていた。視界がその鮮やかな色に烟るほどだった。 「ねえ。あれ…何ていう花?」 浅く息をつきながら、尋ねてくる千尋の耳元に、私は唇を寄せる。 「あれはね、凌霄花という花だよ」 「ノウゼンカズラ?」 「うん。とても寿命の長い花なんだ」 「――龍と同じくらい?」 私は驚愕に眼を見開いた。千尋は私に目配せをする。熱を帯びた眼差しで。 ああ…やはりそうなのか。私は熱くなった目頭を抑えた。千尋はあの不思議の街を、ハクという名の龍の少年を、決して忘れてなどいなかった。千尋もまた、胸の内に私と同じ思いを秘めていたのだ。それでも、何も言わずにずっと待ち続けていた――いつか近親相姦の禁忌を犯す覚悟を決めた私が、彼女に手を差し延べるその時を。 千尋はもうとっくの昔、おそらくは彼女の父親に伴われた私が荻野家の玄関口に現れたその時、既に腹を据えていたというのに。怖じけづき躊躇し続けていたのは――私の方だったのだ。 「千尋。私の名を、呼んでおくれ」 そして今一度、私に一線を越える勇気を与えてほしい――。 千尋はじっと、私を見詰めた。それから目に涙を浮かべながら、唇を微かに動かして、懐かしい名を呼んだ。 「ハク。ニギハヤミ……コハクヌシ」 その響きが全てを突き崩す。飴色に照る畳に、私は千尋を組み敷いた。散らばる髪、開けた裾から覗く白い腿がひどく扇情的だ。清らかな兄は深い澪に沈み、代わりに激しい雄の性が身体を熱くする。 私は自分の着ているものを脱ぎ捨て、千尋の浴衣を開けさせた。こうして裸で向き合えば、私達はもう、ただ一組の男女でしかない。血の繋がりなど、取るに足らぬものに過ぎないのだ。私は、自分にそう、言い聞かせる。 「――怖い?千尋」 「……少しだけ。でも、大丈夫」 怯えと期待の入り交じった目で、私を見上げる千尋。私は熱情を篭めて彼女を見下ろした。脚の間に集まる熱が、精神を徐々に蕩かしていく。 本当は私も怖い。けれどどうしようもなく、狂おしいほどに、この娘が欲しい。千尋の心も体も両方とも、欲しくて欲しくて堪らなくて。やる瀬ない、切ない。もうこれ以上は、耐えられない。 「ハク……来て」 夏の陽射しがあまりに眩しくて、空があまりに澄んでいて、凌霄花があまりに鮮やかで、眩暈がする。罪に罪を重ねる背徳は、千尋を刺し貫いたその瞬間、背中の痺れるような快楽に代わった。彼女の嬌声だけに耳を澄ませるように、私は固く目を閉じる。 まだまだ足りない。深く深く、もっと奥へ。業と因果の及ばぬ場所――誰も知らない処に、私は辿り着きたい。 「千尋、」 千尋が一際高い声を上げて、私の背に爪を突き立てた。同時に私も絶頂に達し、力尽きて、意識は混濁として渦巻く水の中に沈んでいった。 end. back |