近い未来







 ひんやりと肌に心地よい雲海を潜りぬけて、地上に向けて次第に下降していけば、すぐに目的地が見えた。

 立派な屋敷だった。平安朝を偲ばせる寝殿造りの建物を、幾つもの池が囲んでいる。池には太鼓橋が架かっている。金銀赤黒さまざまな色の鯉がその水中を回遊している。
 桃色の水干を着たハクの新妻は池の淵にしゃがみこんで、鯉たちに餌を与えていた。
「おかえりなさい、ハク!」
 そばに降り立って人身に戻ったハクに気づいた千尋は、餌の袋を池のなかに落として、広げられた腕の中に飛びこんだ。
 ハクは彼女を抱きしめながら数日ぶりの幸せを噛み締める。
「三日間も寂しい思いをさせてしまったね。許しておくれ」
「ううん、いいの。ハクはお仕事で大変なんだもん。そのくらい我慢するよ」
 そういって、千尋はコアラの子のようにぴったりとハクに抱き着いた。
 千尋は聞き分けのいい良妻だった。仕事でハクが家を何日も空けても文句ひとつ言わない。ただ黙々と、官女たちの手伝いをしたり、花の手入れをしたり、鯉に餌をやったりして、健気にハクの帰りを待っている。

 亡き川の水脈がまだ地下深くに残っていて、それをたどったところに小さな川をつくった。今、ハクはその川の主として、諸事に奔走している。
 新たに神を名乗るからには、近隣の水神龍神のみならず、風神、雷神、道祖神、八百万の神々に挨拶まわりをしなければならない。
 万事が片付き、晴れて神々の仲間入りを果たしたあかつきには、千尋とともに人間の世界へ帰るとハクはきめていた。
 
 千尋に客の伽をさせようとした湯婆婆がゆるせず、彼女の手をとりハクが油屋を飛び出したのはもう一年前のことだ。
 そしてこの屋敷は龍王の情けで貸し与えられた仮住まい。長くは暮らせない。
 それでもようやく人間の世界に帰るめどがついた。挨拶回りもじきに終わるのだ。

 肥えた鯉たちを見下ろしながらハクは微笑んだ。
「人間の世界に戻ったら、まずはそなたのご両親のところへご挨拶に伺わなければ」
 そうだね、と千尋はくすぐったそうに笑う。
「しばらく行方不明だった娘がいきなり帰って来て、しかも結婚したなんていったら、お父さんたちきっと驚くよねえ」
「うん。門前払いをくらっても、文句は言えないね」
 けれどそれが最後の関門と知っている。だからハクと千尋は互いの意思を確かめ合うように、強く手を握った。
「……むこうに帰ったら、小さな家を買おうね」
 屋敷を振り返りながら千尋が囁いた。うん、とハクは頷いた。
「こんなに大きくなくていい。ハクとわたしが住めれば十分だもん」
「うん。子供はどうする?」
「子供?子供はねえ…」
「二人?三人?四人?それとも五人がいい?」
「ご、五人はさすがに多いよっ」
 そうかい?とハクは不思議そうに首を傾げた。ああつくるつもりだな、と千尋は予感した。
「五人も産むなら、小さな家じゃだめかもね」
「そうだね」
 にこにこと笑いながら返されて千尋は脱力した。どうやらこの龍に皮肉は通じないらしい。





end.



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