──ひでえ匂いだ。
 怪訝な顔をしながら、あやかしの少年は、赤い袖で鼻を覆った。
 彼の目の前で、山村が轟々と音を立てて燃えている。炎の中に老若男女の死体がうずたかく積み上げられている。馬蹄が地を引っ掻く音と男達の哄笑が聞こえてくる。
 運の悪いことに、この村はたちの悪い盗賊に目を付けられたらしい。
 脆弱な人間の心にも夜叉がすんでいるということは、これまでの境涯で嫌というほど思い知らされてきたので、彼はほとほとうんざりしながら、一度は止めた歩みをふたたび前へと進めた。
 衣服を剥ぎ取られ、無惨に命を奪われた死体が、あちこちにごろごろと転がっている。おのれの鋭敏な嗅覚をのろいながら、しかめっ面の少年が血染めの道を進んでいくと、ふいにかたわらの粗末なあばら家から、女の悲鳴があがった。続いて何かを殴る鈍い音がきこえた。
「たすけて!」
「死にたくなけりゃ、大人しくしろっ」
 少年は舌打ちする。べつに人間を助けてやる義理などないのだが、立ち止まってしまったのに、このまま知らん顔で通り過ぎるというのも寝覚めが悪い。
 ぼろぼろの簾を散魂鉄爪で裂くと、上がり框のところで今まさに落花狼藉におよぼうとしていた盗賊が、飛び上がるように少女の身体から身を離した。側に置いていた刀をひっつかんで抜刀し、刃を少年へとむける。
「おのれ、あやかしか!」
 少年は鼻で笑いながら、爪をばきばきと鳴らした。
「てめえの方が、よっぽどあやかしだろうよ」
 そして盗賊に錆び刀を振り上げる隙すら与えずに、その身体に鋭い三本線を刻み込んだ。
 痛みに呻いて転げまわる盗賊から離れて、血飛沫を浴びた小袖の合わせ目を寄せたかと思うと、少女は突然苦しげな声をあげて、腹を抱えながら蹲った。
「な、なんだってんだ!?」
 少年は目を丸めて彼女に駆け寄り、はっとした。足と足の間から、水が流れ出す──破水していた。
「や、ややこが……」
「なっ、ガキが生まれるってのか!?」
 冗談じゃないと少年は青ざめたが、少女が虫の息で、水を汲んできてくださいとせがむので、頭で考えるより前にあばら家を飛び出していた。
 村の井戸はかれていたので、山を降りて川から水を汲んで、急ぎ戻ってきた時、赤子がちょうど産声を上げた。
 少女は赤子を抱きしめることなく死んだ。盗賊に傷付けられたのか、肩の切り傷から夥しい血が溢れ出していた。加えて出産の無理もたたったのだろう。
 臨月の少女を襲った愚劣な盗賊も、いつの間にか隅の方で事切れていた。
 ふたつの命が消えたあばら家の中で、猿のように真っ赤な赤子の、みずみずしい泣き声がわんわんと響いている。
 少年は呆然と、壁に背をつけて、そのままずるずると腰を落とした。
 ──ひどく生々しい錆の匂いが鼻をついた。
 生きていたもの、死んだもの、生まれたものの血の匂い。


 生まれた赤子は女児だった。少年はその赤子を、焼け残った家から見つけ出した無垢にくるみ、山麓の村のいちばん裕福そうな家の框に置いて去った。
 その赤子もやがては長じて子を生むことになるが、その子が「桔梗」と名付けられ、彼の運命の歯車を狂わせる宿命の巫女となって、彼のもとへ現れることになろうなど、少年には知る由もない。



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