落陽


(アニメ4話)

 
 赤々と燃え盛る太陽が、西に連なる山々の稜線に落ちていく。いつの間にか日暮れの刻(とき)がきていたらしい。時間を忘れてひたすらに走っていたから、まったく気が付かなかった。
 蓑のかぶり物をぐいと押し上げ、河了貂は隣を見遣った。疾風のように、みずからの隣を並び走る貴人。緋色の玉衣を痩身にまとい、宝剣を腰に差し、背には気の途絶えた下僕の少年を背負っている。身の丈にまだ幾分か幼さの残る、齢十四の少年。──彼こそが、この秦国の頂点に君臨する大王その人なのだ。
(しかし、随分と綺麗な顔をした王様だよなあ)
 ひらすらに前方を見据えて疾走する大王・政が気にも留めぬのをいいことに、貂はその竜顔をじろじろと無遠慮に眺め回した。どこからどう見ても、目鼻立ちのととのった、まごうことなき美丈夫である。
 そうして美貌の王に感心しているうちに、切れ長の瞳が横にすっと動いて、無遠慮な視線を正面から受け止めた。怜悧な瞳にほんの一瞬見据えられただけで、胸の裡に確かな緊張を覚えて、貂は思わず立ち止まる。王もまたそれに倣う。二人分の息遣いが止み、水をうったような静けさのなか、貂は、夜の帳が急速に降り始めたのを感じる。
「俺の顔になにかついているか、貂」
 凛とした声で政は訊いた。いやいやべつに、と貂は慌てて首を振る。
「なんでもないんだよ、本当に。ただ物珍しかったから、つい」
「物珍しい。俺の顔がか?」
 ほんのわずかに口の端を持ち上げて、政は笑った。
「だって、そりゃそうだろ。王様が、おれや信みたいなド平民に顔を見せることなんてこと、まず普通じゃ有り得ないんだし」
 それもそうだな、と政は頷く。自らの背に重みをあずけて昏々と眠る少年をちらりと見遣りながら。
「まーったく、信のやつ。王様に背負われるド平民がどこにいるってんだよ。いいご身分だぜ」
 なんとなくできてしまった間をつぎ合せるかのように、貂は大袈裟な身振りを加えて文句を垂れた。政は頬を伝う汗を袖口で拭い、背中の少年を背負いなおすと、
「……こうしていると、己がこの国の王であることを忘れるようだ」 
 西の稜線に消えゆく落陽を眺めながら、独りごとのように呟いた。貂は蓑をすっぽりと被り、目出し穴から彼と同じ方向を見詰めた。
「でも、あんたがこの国の王だ。そうだろ?」
 癖のない黒髪を揺らして、政は異形の民を見る。太陽が放つ最後の光がその顔に降り掛かる。
「──そうだ。俺が、この国の王だ」
 自分自身に言い聞かせるかのように、年若き王は言った。
「この先なにがあろうとも。たとえ力なき今、愚かな輩共に王座を奪われようとも。俺は決して諦めはしない。──落陽とは、時が経てばやがて再び昇るものだ」
 その眼差しは一段と力強かった。そしてその怜悧な面差しに、貂は確かに、覇王の相を見たと思った。




end.

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