風を伝える 時空の扉が閉じてから今日でちょうど千夜だった。 枯れ井戸の縁から身を乗り出して、暗い空間の奥底を覗き込みながら、犬夜叉は頭の中でそう勘定する。 今日は来るか、明日は来るか、明後日は来るかと首を長くして待ち侘びていても、分かたれた時が再びつながる気配は一向に感じられない。 ……かごめは何をしているだろう。 犬夜叉は井戸の縁に顎を乗せて、目を瞑り、遠くへ行ってしまった掛け替えのない少女に思いを馳せた。 家族と夕餉でもとっているのか。それともまた眉間に皺を寄せて小難しい書物でも読んでいるのか。忙しない日々の中でも時には自分のことを思い出してくれているだろうか。季節が一巡りするまでのほんの僅かな間、共に旅をした時のことを懐かしんでくれているだろうか。 犬夜叉自身はと言えば、思い出したり懐かしむことはなかった。なぜなら記憶はつねに意識の内に存在し、頭の片隅に追い遣られることがないから。 かごめが去ってから、ぼんやりと物思いに耽っていることが多くなった。気付けばいつも彼女との思い出に閉じ篭っているからだ。そこから抜け出すことができないからだ。 犬夜叉は身を起こし、井戸の奥底によく通る声で名を呼び掛けた。しかし、闇が同じ声を寒々しく返して寄越すだけで、今日もまた返事なない。 ……孤独だと思った。桔梗やかごめに出逢うよりも前、独りで戦乱の狭間を生き抜いていた時よりも、更に孤独だと思った。 誰かと喜怒哀楽を分け合うことを知ってしまったゆえに、独りきりで感じる喜びなど半分にも満たず、哀しみは倍以上に腫れ上がって彼を苦しめた。そして、行き場のない苦しみを仲間達には決して曝け出すことができずに、ひたすら胸の裡に蟠らせていた。この苦しみを癒すことができるのはただ一人と分かっているから。 犬夜叉は井戸の側に蹲り、苦行に耐え抜く気力をもとめて愛刀を抱き締めた。あるじの気落ちを悟った刀は、彼の掌に確かな脈動を感じさせた。 木々の間を夜風が通り抜ける。犬夜叉の銀髪を中空におどらせ、面を上げさせ、枯れ枝から奪い取った病葉とともに井戸の底へ吸い込まれていく。 いつかこの風がかごめのもとに届いて、それに気付いた彼女が出処を辿ってくるその時まで、彼はきっと何度でもこの井戸を訪れるだろう。 犬夜叉は草の上に仰向けになった。夜風で揺れる木々の枝の間に一際大粒の星が輝いていて、掴み取ってきていつかかごめに見せてやりたいなとふと思った。 end. back |