taxi 龍が恋人というのは実に便利なものだ。 講義に遅れそうになれば、彼は背に千尋を乗せて、大学まで一飛びしてくれる。時間にしてわずか数分程度。いつも電車とバスを乗り継いで、通学に一時間半もの時間を掛けているのが馬鹿らしく思えてくる。かと言って毎日彼の背に甘えるわけにはいかないので、そんなことは口には出さないけれど。 今日もうっかり朝寝坊をしてしまい、トーストの端っこを齧りながら慌ただしく支度をする千尋を見かねて、ハクは彼女を学校まで送ってくれた。 快晴の空は雲一つないので、龍の姿で飛ぶところを人々に見られてしまう恐れがあり、彼は自分自身に魔法をかけて姿を隠さなければならなかった。 講義前に大学に到着できたことは嬉しい。けれど、出勤前にそのように手間をかけさせてしまったことに、千尋は気が咎めていた。 「いつもいつもごめんね、ハク。明日からはちゃんと早起きできるように頑張るから」 大学の裏庭に降り立ち、人の姿に戻ったハクに千尋は申し訳なさそうに言った。 ワイシャツの襟元を正しながら、ハクはいたずらっぽく笑った。 「千尋は本当に朝に弱いね。目覚まし時計が鳴ったら、四つとも全て止めて二度寝してしまったんだよ」 「うっ……その時に起こしてくれたらよかったのに!」 それもそうだけど、とハクは肩をすくめる。 「許しておくれ。そなたの寝顔がかわいらしくて、起こすのが忍びなかったんだ」 千尋の唇の端に、パンくずがついているのを指でとってやると、ハクはくすくすと笑った。千尋は顔を真っ赤にした。 「ちょっと、わたしの寝顔なんか見てたの?」 「うん。そうしたらうっかり時間を忘れてしまったよ。千尋のことなら、一日中見ていても足りないくらいだからね」 「……どうしてそういうことをさらっと言うかなあ」 「本当のことを言っているだけだよ。さて……」 そろそろ行かなければ、とハクは腕時計を見下ろしながら名残惜しそうに言った。外つ国の恋人達がするように、千尋を抱き締めて「行ってくるよ」と告げる。千尋はハクのネクタイの結び目を整えてやり、「行ってらっしゃい」と返した。 フェンス越しの舗装路を、白いタクシーが通り過ぎていった。 ……そう言えば、ハクってタクシーみたいね。 などと千尋が内心で思っていると、それが伝わったのだろう、踵を返しかけたハクは眉を少し動かした。 「千尋、こっちを向いて」 振り向きざま、千尋の唇にハクの唇が重なった。 不意打ちを食らって固まる千尋に、ハクは目を微かに細め、運賃をいただいたよと、いたずらっぽく笑った。 end. back |