人間の生死は月の満ち欠けに影響されるという迷信がある。
 望の夜には、潮が満ちると共に多くの生命が与えられ、朔の夜には、潮が引くと共に多くの生命が奪われていく。


 月の欠けた暗夜だった。星ひとつ瞬くことのない闇空から、りんねは眼下に広がる夜景を見下ろしている。
 夜空の静寂を打ち砕く喧騒が聞こえてくる。
 世界で最も人々の密集する都市、東京。無数のカーライトや極彩色のネオンがちかちかと光を放っている。この都市一体が、眠りにつくことを知らない不夜城だった。
 あたかも天と地とが逆転したかのような光景に、一瞬りんねは眩暈を覚える。
 今宵は六文が不在である。このような刻限では桜が同行しているはずもない。りんねはたった一人、暗夜に取り残された気分になる。
「人恋しくなったか?俺らしくもない」
 とりんねは自嘲した。こんな風に、時折心細いと感じるようになったのは、つい最近のことだ。
 心境の変化がもたらされたのは、桜に出逢ったからだと彼は思っている。それまではむしろ孤独と静寂を好んでいたはずだった。
「真宮桜」
 呟いてりんねはふっと笑い、自分に呆れたように首を振る。
 こうして彼女のことを考え出すと、どんどん深みにはまってしまうのできりがない。仕事中であることを思い出して、りんねは気を取り直した。
 視界を隼のように横切った黒い影を見逃さず、りんねは鎌を薙ぐ。三日月型の刃先が一閃する。
 断末魔の叫びすら上げず、堕落した死神は闇の中へ静かに消滅していく。
 りんねは鎌を再び肩に担ぎ、溜息をついた。
 ──新月の夜は堕魔死神の行動が活発になるので、死神が見張りをしなければならない。
 月が欠けるその夜、人々の魂は脆弱になり、いともたやすく魔に引き寄せられてしまう。狡猾な彼等はその絶好の機会を逃さず、こうして人々の魂を狩りにやって来るのだ。
 冥途へいざなうために。
 許し難い蛮行だとりんねは思う。
 そしてその親玉と同じ血が自分の中に流れていると思うと、血の気がすっと引いていく思いがする。
 ──月の引力によって潮が引いていくように。
 またしても微かな眩暈を覚え、ふらついた身体を立て直したりんねは唇を噛んだ。
 自分もまた引き寄せられようとしているのだろうか。目には見えない月の引力に。
 りんねは自分の頬を軽く平手打つ。
「いかんな、今夜はどうも消極的になってしまう」
 気を取り直すように、楽しいことを考えた。この朔が明けたら朝が来る。学校へ行けばまた真宮桜に会える。今夜の土産話でもしてみようか。そうしよう。
 りんねはわずかに心躍らせながら、夜明けに思いを馳せた。
 眩暈が見舞うことはもうなかった。
 

 朔が去りゆけば今度は上弦が現れる。
 そうして月は満ち欠けを繰り返し、人々の魂を翻弄する。



end.

(2012 Mar - Apr Clap)

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