命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも - 19 - | ナノ

命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも 19



 突然現れた犬夜叉に問答無用で殴り倒された男は、よろよろと立ち上がり、岩壁に身体を凭れた。手で打たれた頬を押さえながら、挑むような瞳で彼を睨み上げる。
 眉をつり上げ、再び拳を振り上げようとする犬夜叉を、ぎょっとした七宝が後ろから羽交い締めにした。
「い、犬夜叉、落ち着くんじゃっ」
「放せ、七宝」
「じゃが、まずは話を…」
「放せっつってんだろ!」
 犬夜叉は縛めを振り切って、自分の似姿をとる男の胸倉を掴み上げた。男の挑発の眼差しは揺るぎない。
「てめえ、黄金だな」
「……」
「俺の姿に化けるなんざ、悪趣味な真似しやがって……かごめに一体何をした」
「……」
「言え!」
 洞窟に轟く怒号に恐れをなした蝙蝠達が、彼等の頭上を飛び立っていった。それでもなお、黄金は怯んだ様子を微塵も見せぬどころか、薄笑いすら浮かべている。
「怒りをお収めください、犬夜叉様」
「なんだと?」
「……たかが人間の小娘の魂一つ。その程度のものを奪い取ったところで、あなたのような尊い方には取るに足りぬこと」
 完全に頭に血が上った犬夜叉は、固く握った拳を、自分と瓜二つの頬に容赦無く振り下ろした。
 黄金は銀髪を殴られた頬に降り掛からせ、ゆっくりと犬夜叉を見上げると、またしても薄く笑う。
 犬夜叉の背後で彼をとめかねておろおろしていた七宝は、黄金のその表情に、えも言われぬ悪寒を覚える。
「……何がどうなっているの?」
 と、岩壁に寄り掛かったまま、未だ状況を把握しかねて茫然としているのはかごめである。全く同じ容姿をした二人が、一方は烈火の如く怒り、他方は─犬夜叉は黄金と呼んでいたが─止水の如く落ち着き払っている。彼女から魂を搾り取った張本人だ。
「黄金さん……どうして、あなたがこんなことを」
 聞き付けた黄金が彼女の方を振り向き、口角を更に持ち上げた。途端、髪がするすると短くなり始め、色は月から太陽のそれへと変色していった。
「犬夜叉様には生きていただかなければならない。どんなことをしてでも」
「どうして…」
「どうして、ですか。理由など単純明快です。この方が地上において、我々の」
 その時初めて、淡々としていた黄金の声が微かに震えた。
「──妖犬族最後の生き残りだからです」
 
 犬夜叉は俯いて歯軋りをした。黄金の胸倉を掴む左手が震えている。
「それが、なんだってんだ?」
 一同の視線が彼に集まる。
「妖犬の生き残りだから、何をしても生き続けろってか」
「……犬夜叉様」
「だから、五百年待ち焦がれた女の魂までも食えってか。そこまで落ちろってか。ふざけんじゃねえよ」
 口調の激しさに反して、犬夜叉の瞳は落ち着きを取り戻し始めていた。
「黄金、てめえは俺のことを何も分かっちゃいねえ」
「……」
「この五百年──俺は、自分の為に生き延びたかったわけじゃねえんだ」
 犬夜叉は黄金の胸倉を掴んでいた手を離すと、かごめの方に歩み寄ってゆき、彼女の前で膝をついた。目を開けているのが億劫そうだったが、それでもかごめは真っ直ぐに犬夜叉を見詰めた。犬夜叉も彼女を見詰め返した。
「かごめ」
 犬夜叉は、冷たく青白いかごめの頬をそっと撫で、空蝉になりかけた軽い身体を抱き締める。
「全部、お前の為だった」
「犬夜叉……」
「……もう一度かごめに逢いたかったんだ。それだけだ。他に理由なんてねえ」
 かごめは目を閉じて頷いた。目の端から溢れた涙が、水干に滲んでいった。
「かごめがいなくなったら、何の意味もねえんだよ」
 静かに、しかしきっぱりとした物言いで、犬夜叉は言い切った。
「かごめの魂を食って生きるくらいなら、俺は死んだほうがましだ」

 黄金が岩壁に手をついて、のろのろと立ち上がった。懐に手をいれながら、肩を震わせて、冷ややかに笑っている。
「……つくづく邪魔な小娘だ」
 懐から覗いたその手には、鋭利な刃物が握られていた。犬夜叉の瞳に緊張が過ぎった。咄嗟の判断で、彼はかごめを袖の中に覆い隠す。
 黄金が懐刀を投げたのと、横から放たれた七宝の妖術がそれを逸らしたのとは、ほんの僅差だった。
「おのれ、妖狐め」
 屈折した懐刀が七宝の足元に落ちたのを見て、黄金は苦虫を噛んだような顔をした。
 まだ暴れる刀を足で踏み付け、七宝が柳眉をつり上げる。
「犬夜叉とかごめを傷つける奴は、おらが許さんぞ!」
 青い狐火がめらめらと燃え上がる。その先端が縄のようにしなり、黄金の手首に巻き付いた。そのまま岩壁に縛められた黄金の瞳は、憎しみに燃えていた。
「お前に対抗するために、おらは何百年も修業を積んできたんじゃ。あの結界に締め出された日からずっと」
 七宝の瞳もまた、怒りに燃えていた。
「逃がしはせん。今日こそは、大事な仲間を返してもらう!」
 決然とした声が洞窟にこだました。犬夜叉とかごめは抱き締め合ったまま顔を見合わせた。二人とも、心の底から何か熱いものがこみ上げ、互いから慌てて目を逸らした。
 黄金が苦々しい表情で言う。
「妖狐め、どうあっても邪魔をする気か。……だがじきに白銀が来る。幾ら修業を積んだとて、そなたの力では我々の結界に敵うまい」
 七宝はぴくりと片眉を動かした。そして突然洞窟の入口を振り返り、現れた人影を指差した。幾つもの炎の縄がその方向に伸びた。が、捕らえる刹那にその人物を通り抜けた。
「白銀か?」
 黄金が嬉々として言った。その少年は洞窟の入口から進み入ると、術が効かなかったことに驚く七宝と、壁に縛められている黄金と、身を寄せ合っている犬夜叉とかごめを、冷静に見渡した。
「白銀、妖狐の術を解いてくれ。結界を張り、この邪魔者を追い出さねば」
「……それは出来ない」
 白銀が首を小さく横に振った。黄金は肩透かしを食らった顔をした。
「出来ないとはどういう意味だ?」
「言った通りの意味だ。私はもう妖狐殿の術を解くことも、結界を張ることも出来ない」
 黄金は呆然とした。徐々に、その顔に怒りが満ちた。
「そなた、よもやあの屏風を……燃やしたのではあるまいな」
 白銀は微かな笑みをこぼした。そして、話を飲み込めずに揃って怪訝な顔をする犬夜叉とかごめを見遣り、呟いた。
「黄金。もう終わりにしないか」




To be continued 

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