ダモクレスの剣




 名を呼ばれた死神が、席から立ち上がった。
 盛大な拍手を背に受けても顔色ひとつ変えずに、きびきびと壇上に上がっていく。
 燃え盛る炎のような赤髪は、数多の異形が跋扈するこの世界ですらも非常に異質であり、見ている者の目を引いた。
 聞くところによれば、この死神は生粋の死神ではないらしい。人間の血が混ざっているという。混血だからこそ、あのように異質な容姿を与えられたのだろうか。
 壇上では彼の輝かしい業績が読み上げられた。
 長年死神界の悩みの種であった堕魔死神カンパニーを壊滅に追い込み、そこで悪業に従事していた堕魔死神たちを一掃したこと。画期的な死神道具の開発に手を貸したこと。今日までに、一万体もの不成仏霊を輪廻の輪へ送り届けたこと。
 その死神としての揺るぎない正義感と使命感、突出した浄霊の手腕を買われ、彼は名誉死神の称号を授けられた。若手としては異例の立身出世である。
 証書を受け取り、名誉死神達と握手を交わしていた彼は。
 ふと振り返り、客席の一角に視線を落とす。
 そしてほんの少しだけ、笑顔を見せた。
 その視線の先には、彼に向かって微笑みかける、人間の女子がいた。


 クラブ棟の一室にクラッカーの軽快な音が弾けた。
 色とりどりのカラーテープにまみれたりんねが、肩をすくめて笑った。
「おめでとう六道くん。さすがだね、名誉死神なんてすごいよ」
「この歳で名誉死神に選ばれるなんて、死神界の伝説に残りますよ!きっと」
 桜と六文からの賛辞に、会場では表立って喜びを表さなかったりんねも、今は素直に頬を染めている。
「ありがとう。と言っても、俺だけの力ではないんだがな」
「そんなことないよー。六道くん自身がどんな状況でも頑張ってきたから、その努力が報われたんだよ」
「そうそう。謙遜しなくたっていいんですよ、りんね様」
 同調するように顔を見合わせ笑う桜と六文を見て、りんねは照れ隠しのように首の後ろに手を遣る。
「借金も完済出来たことですし、大出世も果たしたことですし。りんね様の先は明るいですよ、桜さま」
 これで安心ですね、と六文がにやにやしながら肘で桜の脇腹を小突いた。
 桜がきょとんとした顔をした反面、りんねは慌てておしゃべりな黒猫の口を塞いだ。
「ああ、そうだ!」
 大袈裟に何か思い出した素振りを演じてみせる。
「おばあちゃんの所に届けて欲しいものがあるんだった。六文、使いを頼まれてくれるか?」
「ふぐぐ…」
「口、塞がってるよ?」
 仕方なく開放する。
「ついさっき式で会ったばかりなんだがな。浮かれていたらつい渡すのを忘れてしまった」
 じろりと見てくる黒猫。厄介払いですかと視線が非難している。りんねは宥めるようになるべく優しく笑い掛ける。
「ま、いいでしょう」
 ふうと溜息こぼし、六文が折れた。
「その代わり、ごちそうはちゃんととっておいてくださいよ!」
 すまんな、と心の中で呟きながら、りんねは黒猫の頭を撫でた。

 
 折角二人きりになれたのに、中々話題を切り出せない。
 桜が大学受験について話しているのを聞きながら、ケーキのフォークをくわえたりんねは中空をぼうっと見詰めている。
 二人が出逢ってから二年になる。三年に進級し、とうとうクラスは別々になった。それでもこうして付き合いは続いているが、あくまで友達以上恋人未満のもどかしい関係に留まり続けている。
 だがこの先、桜が受験勉強に専念することで、疎遠になることもあるかもしれない。そろそろ潮時だとりんねは思っていた。だから、もう少し身辺が整ったら、いよいよ桜に思いを打ち明けようと決意していた。
 こつこつと貯めていた悪霊浄霊の賞金が満額に達し、借金完済を果たしたのはつい二週間前のことだ。それからが慌ただしかった。突然名誉死神に指名され、死神界を離れられなくなり、おかげで二週間学校を休む羽目になった。
 だからまだ告白を果たしていなかった。
 式典に桜を招待したのは、そのきっかけを掴むためだ。
「真宮桜。ひとつ、話があるんだが」
「ん?」
 ショートケーキの苺を頬張りながら、桜がりんねを見た。いつもと異なる姿に、ついどきりとする。小奇麗な桜色のワンピースを着て、髪をサイドアップにした彼女には、華があった。
「なに、話って」
「……」
「六道くん?」
 りんねははっと我に帰る。
「あ、ああ…話というのはだな」
「うん?」
「えっと……」
 告白とは想像以上に勇気のいる行動らしい。りんねは手に汗を握る。
「……借金を完済できたし、将来の目処もついた。だから、」
「だから?」
「だっだから、その……言いたかったことを、これでやっと言えると思うんだ」
「言いたかったこと?」
 ここまで来れば大体察しがつくものだろうが、どうにも天然気質らしい桜は首をひねるばかりである。
「で、何?言いたかったことって」
「……」
「六道くん?」
「……俺はお前のことが、す」
 色恋沙汰に疎い少年は、その先の言葉を頭の中に浮かべるだけで、耳たぶまで赤く染め上げた。
「す……」
 桜がじっと見詰めている。
 景気づけにオレンジジュースを一杯呷り、りんねは彼女の肩に震える手を添えた。
「……好きだ。真宮桜」
 桜の手からフォークがぽろりと落ちた。
「え?」
「……」
「今のってもしかして、告白?」
 やけに小さくなったりんねがこくりと頷く。
 彼女は何とも言えない表情をしたあと、先程りんねがそうしたように、紙コップのジュースを呷った。
 空になったコップを握り締め、照れ隠しのようにうつむくりんねの顔を覗き込む。
「だって、そういうことには興味ないって言ってたよね?」
「確かに言った、だが……」
「私、それをずっと真に受けてたんだけど」
 矛盾した言動に怒っているのかと心配しながら、りんねが遠慮がちに顔を上げると、意外にも桜は微笑んでいた。
「そっか。あれは本心じゃなかったんだね」
 よかった。
 と安堵の溜息をついて、彼女は胸に手を当てる。
「六道くん、私も同じ気持ちだよ」
 りんねは息を呑んだ。
 顔色を確かめるために、彼女の顔をまじまじと見下ろす。
「ほ、本当か」
「うん。多分、六道くんが気付くよりも前から」
 開いた掌を桜は穏やかな瞳で見詰める。
「一番最初に会った時、向こうの世界に連れていってくれたよね。あの時から、六道くんはもう他の人達とは違って見えてた。それから死神の仕事を頑張ってる六道くんを近くで見てるうちに、いつの間にか」
 好きになってたみたい。
 臆せずそう告げる桜に、りんねはかなわないなと思いながら、林檎色に染まった顔を手で覆った。
「……参りました。桜さん」
 

 架空のお使いから帰ってきた六文は、りんねの浮かれようを見て、事が首尾よく運んだことを察し、にやりと笑う。
「良かったですね、りんね様」
 こたつ机に頬を乗せたりんねが、微笑み返した。側で桜が笑いをこらえている。恐らく、こたつ布団の中に隠れたふたつの手は、しっかりと握られていることだろう。
 随分と見せ付けてくれるじゃないか。
 漠然とした悔しさを覚える。
 少しは除け者にされた仕返しをしてやらなければ気が済まないような気がして、六文は真面目くさった表情を作った。
「魂子さまから伝言がありますよ」
「おばあちゃんから?」
「──ダモクレスの剣」
 りんねはがばっと上半身を起こした。
 六文が大きな目を更に見開いて詰め寄っていく。
「いいですか。油断は大敵ですよ、りんね様」
「あ、ああ……」
「権力や幸福というのは、案外脆いものですからね。いつの間にか、一寸先が闇、ということもあるかもしれない」
「……」
「いいですね?どんな時でも謙虚なままでいることを、決して忘れてはいけませんよ」
 りんねはごくりと喉を鳴らして、頷いた。
 途端に六文が、小さく吹き出した。
「冗談ですよ、冗談」
「なっ……」
「真に受けてしまいましたか?」
「当たり前だろう!」
 驚かせるな、とりんねは悪知恵の働く黒猫の頬を抓った。
 しかし、こたつの中でつないだ手を握り締めながら、彼は思う。
 あって当たり前の幸福などどこにもない、それが真理なのだと。
 だからその教えを肝に命じておくことにしようと、心に深く刻み込むのだった。





end.


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