陽の当たる場所を歩く資格など Act.3 | ナノ

陽の当たる場所を歩く資格など Act.3



 ドラコは頭上に連なる黒曜石のシャンデリアに杖を向け、次々と明かりを灯していった。部屋に点在する調度の数々が、次第に増えていく青白い光の中で、輪郭を浮き立たせ始める。
 流れるような所作で杖を動かす彼を、ハーマイオニーはただ呆然と見詰めている。
「幽霊でも見ているような顔だな、グレンジャー」
 ちらりと振り返ったドラコが片眉を上げて、面白おかしそうに言った。
 彼女は震える脚を叱咤して立ち上がり、よろよろと彼の後ろ姿に近付いていくと、その背に強く抱き着いた。
 ドラコが息を呑む音がした。彼女はその背に顔を押し付けて、彼の腹部に回した腕に力を篭めてゆく。
「……グレンジャー?」
 彼が声を潜めて呼び掛けるも、答える声はない。
 しばらく後、彼女の身体が小さく震え始め、鼻を啜る音が聞こえてくると、彼は驚愕のあまり杖を床に落としてしまった。
「グ、グレンジャー…泣いているのか?」
「……」
「おい…」
「……マルフォイのバカ」
 ハーマイオニーが鼻を啜りながら呟いた。後ろを振り向かせまいと、抱き締める腕に益々力を篭める。それでもドラコが半ば無理矢理に身体の向きを変えると、今度はその胸元に顔を埋め、意地でもその表情を明かそうとはしなかった。
「どれほど心配したと思ってるのよ。し…死んじゃったかと思ったじゃない」
「グレンジャー、僕は……」
「バカ。マルフォイのバカイタチ。何の連絡もなしにいきなり消えるなんて、あんまりだわ」
 彼女は震える拳を振り上げ、ドラコの胸元に次々とぶつけた。彼はその手首を掴んで、そのまま壁際に彼女の背を押し付けた。それでも表情を見せまいと、頑なに俯いたままの彼女の心を絆すように、声に親愛を篭めて穏やかに呼び掛ける。
「……ハーマイオニー」
 不意を衝かれた彼女は、思わず顔を上げてしまった。
 ドラコは瞳を優しく細め、愛おしそうに彼女を見下ろしていた。
 それは学び舎を共にしていた頃から、彼女だけが知る彼の表情だった。懐かしさに心が締め付けられるようで、ハーマイオニーは服の上から心臓を押さえる。
 ──あの頃、敵同士を装わなければならなかった二人は、出会うたびに本心を頑丈な鎧で蔽い、冷淡な態度を取り合う他なかった。周囲の目がある中では、決して本心を悟られてはならなかった。二人の立つ場所があまりにも対極で、明かしたところで決して追い風など吹いてはくれないことを、聡明な二人は知っていたからだった。
 それでも二人きりになった時、ドラコは彼女だけには素の表情を明かしてくれた。血統正しき出自であることをひけらかし、そうでない者を見下しては嘲笑う少年。けれどその仮面をひとたび外してみれば、露わになった素顔は驚くほどに優しく、慈愛に溢れていたのだった。
 ……君を愛し続ける限り、僕は仮面を被り続けるよ。君やポッター達にとって嫌味な奴で居続けてみせる。この気持ちを隠すためにね。
 あの頃の彼はしきりにそんなことを言っていた。だからつらい言葉を浴びせなければならないのをどうか許してほしい、どうか耐えてほしい、と。
 けれど。
 彼女はいつしか耐えられなくなっていた。
 時を追うごとに、彼の愛情が更に深まっていく。
 それと同時に、敵同士を装わなければならない時と、二人きりで逢引する時との溝もまた、埋めがたいほどに深まっていくのが。
 太陽の下では穢れた血と嘲られ、月の下では愛しい人と囁かれる。その溝に彼女は嵌り、そして途方に暮れていた。
 やがてハーマイオニーは、その恋の深みから逃避するように、親友の一人に急速に心を傾かせ始めた。自分を装うことを知らない実直な男性の側に寄り添うのは、思いの外心地良かった。
 ドラコは、自分に背を向けた彼女を責めなかった。彼自身が、後戻りのきかない闇の道を歩み出していたから。そしてその光なき道を選んだ時点で、自分では彼女を幸せにしてやることは出来ないと悟ったから。
 ……ウィーズリーと幸せになれよ。
 彼が告げた最後の言葉がそれだった。以来彼は学び舎を永久に去り、闇に紛れ込んで姿を消してしまった。
 ──元を糺せば、この人が闇に落ちたのは、あの時心揺らいだ私のせいとしか思えない。もし私があのまま寄り添い続けていれば、闇の寸前で踏み止まらせることもできたかもしれないのに。
 そう考え出すと本当にきりがない。彼が姿を消した日からずっと。
 ハーマイオニーは、罪悪感に息を詰まらせた。
「そ、そんな目で…そんな優しい目で、私を見ないで」
「……どうして?」
「だって、相応しくないもの」
 彼女はまじり気のない涙を落としながら、項垂れた。
「あなたに優しくされる資格なんて、私には…ないわ」
「……」
「私はあなたを裏切った。あなたの愛情に背いたのよ」
 ハーマイオニーは手で顔を覆った。ドラコは黙って彼女の言葉に耳を傾けている。
「……狡いわよね、私って。深みに嵌るのが怖くて逃げたくせに、いざあなたを失ってみたら、とても後悔してしまったの。あのまま逃げ出さずにいたら、あなたは今でも私の側にいてくれたかしら、って」
 沈黙がその場を支配した。失神呪文をかけられた男達は床の上にのびたまま、微動だにしない。互いの息遣いだけが微かに聞こえてくる。
「……僕だって、君を裏切ったさ」
 ドラコが静かに口火を切った。
「君があれだけ闇勢力に関して忠告してくれていたのに、僕は最後の最後に踏み止まらなかった。いやむしろ…僕は自ら進んであの人達に加わったんだ。……何故だか分かるかい、ハーマイオニー」
 呼ばれて彼女は遠慮がちに顔を上げた。
 彼はその頬に掛かる髪を耳に掛けてやりながら、どこか悲しげな顔で告げた。
「君を忘れたかった」
「……」
「いっそのこと忘れてしまいたいと思った。……こんなにつらいなら」
 ドラコの声が微かに震えた。
「だから、あえて君に軽蔑される道を選んだ」
 闇の印が刻まれた左腕を、彼は力を込めて押さえる。 
「闇勢力に加われば、もう陽の当たる場所には戻れないと分かってた。でもそれで良かったんだ、僕には。正直もうどうでもよかった。君がいなければどうせ……光の中だろうが闇の中だろうが、どこを歩いてても同じだから」
「ドラコ……」
 ハーマイオニーは涙を流しながら、彼の頬にそっと触れた。彼はその手に自分の手を重ね、ぬくもりに感じ入るように目を閉じる。
「……でも駄目だった」
 その震える声のまま、ドラコは告げた。
「君を忘れることなんて…結局出来なかったよ」


 
 
To be continued


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