逢魔 - 2 - 正午過ぎに国道沿いのバス停でバスを降りた。なんとか車内で一眠りすることのできたりんねは、おかげで車酔いが大分覚めたらしく、顔色が元に戻っている。 その後自然公園などのちょっとした観光スポットを回って楽しみ、食べ損ねた桜の弁当で空腹を満たしたことで、すっかり体調は万全になったようだった。 深緑に覆われた山道を半刻ほど時間をかけて登り、目的地の六遠寺の門前に到着した時には、桜の腕時計がじきに午後四時を告げようとしていた。 「墓地はあっちだ。行こう」 寺の周囲に生えている菩提樹や銀杏の木々を眺めていた桜に、柄杓と菊花を入れた手桶を下げたりんねが、もう片方の手で手招きした。 桜は名残惜しげに寺を振り返りながら尋ねる。 「六道くん、なんか急いでる?」 「え?」 「さっきからやけに早足だし。もしかして早く帰らなくちゃいけない用事でもあった?」 「いや…別にそんなことは」 どうも歯切れが悪いところに引っかかりを覚えながらも、それ以上踏み込むことはせず、以降桜は黙って彼の後に続いた。 山奥の墓地は寂れていた。これといって盆や彼岸の時期というわけでもないせいか、訪れる人の姿は全く見当たらない。 りんねはひとつの墓石の前で立ち止まると、手桶を置いて合掌し、暫しの間瞑目した。それからジャージの袖を捲り上げ、手馴れた様子で雑然とした墓石の周りを整頓し始める。 桜と六文も手を貸してやり、手桶の水を柄杓で掬って墓石にかけたり、菊花と菓子を供えたりした。 小一時間後には、長らく手つかずだっただろうかの幽霊の墓は、新品同然とまではいかなくとも、見違えるほどに整然として見えた。 最後にりんねが線香を灯し、手で扇いで火を消すと、それを香炉に立てて一息ついた。 「これで任務完了だな」 「よかったですねー!」 「これでおばあさんも一安心だね」 桜と六文も安堵の表情を見せた。ふと、りんねが隣の桜の腕を掴んで、手首を目線の高さに持ち上げた。腕時計を見て眉を僅かに顰める。 「もうじき五時になる。バスの時間に遅れないように、そろそろ山を降りたほうがいいな」 「そうだね。あんまり本数ないみたいだし」 桜は空を仰いだ。辺りが徐々に仄暗くなってきていた。山を登る前まではからりとした晴天だったはずなのに、いつの間にか雨を落としてきそうな暗雲が立ち篭めている。 桜の腕の中で、六文が突然ぶるっと身を震わせた。 「どうしたの?六文ちゃん」 「な、なんか今、すごーく寒気がしたんですけど」 「え?……そう?」 心霊現象のたぐいに慣れている桜だったが、特に何も感じない。彼女は咄嗟に隣のりんねを見た。彼は桜の腕を掴んだまま、警戒心を露わにした険しい眼差しで、急速に翳りの差し始めた墓地を見渡していた。 「……閉じ込められたかもしれないな」 りんねが低くつぶやいた。木々の間からは鴉達が揃って不吉な鳴き声を上げている。にわかに降り出した小雨が石畳の上に染みをつくっている。 「もしかして、悪霊の仕業?」 桜がりんねに身を寄せて、さすがに不安げな面持ちで尋ねた。りんねは答える代わりに、確かめる口調で訊いた。 「真宮桜、バスに乗る前に俺が渡した物だが…今も持っているな?」 「う、うん」 桜はスカートのポケットから、小さく折り畳まれた紙を取り出してみせた。りんねは安心した様子で頷いた。 「それは護符だ。それを持っている限り、お前が悪霊から狙われることはない。安心しろ」 「護符?」 桜はりんねの方を向いて目を瞠った。 「どうして護符なんて、わざわざ」 「用心に越したことはないと思ったんだ。墓地というのは悪霊の巣窟だからな。お前のように霊視能力のある人間は、得てして狙われやすい」 桜は引っかかりを覚えて首を傾げた。墓地が危険というのなら、毎日のように行っている霊界はどうなる。幽霊だらけの向こうの世界の方が余程危険に満ち溢れているはずだ。 わざわざ前もって値の張るだろう護符という魔除けを用意しておくほどに、この墓地を警戒していたとは、一体どういうことだろう。 しかし桜はそれ以上の詮索をやめた。否、やめざるを得なかった。 太陽が雲間に隠れ、誰そ彼時──逢魔が刻が訪れると同時に。 どこかから微かな歌声が聞こえてきたのだ。 六道輪廻の間には ともなう人もなかりけり 独り生まれて独り死す 生死の道こそ悲しけれ 「りんね様、危ないっ!」 六文が悲鳴のような声を上げた。りんねは耳を抑えてよろけるように数歩引き下がった。 桜は息を呑んだ。 身体の透けた少女がりんねの背中に抱き着いて、笑っている。 「逢いに来てくださった。ああ…嬉しい」 雲間に雷鳴が轟き渡った。 間を置かずに盥を引っ繰り返したような雨が落ちてきて、一定の距離を置いて立ち尽くすりんねと桜に降り注いだ。 二人は途方に暮れたように互いを見詰め合った。 To be continued back |