白妙 - Extra Chapter -
「過労ですよ、りんね様」
心配そうな六文の言葉に、凝った肩を回していたりんねは仏頂面になる。
「そんなことはない」
「そんなことありますよ。働き過ぎは、身体に毒です」
「自分の身体のことは自分が一番良く分かっている。俺なら、大丈夫だ」
「全然分かってないですよ。今日だって、どれくらい捌いたと思ってるんです?」
いちいち覚えてない、とりんねは鎌を担ぎ直してそっぽを向く。強情な主人に、六文は呆れて溜息をついた。
「一体何を焦っているんですか?りんね様」
「は?」
「高校をご卒業なさってからもう一年が経ちますけど、思えばあの頃からずっと働きつめじゃないですか。何かに憑かれたみたいに」
「……」
「高額賞金が懸けられている悪霊を毎日立て続けに浄霊するなんて、相当骨の折れる仕事ですよ。借金を完済したい気持ちは分かりますけど。──もう少しご自分の身体を大事になさってくださいよ」
りんねはだまってもう片方の手に持っている白妙【しろたえ】の枝を見下ろした。三途の川のほとりに生えていた木から、失敬してきたものだ。花が好きな桜のために、仕事帰りに時折こうして手土産を持ち帰っていた。
「負債を帳消しにしたい気持ちは確かにあるが──。そんなに焦っているように見えるだろうか、俺は」
今はじめて気付いた、というように呟くりんねに、六文は唇をとがらせる。
「じゅうぶんそう見えます。無理をしてるんじゃないかって、桜さまも心配なさってましたよ」
「真宮桜が?」
桜のこととなると、りんねは過剰に反応する。しゅんと縮こまり、それは悪いことをした、と呟いた。
自分が言った時にはあんなに頑固だったくせに。六文は少し恨めしく思いつつも、恋人のことで一喜一憂する主人の微笑ましさには、どうにもかなわない。
「りんね様って、桜さまが具合が悪かったり疲れていらっしゃる時には、すぐに分かるじゃないですか。なのに、ご自分のことには本当に無頓着なんですよね」
これも桜さまからの受け売りですけど、と六文は笑った。りんねは照れくさそうに顔を背ける。
「それはお互い様だ。彼女だって、自分のことにはまるで頓着がないじゃないか」
「そうでしょうか?」
りんねは力いっぱい頷く。
「大学とバイトで疲れているだろうに、早起きして弁当を作ってくれるし。先に寝ていろと言っているのに、俺が帰ってくるまで起きて待っているし。休みの日は、俺について死神界まで来ようとするし……」
だんだんとりんねの表情が和らいでいく。桜のことを語る時のりんねは、いつもそうだった。仕事をしているときの真剣な顔付きとはまるで違う。このうえなく安らかで、幸せそうな顔を見せるのだ。
霊道の向かい風に揺れる白妙の花を、りんねは大事そうに見つめた。
「あれほど俺の身を案じてくれる人が他にいるだろうか。俺はよほどの果報者なんだろうな、六文」
ああ、やってられないや、とばかりに黒猫は首を振った。
「こういうのを、世間ではバカップルっていうんでしょうねえ」
「……バカップル?俺と、真宮桜が?」
こそばゆそうに、りんねはぎこちなく聞き返した。そんなことないだろう、と呟き返す。とはいえまんざらでもなさそうだ。さり気なく彼の背後に回っていた六文は、にやにや笑う。
「そうです、よっ!」
化け猫に転じた六文は、りんねの無防備な背に思い切り体当たりした。りんねは霊道から盛大に弾き出され、何か柔らかいものの上に、どさっと音を立てて倒れ込んだ。
「えっ、六道くん?」
りんねの肩がびくりと跳ね上がった。愛用の花柄のエプロンを着た桜が、フローリングで彼の下敷きになっている。そこはまぎれもなく、見馴れた二人の部屋だ。
事態を把握するのに、りんねの頭は数秒の時間を要した。やっと、自分達が際どい体勢でいることを自覚すると、顔に一気に熱が集まった。
「す、すまんっ!」
りんねは彼女の上から素早く退いた。あわてて桜のことを助け起こしてやった。彼女は頬を手のひらで包み込んで、フローリングを見下ろした。二人とも、相手を正視することができなかった。
壁に掛かる時計が、秒針を刻む。桜は胸に手を当てて深呼吸をした。
「大丈夫、気にしないで。──ちょっと、びっくりしただけ」
フローリングに落ちていた花の枝を拾い上げた。ふわり、と優しい微笑が口元に浮かぶ。
「おかえりなさい、六道くん」
りんねも、顔から火が出そうになりながら、ただいまと返した。
end.
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