行き触れ  - Epilogue -



 厳しい冬に耐え抜いた街は、うららかな春の陽気に包まれていた。待ち合わせの公園のベンチで、桜は心地良さそうに背伸びをする。
「桜おねえさーん!」
 あくびを噛み殺して、桜は振り返った。砂場で遊んでいた幼稚園児が数人、砂まみれのチュニックをふくらませながら、駆け寄ってくる。
「みんなこんにちは。今日も元気?」
「うんっ!」
 園児たちが声を揃えた。桜にとっては、すっかり顔馴染みとなっている子供たちだ。
「今日もデートの待ち合わせ?」
 にやにやしながらくせ毛の少年が尋ねた。桜はふふっと口元に手を当てて笑う。
「おませさんだね、ユウタくん」
「ああーっ、やっぱりそうなんだ」
 少年はつんと唇を尖らせて、いじけたように足元の小石を蹴った。
「ちぇっ、ぼくがあと十年くらい早く生まれてたらなあ」
 すると、手を繋いでいる少年と少女がくすくすと笑った。
「だめだよー、ユウタくん。おねえさんには、りんねおにいさんがいるんだもん」
「うんうん。そうだよね?桜おねえさん」
 少年が涼しげな目元を細めて桜を見た。桜は奇妙な感覚に見舞われた。歳に合わず妙に大人びた子だ。そしておかしなことに、その居住まいに既視感を覚えた。
「ねえ、もしかして前にもどこかで会ったかな?」
 桜は首を傾げる。少年と少女は意味ありげに目配せをすると、花開くような笑顔をこぼした。
「さあ?もしかすると、会ったかもしれないね」
「うーん、やっぱり?」
 確かにどこかでこの二人と出会っているような気がする。けれど、いつどこで?どうしても思い出せない。ひょっとすると、他人の空似かもしれなかった。そう結論づけて、桜は記憶をたどるのを中断した。
「遅れてすまない!」
 背後から声が聞こえたのはほぼ同時だった。羽織を脱いだりんねが少し息を切らしながら、申し訳なさそうな表情をしていた。
「ここに来る途中、不成仏霊を見つけてしまって。どうも話の長いご老人だったものだから、遅くなってしまった」
 園児たちがわっとはやし立てた。
「わーい、デートデート!」
「おにいさん、おねえさんにチュウしないの?」
「こら、羽織を引っ張るな!──相変わらず、ませた園児たちだな」
 りんねがやれやれといった顔つきで首を振る。これが彼なりの照れ隠しなのだった。
「きみたち、お楽しみのところすまないが」
 はしゃいでいた園児たちが静まった。彼らの目線の高さにあわせて、りんねはしゃがみこむ。
「今日は大事な話をしなければならないんだ。だから、どうか二人きりにしてもらえないだろうか?」
「大事な話?」
 桜は目をみはった。そんなことは、寝耳に水だった。
「それ、どんな話?」
「ふ、二人きりになったら、話す」
 りんねはあわてて取り繕った。珍しいことに、緊張しているようだ。
 すると、手を繋いでいる少年と少女が、何か事情を察したのかもしれない。仲間たちの気を逸らすように、声を張り上げた。
「ねえ、みんな!次はあっちで遊ばない?」
「ブランコで競争しようよ。一番高くこげた人が、勝ちね!」
 競争、という言葉に子供たちは瞳を輝かせた。
「うん、そうだね!」
「やるやる!」
「よーし、ぼくが一番になるぞ!」
 我先にと駆けていく仲間たちに続く少年と少女が、走り去る間際にりんねと桜を振り返った。桜に向かって、少女がウインクをした。りんねには、少年が「頑張ってね」と意味ありげな励ましを投げかけた。
「頑張ってって、何を?」
 また首を傾げる桜。りんねは軽く咳払いをして、
「真宮桜」
 園児たちが消えていった方を眺めていた桜は、視線を戻した。途端に、むせ返るような花の香りが、彼女の鼻腔を満たした。
 目をパチパチとさせる。
真紅の薔薇の花束が、目の前に差し出されていた。
 りんねが地に片膝をついて、深々と頭を下げている。
「昨日、借金を完済してきた。おやじがもう二度と勝手に俺を保証人にできないように、手続きも済ませてきた」
「そうなんだ……?」
「ああ。卒業から随分待たせたけど、これでやっと言える」
 大きな花束を震える手で受け取りながら、桜はすでに涙が出そうになるのを堪えるので精一杯だった。
 高校時代、りんねはよく造花作りの内職をして食いつないでいたものだった。桜も手伝ったことがあり、造花は見飽きている。けれど、今彼女の目の前にあるのは、まぎれもなく本物の花だった。
「桜」
 彼女ははっとして顔を上げた。付き合ってからも、一度も名前で呼ばれたことはなかったのに。負債というしがらみから解き放たれたことで、彼の中でやっと区切りが付いたのだろう。
 りんねはおもむろに、ポケットに手を入れた。掴み取ったものを、桜の目の前で開いてみせる。
プラチナの指輪が、春の日差しを受けて光のつぶをまとったようにきらめいていた。
「これからもずっとそばにいてほしい。──俺と、結婚してください」




end.


「行き触れ」はこれにて完結となります
長々とした連載にお付き合い頂きありがとうございました…!

(連載期間 11.12.04 - 12.03.27)
(改稿 15.03.24)




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