行き触れ  - Chapter 17 -



 恋人達を輪廻の輪へ送り出すと、りんねは桜を連れてあの世の空を飛んだ。しばらく空を漂っていると、あの桜の木がある場所に行き着いた。その木をめがけて、ゆっくりと下降していく。りんねは木に向かって歩いていくと、根元に腰を下ろした。後からついてきた桜を見上げて、隣をぽんぽんと叩いた。桜はそこに腰かけ、膝を抱えた。さわさわと心地よいそよ風が、二人の頭上から花びらを降らせた。
「なんだかこの木、さっき来たときよりも元気になったみたい」
 頭上を覆い尽くす花の天蓋を、桜は見上げる。
「きっと、あの人が成仏できたからだね。よかった」
 りんねからの反応がない。不思議に思った桜は、隣を見た。
彼が草の上に手をついて、彼女に深々と頭を下げていた。
「すまなかった、真宮桜」
 俯いたまま、くぐもった声で告げるりんね。驚いた桜はどうにか顔を上げさせようとするが、りんねはそうしない。
「お前を危ない目に遭わせてしまった。すべて俺が至らなかったせいだ。俺が迷ってばかりいたから、悪霊につけ入る隙を与えてしまった。すまない──」
 りんねは草を強く掴み、自嘲気味に付け加えた。
「死神としても、人間としても、まだまだ半人前だな。お前一人、ろくに守れないんだから」
「──六道くんが完璧じゃなきゃいけないなんて、誰が言ったの?」
 りんねは答えない。
「六道くんはよく頑張ってるよ。家のことも、仕事のことも、なるべく人に頼らずに全部一人でやろうとしてる。すごく、偉いと思う」
 でもね、と前置きをして桜は小さく息を吸い込んだ。
「私、六道くんにもっと頼ってほしい。私にできることなんて、限られているけど。それでも、六道くんの助けになりたい。どんな形でもいいから。──だからもし、何か悩んでいることがあるなら、私に打ち明けてみてくれないかな?」
 あとには長い沈黙が続いた。ぜんまいが止まった人形のように、二人は微動だにしない。雪のような花びらが、りんねの髪や、桜の肩口、草の上に、音もなく降りつもっていく。
 彼がゆっくりと顔をあげた。目と目が至近距離でかち合った。二人とも視線を逸らさない。りんねの大きな手が、膝に乗っていた桜の手を包みこむ。
「ずっと、迷っていたんだ。──お前のことで」
 りんねは、深く息を吸い込んだ。
「でも決めた。もう、迷わない」
 そう言い切ったりんねの顔は、晴れやかだった。だらだらと続く長雨がやんで、すがすがしい青空が雲間から覗いたのようだった。
 真宮桜、と彼が呼ぶ。
春先にほころびた花を愛でるような、優しい声で。
「今までずっと言えずにいたが。俺はお前のことが、──好きだ」
 彼がくれたその言葉を、桜は胸に抱いた。最初は実感が湧かなかった。けれど、その意味をじゅうぶんに理解すると、心の底からじわじわと喜びがこみあげてきた。
「このまま、ただのクラスメートのままでは、いたくないんだ。俺にとっての真宮桜は、そんなありふれた人じゃなくて、もっと特別な存在だから──」
いつからだろう、気が付けばいつもそばにいた。約束をしたわけでもないのに、放課後になれば、かならず一緒だった。そうしていることが、当たり前であるかのように。そんな二人にとって、ただのクラスメートとしての線引きは、本当はとても難しかった。越えるか越えないかのもどかしい立ち位置で、お互いに知らないふりをしていた。一歩進んだかと思えば、一歩後退した。それを繰り返すばかりで、結局は同じ場所から動けずにいた。けれど、りんねが初めて、その線を越えた。
「もし良かったら」
「うん」
「迷惑でないのなら」
「うん」
「──俺と、付き合ってください」
 相変わらずの、丁寧な物言いだった。彼らしくて、つい笑ってしまう。
「私、六道くんを迷惑だなんて思ったこと、一度もないよ?」
 りんねの手を握り返した。その手は少しだけ震えていた。応えるように、彼はもっと力を込めてきた。顔を見ると、困ったような照れくさいような表情をしていた。
「こういう時、何と言えばいいんだろう。言葉が見つからないな」
「私もだよ。こんなの、初めてのことだし」
 二人とも、これが最初の恋。そしてきっと、最後の恋になる。
「取りあえず、よろしくお願いします──とでもいうべきなのか?」
「……よろしくお願いします?」
「違うのか?」
「いいんじゃないかな?私も、よく分からないし」
 二人は顔を見合わせ、同時に小さく噴き出した。たまらなくなって、声を押し殺して笑う。
 それから肩を並べて、おしゃべりに興じた。今まであまり話したことのなかった話題を。もう、ただのクラスメートではない。心を分かち合う、かけがえのない相手だ。今よりももっと、もっとお互いのことが知りたかった。どんなに些細なことでも。
 頭上でうぐいすが鳴いていた。周りには、誰もいない。青い草原がどこまでも続いている。遠くからはかすかに祭囃子のような太鼓の音がきこえてくる。日は当たらないが、じゅうぶんに暖かい。のどかな空気に、二人とも他愛もない話をしながらついうとうとしてしまう。
 いつしかりんねと桜は、木の根元で眠りについていた。夜明けの訪れすらわからない霊界で、ゆっくりと花びらが舞う中、小鳥の鳴き声を子守唄にして。二人とも、目覚めても消えることのない夢の中にいる。手を繋いだまま、そろって穏やかな寝顔をしていた。
 やがて、桜の頭がふらふらと傾き始める。しばらく危なっかしげに揺れたあと、隣で眠るりんねの肩にことんと落ち着いた。
 どちらかが、寝言をいった。どちらかが、笑顔になった。
 そうして同じ夢を見ていた。
 ──現世では、夜が明けようとしていた。


「六道、真宮、二人とも遅刻だぞ。今、何時限目だと思ってるんだ?」
 体育教師のスズキが苦笑する。ジャージに着替えた桜と、普段からジャージのりんねは、そろって頭を下げた。
「すみません」
「今まで一体何をしてたんだ?」
「その、色々と事情がありまして」
 言いにくそうに口ごもるりんねに、生徒思いのスズキは何か察するところがあったのかもしれない。仕方がないな、の一言で簡潔に会話を締めくくり、それ以上の追及はやめた。
 胸を撫でおろすりんねの背後に、ぬっと立つ人影があった。後ろから羽交い締めにされ、驚いたりんねは抵抗した。
「十文字、何のつもりだ!」
「何のつもりだ、だと?お前、何しれっとした顔で真宮さんと遅刻してやがる!」
 目を赤く腫らした翼が、羽交い締めにしたりんねをグラウンドの端へ連行しようとした。
「放せ、十文字」
「やかましい!俺がどれほど真宮さんを心配していたか、貴様は知らないだろうな!おかげで一晩中、一睡もできなかったんだぞっ」
 涙混じりの声だった。桜のことがよほど心配だったのだろう。抵抗するりんねをずるずると引きずりながら、泣き言を吼え立てる翼に、桜はあわてて駆け寄っていった。
「ごめんね、翼くん、心配かけちゃったよね」
「真宮さん!」
 翼はあっさりとりんねを開放して、桜の前に立った。砂の上にはでに尻もちをついたりんねが、恨めしそうに睨む。そんなことは気にも留めずに、お払い屋の少年は目に涙を浮かべて想い人の手を握りしめた。
「ああ、無事で良かった。本当に、安心したよ!六道や魔狭人の奴に変なことをされてないかと、俺はもう、心配で心配で……!」
「大丈夫だよ。必ず六道くんを連れて戻ってくるって、約束したでしょ?」
 なだめるような桜の様子に、翼は魂が抜けそうなほど大きな安堵の溜息をついた。
「六道のことはどうでもいいが、とにかく真宮さんが無事だったのなら、安心だ」
 桜は貰った数珠が壊れてしまったことを詫びた。そんなことは気にしなくていい、と翼は首を振った。
「真宮さんの役に立てたなら、良かった。一緒について行けなかったことを、一晩中後悔してたんだ──」
「十文字の道具も、たまには役に立つんですね」
 どこから湧き出たのか、翼の肩から六文がひょっこりと顔を覗かせて一言。一人と一匹は、グラウンドの真ん中でわき目も振らずに口喧嘩を始めた。
 りんねと桜は顔を見合わせ、笑いをこらえながら同時に肩を竦めた。
 今はまだ、二人の間に起きた変化を、打ち明けるべき時ではなかった。





 
To be continued to Epilogue




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