逢魔  - 1 -





 六道輪廻の間には ともなう人もなかりけり
 独り生まれて独り死す 生死の道こそ悲しけれ




 春期休暇も終盤に差し掛かった三月の暮れ。この日のりんねは病的なほど青白い顔をして高速バスに揺られていた。隣には憐れみの篭った眼差しで彼の横顔を見詰める桜、その膝元には小さな身を丸めて眠る六文の姿がある。
 二時間半のバスの旅。車が大の苦手なりんねにとって、これ以上の苦行はない。乗車して数分後には早くも口数が減り、楽しみにしていた桜の手作り弁当には箸をつけられず、一時間が経った今ではもはや抜け殻状態だった。
「大丈夫?顔色が悪いよ、六道くん」
 ペットボトルを手渡しながら桜が心配そうにいった。受け取りはしたものの飲む気力がなく、それを膝に置いてりんねは辛そうな溜息をつく。彼女の膝で心地良さそうに安眠を屠る黒猫がうらめしい。
「おかしいなあ…乗る前にちゃんと飲んだのにね、薬」
 桜はりんねが服用した酔い止め薬のパッケージを見ている。彼女が薬局から買ってきたものだったが、どうやら効果を発揮してはくれなかったようだ。
 りんねも横から覗き込んで文字列を追ったが、目を使ったことで吐き気がこみ上げた。俯せになって空えずきしかけると、その背を桜が摩ってくれた。りんねは顔を上げずに力なく礼をいった。
 彼女の手に気が逸れているせいか、少しだけ酔いが緩和されたような気がした。遠くの景色を見るといいという桜の言葉にならって、りんねはシートに背を凭れ、高層ビルや高架線の連なる景色をぼんやりと眺める。高い建物ばかりであまり遠くまで見渡すことができない。
 彼がなぜこうしてわざわざ大嫌いなバスに乗って遠出をしているかというと、首都圏からは少し離れた郊外にある、六遠寺という山寺を訪れる必要があったからだった。
 もちろん仕事関連の用向きである。先日輪廻の輪へ送り届けた老婆の幽霊に、頼まれていたことがあったのだ。長い間放ったらかしにされている、その寺の墓地にある彼女の墓を、りんねと桜で手入れしてきて欲しいと。
 ──実のところ、りんねはあまり乗り気ではなかった。いずれ六文をその寺に遣ることで、このことは済ませてしまいたいと思っていた。
 しかし、桜が親切にも寺の場所や高速バスの時間割を調べてくれたとあっては、そうしてばっくれるわけにもいかなくなった。やけに遠足気分の桜だったが、聞けば彼女の片親の実家が田舎にあるらしく、そういった都会から離れた緑豊かな場所が好きなのだという。どうやらこの小旅行が春休み最後の息抜きのつもりらしい。
 楽しそうな桜を見ていると、行かないつもりだったとは言い出せなかったし、彼女と遠出することを思うとりんね自身も気分が高揚した。そのうちにとんとん拍子で話が進み、結局のところ彼は今こうして桜と共に高速バスに揺られている。
 長いトンネルを抜けたところで、段々と風景の中から人工的な建築物が減っていき、代わりに山や木々が増えてきた。青葉若葉の緑が目に優しい。
 桜の頭がゆっくりと揺れ始め、バスが急カーブに差し掛かったところでりんねの肩に倒れる。りんねはかすかな緊張を覚えながら彼女の安らかな寝顔を見下ろした。静かな寝息が薄く開いた唇からこぼれている。
 かわいいな。
 つい目が離せずにいると、膝を誰かがとんとんと叩いた。いつの間にか目を覚ましていたらしい六文が、今か今かと待ち侘びる目をして彼を見上げている。
「何だ、六文」
 嫌な予感がしながら聞くりんねに、六文は声を落としてささやいた。
「りんね様、据え膳くわぬは男の恥です。桜さまの唇を奪われるなら今のうちですよ」
「……お前は自分の主人がそんな下劣な男だと思っているのか?」
 不服そうにりんねはいう。しどろもどろになる黒猫から、再び窓の外の風景へ視線を移した。肩に心地好い重みを感じながら。
 だが、とりんねは心の中で独りつぶやく。
 そういう劣情を全く抱いたことがないといえば嘘になる。
 それでもそのたびに、過去のある一点を思い出しては、逸る心を押し殺してきた。
「六遠寺……か」
 りんねは小声でいった。曲道が増えてきたためにバスの振動が増幅し、治まっていた酔いが再び彼を悩ませ始める。全身がその地へ赴くことを拒絶しているかのように思えてきた。
 実はその寺を訪れるのはこれが初めてではない。
 ちょうど一年前にも、一度独りで足を運んでいた。
 その時何があったのか、彼女にだけは絶対に知られてはならない。
 ──やはり連れてきたのは間違いだったかもしれない、と今更になってりんねは強く後悔する。
「日が暮れる前に……山を降りるべきだな」
 翳りある面持ちでりんねは独白した。
 彼等を乗せて、バスはひたすらに因縁の地をめざす。





To be continued


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