命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも - 17 - | ナノ

命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも 17



 犬夜叉は長い銀糸の髪を棚引かせながら、屋敷中の座敷という座敷を回っていた。襖をひとつひとつ開け放っては、期待のこもった眼差しで中を見回し、かごめがいないと知るや表情に落胆を浮かべて去っていく。
「かごめを見なかったか?」
「い、いいえ…わたくし共はお見かけしておりませんが」
 犬夜叉が溜息をついて歩き去っていくと、訊かれた牝犬の女中は仰天を隠そうともせずに後ろを振り返った。長廊下にまばらに居る他の女中達も全く同じ反応を示している。普段は部屋に篭って現れることのない主人が今宵は活発に歩き回っているので、皆が度肝を抜かれているのだった。
 そんな行き交う犬達の好奇の眼差しなど気付く余裕もなく、少し息を切らせて闊歩する犬夜叉は焦っていた。
「かごめ、あいつどこに行ったんだ」
 犬夜叉は掌を握り締めた。昨夜あれだけ執拗に触れていたというのに、かごめの肌のすべらかな感触が早くも恋しい。呼ぶ声も、あの矢を射るような眼差しも、泣いた顔さえも、かごめの持つもの全てが恋しくてならなかった。
 昨夜のことを思い出して、無理をさせただろうか、と犬夜叉は不安になる。
 一夜をかけて愛したあの小さな身体を目蓋の裏に描き出しながら。
 自制という戒めを解いた犬夜叉に理性の均衡を保つことなど不可能だった。かごめという娘を前にして、欲望は底無しの沼のようにどこまでも深く、果てしないことを知った。
 けれど、犬夜叉がそうして自身の貪欲に恐れ戦いているのに、かごめは決して逃げようとはしない。むしろその底無しの沼へ共に沈もうとさえしている。
 きっとかごめの慈愛もまた無極なのだろう。犬夜叉の懸想がそうであるように。
 最後の座敷の襖を開け放ち、犬夜叉は重く長い溜息をついた。
 中で居住い正しく屏風を眺めていた白銀が、振り返らずに尋ねた。
「如何なされましたか。犬夜叉様」
 犬夜叉は奈落の底へ落ち込んだ顔をして、腰が抜けたように力なく畳の上に座り込んだ。
「かごめが、いなくなった」
「……かごめ様が?」
 白銀は童髪を揺らして犬夜叉を見た。犬夜叉の背後から月光が差し込み、灯火のない座敷をほのかに照らし出した。
 畳の上に落ちた犬夜叉の影を見下ろしながら、白銀は冷静に言う。
「外へ出てはいらっしゃらぬはず。全ての座敷をお探しになりましたか」
「……どこをさがしてもいなかったぞ。匂いすら消えてる」
「しかし鳥居の結界が破れた気配など……」
 白銀はにわかに口を閉ざした。目元を鋭くしてどこか一点を見据え、素早く立ち上がった。
「黄金の仕業か。おのれ、見張っておくべきだった」
 苦々しげな言葉に、犬夜叉は白銀を見上げて顔面を蒼白にした。
「どういう意味だ。まさかあいつがかごめを」
「結界の外へ連れ出した。間違いありません。かごめ様が危ない」
 白銀は懐から小さな笛を出して吹いた。犬夜叉には何も聴こえなかったが、音に反応したかのように、鳥居の外から何かの気配が近づいてくるのが感じられた。
 犬夜叉が縁側から外へ出ると、見事な馬がそこにいた。蹄で地を掻き、夜風に銅色の鬣を靡かせている。
「銅(あかがね)、生前私が手懐けていた馬の魂です。それに乗ってかごめ様の匂いを追ってください」
 同じく外へ出た白銀の言葉が終わらぬうちに、長い銀糸の髪が闇を切った。
 素早く馬に飛び乗った犬夜叉は、手綱を思い切り引いて馬の脇腹を蹴った。
 馬は前脚を上げて夜空に鳴き、風の速さで駆け出した。


「犬夜叉!?」
 鳥居を潜った犬夜叉の耳を若者の声が過ぎった。犬夜叉は馬を走らせたまま、前方から視線を外さずに「七宝か?」と訊いた。
「お、おらのことがわかるのか…?」
 狐火を纏った七宝が横に並び、声を震わせた。犬夜叉は向かい風を受けながら「暢気に再会を喜んでる場合じゃねえんだ!」と声を張り上げた。
「かごめが危ねえ、一刻も早く見付けてやらねえとっ」
「なっ、かごめが?どういうことじゃ!」
 七宝の青い狐火が赤く燃え上がった。「落ち着け」犬夜叉が馬の脇腹を蹴って、加速を促しながら言った。
「とにかく事情は後だっ。先に行くぞ七宝!」
 馬が蹄で土を引っ掻き、倒木を高く飛び越えた。
 長い髪が闇に軌跡を残す。
 後を追いながら七宝は泣き笑いのような表情をした。
「やっと、戻ってきたようじゃな」
 馬が鬱蒼と茂った木々の天蓋を突き抜け、空高く鳴き声を響かせた。



To be continued 

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