行き触れ  - Chapter 15 -



「私は薄情な世を恨んだ。誰一人として、私達を認めてはくれなかった。挙句の果てには、無実の罪で汚名を。……そして水中で、惨めに死んでいった」
 青年は口元に手を当て、声をつまらせる。
「気付けば私は、地獄の門の前で独りきり。あの女はどこにもいなかった。どこまでも一緒だと、言っていたのに。あれは嘘であったのか、私を置いて行ってしまったのかと……。やがて、あの女に恨みを抱くようになった」
「あなたは今でも、その人を恨んでいますか。過去を振り返った、今でも?」
 青年は首を横に力無く振った。震える指で、桜が手にしている枝を指した。
「どうして恨むことが出来ようか。この糸を通じて、あれが私に語りかけてくるというのに。私は、忘れていたのだ。ただ恨むばかりで、あの娘をどれほど好いていたかを。──もう一度、逢って聞きたいことがあったことも」
りんねと桜は顔を見合わせ、頷いた。
「では、それがあなたの未練ですね?」
 青年は唇を引き結んで、頷いた。
「逢わせてもらえるだろうか。もう一度、あの娘に」
「それが、死神の仕事です」
 りんねは頼もしく胸を張ってみせる。隣で桜がクス、と笑った。

分離香を焚いて、じっくりと時間をかけて、枝に封じこめられていた魂をいぶり出してやった。現れた少女は、何度も何度も許しを願った。
「約束を破ってしまいました。あの木に引き寄せられ、地獄まで添うことができませんでした。どうかお許しください」
 青年は先程までの様子が嘘のように、安らかな表情になる。
「ひとつ聞かせてほしい。──お前は、自分を不幸だとは思わなかったか?」
 少女は涼しげな目を細めて、首を振った。
「あなたのそばにいられるのなら、私は幸せです。ですから、今度生まれ変わる時は、もう何も要りません」
「私も、この次はただの男となって、お前を見つけるよ。そして、今度こそ誰にも後ろ指さされることなく、二人で日の下を歩こう」
 はい、と喜びに打ち震える声で少女が返した。

「真宮桜のおかげだな」
桜が羽織の袖を握り締めながら首を振ると、りんねは声に力をこめた。
「本当に助かったんだ。真宮桜が来てくれなかったら、きっと俺は邪気に負けていた。まだまだ、修行が足りないな」
 ありがとう。口角を持ち上げて、りんねは告げた。何か吹っ切れたような、すがすがしい笑顔だった。
桜は驚きを隠そうともしない。
 ──六道くんのそんな顔、なんか珍しい。
 さすがに失礼な気がして、口には出さないが。素直に、嬉しいと思った。
 すまない、よりも、ありがとう、と言ってくれたことを。


 りんねと桜が幽霊達を連れて魔狭人の屋敷へ帰ってくると、まさにその時、魂子が結界のほどこされた扉を蹴破り、魔狭人や六文とともに部屋になだれこんできた。
 鎌をしかと構えて臨戦態勢の魂子だったが、驚いた顔をしているりんね達を見て、いち早く状況を察したらしい。
「ああ、無事だったのね。良かったわ」
 安堵の表情で、鎌を下ろした。
「りんね様、桜さまー!」
 六文が魔狭人の頭を踏み台にしてぴょんと飛び出した。背後からの悪態をきれいに無視して、大きな目から涙をぼろぼろこぼしながら、桜に抱きとられる。あまえて頬をすり寄せてくる黒猫に、桜はくすぐったそうに笑った。
「二人ともご無事ですか?お怪我はありませんか?ぼくがいつも通りりんね様のお側にいたら、こんなことには……!」
 苦笑しつつ、六文の頭を撫でるりんね。
「心配をかけたな、六文。俺なら大丈夫だ。だが、真宮桜は」
 申し訳なさそうに桜を一瞥する。声のことを言っているのだ。桜は一瞬きょとんとした目をして、やっと思い出したように喉を押さえた。
「魔狭人」
悪魔は怪訝な顔をりんねに向けた。何を言われるかは分かっているらしい。
「真宮桜の声を、戻してやってほしい」
「嫌だね」
 腕組みをしてそっぽを向く。
「ふん、つまらない。もう少し、りんねくんの苦しんでるところを見物できるかと思ったのに」
「魔狭人?」
 いつの間にか、魔狭人の横に立ったりんねはにこやかに微笑んでいる。気の置けない友人のような気軽さで、彼の肩にぽんと手を置いた。
「動機はともかく、ここにかくまってくれたことには感謝している。お前は、俺の恩人だ」
「おだてようとしても無駄だよ、りんねくん。きみを救うために、そいつが愚かにも犠牲をはらったことを、せいぜい後悔するんだね」
 悪魔は意地悪く言い捨てて、肩からりんねの手を払いのけようとした。が、その手には彼の意思に反して、肩に爪が食い込むかと思われるほど力がこもる。
「──そうか。なら、やむを得んな」
 トーンをおさえた声に、魔狭人はぶるりと寒気を覚えた。おそるおそる隣を見ると、死神はとっくに彼らしくもない愛想笑いをやめていた。能面のような無表情と、氷点下まで冷えきった目。死神の鎌を持つ手にぎゅっと力が入る。
「せっかく人が下手に出てやったのに。相変わらず、学習しない奴」
 わずか数分後。痛々しく腫れた頬にしくしくと涙を流しながら、クリスタルの瓶をりんねに手渡す魔狭人の姿があった。
 りんねは瓶の栓を抜く。瓶を傾け、手のひらに光の玉を転がした。それはひとりでに浮かび上がり、桜の喉元に吸い込まれていった。
「あーあー、喋れるようになったみたい」
 マイクの音声テストをするかのような桜。喉元をおさえて、ほっと安堵の表情を浮かべた。固唾をのんで見守っていたりんねも、桜の第一声に胸を撫でおろす。よかった。それから、はたと真剣な表情になって彼女に向き直った。
「真宮桜、約束してくれ。今後は、二度とこんな無茶な真似はしないと」
「それは無理だよ」
 打てば響くような即答ぶりに、呆気にとられたりんねは口をぽかんと開ける。
「だって、またこういう状況になったら、きっと同じことをすると思うよ」
 なんでもないことのように告げる桜。言っていることはともかく、りんねはその声をきいて心底安堵した。ずいぶん長いこと、桜の声を聞いていなかったように思えた。
「魔狭人くん。助けてくれてありがとう」
 文字通りの膨れっ面で泣き言をいっている悪魔に、律儀に頭を下げる桜だった。魔狭人はりんねに殴られた頬が痛むらしく、極力表情を変えないようにしながら毒づいた。
「お前を助けた覚えはない。僕はただ、りんねくんが恋わずらいで苦しんでいるのを楽しみたかっただけだ。助ける気なんて、これっぽっちも……」
 恋わずらい。図星だが、そんなにはっきり言うことはないだろう。りんねは頬を赤らめておもいきり魔狭人の足を踏み付けた。涙目になって悶絶する悪魔。
「でも、わざわざ現世まで私を呼びに来てくれたよね。やっぱり、内心少しは六道くんを助けたいと思ってたんじゃない?魂子さんを呼ぶために契約を持ち出したのも、もしかしたら、私の覚悟が知りたかったからとか?」
 憶測をまじえつつも、どうにか笑いを堪える桜だった。魔狭人は踏みつけられた足の痛みも忘れて、憤慨した。
「本当にお前はうるさいな!いつまでもくだらないことを言ってると、今度は声よりももっと大事なものを、奪ってやるぞ!」
「声よりも大事なもの?たとえば、どんな?」
 桜は片眉を少し吊り上げた。つい素直に答えかけて、はたと掌で転がされていることを思い知る。この子といるとどうも調子が狂う。悪魔はますます苛立った。
「きみみたいな生意気な人間は初めて見たよ。この僕に声まで取られたのに、まだ、悪魔の恐ろしさを知らないようだな」
「知ってるよ。でも、魔狭人くんは、そこまで怖い悪魔じゃないと思う」
 にっこりと、微笑む桜。魔狭人の顔が、今度は怒りとは違った意味で赤く染まった。それが、そばで見ているりんねにはどうも面白くない。ただでさえ、自分の知らないうちにいつの間にか打ち解けていたらしい二人が、もどかしいのだ。馴れ馴れしくするな、と心の中で悪魔に毒づいた。
「真宮桜、魔狭人にはあまり近づかないほうがいい。気を許せば、こいつはまた調子に乗りかねないぞ」
「おや、やきもちかい?りんねくんらしくもない」
 魔狭人が悪だくみを思いついた顔でにやりと笑う。流れるような所作で桜の手を取る。りんねがあっと言う間もなかった。女性にダンスの相手役を願い出る紳士よろしく、魔狭人は腰を低く屈め、桜の手の甲に軽く口づけた。激しく動揺するりんね。握り締めた拳がぶるぶると震え出す。悪魔はしてやったりの顔を向けた。
「あいにく、僕は悪魔だ。恋のキューピッドなんかで満足できるたちじゃないのさ」
 桜はしきりに瞬きをしている。さすがに驚いたらしかった。
「魔狭人、貴様──」
赤い瞳に静かに炎を燃やすりんねは、今にも鎌で襲いかかってきそうだ。とはいえ、彼の弱みを握って満足気な魔狭人は、今度ばかりは強気である。
「りんねくん、油断しないほうがいいぞ。どこかの悪い奴が、いつかその子を攫っていくかもしれないよ?」
「二度と彼女に近寄るな、悪魔め!」
不快感も露わに、魔狭人から桜を隠すようにするりんね。桜はまあまあ、となだめにかかっていた。
「……なんか、全然元気みたいですね」
 心配して損をしたと言わんばかりに、六文は呆れ顔。そのかたわらで魂子は、六文が言いつけ通り茶店から受け取ってきた団子を食べながら、鷹揚に笑った。
「若いって良いわねえ。あ、私もまだまだ若いけど。おほほ」
 反応を返すべきか、黙っておくべきか。咄嗟の判断がつきかねて、たらたらと冷や汗を流す賢い黒猫だった。




To be continued



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