花嫁御寮  2:色褪せない花びら




 大学の中庭にあるベンチに腰掛けながら、桜は缶ジュースに口を付けた。
 頭上で枯れ木の枝が風に揺らされている。またひとつ、季節が終わりを告げようとしていると予感した。
「ねえ、翼くん」
「うん?」
 すぐ隣で論文と睨めっこしていた翼が、視線を彼女へ遣った。
 卒業だね、と桜は言った。論文を横に追いやって、彼はうんうんと頷いた。
「そうだね。なんか、あっという間だったような、そうでもなかったような」
 のんびりと言いながら、桜の方へほんの少し近付く。
「何を読んでいるの?」
 開かれたままの本を覗き込みながら、翼は尋ねた。桜は、バラの押し花があしらわれたしおりを読みかけのページに挟んで、静かに本を閉じる。表紙には「世界の神話」と書かれてあった。
「神話?」
「うん。課題で読まなくちゃいけなくて。今は日本の、夫婦になった神様のお話を読んでたの」
 翼がどさくさに紛れて、彼女との距離をつめた。
「どれどれ。イザナギとイザナミの伝説?」
「国生みの神様ですね」
 突然、翼の肩からひょっこり顔を覗かせて、黒猫の六文が割って入った。驚いた翼は「うわっ」とひっくり返りそうになっている。
「また出たな、この、お邪魔猫!」
 尻尾を掴まれてぶら下がったまま、六文は講釈を垂れる。
「それは離れ離れになった夫婦の伝説です。妻を恋しがって、夫のイザナギが黄泉の国まで会いに行くんですよね?」
「そうなんだ?よく知ってるね、六文ちゃん」
 基本この黒猫にはあまい桜が、優しく褒めてやる。宙ぶらりんになったまま、六文が得意気に胸を張った。
「このくらいの知識がなければ、名誉死神である魂子さまの契約黒猫は務まりませんでしたからね」
「そうだね」
「はい!それに、孫のりんね様にも──」
 あ、と六文は口をつぐみ、砂を噛んだような表情をした。表情がこわばる桜。しまった。失言を悟った黒猫はしどろもどろになる。
「ええっと、りんね様は関係ないですよね。あ、あははは」
 桜が鞄を肩にかけて、立ち上がった。
「私、そろそろ講義が始まるから行くね」
「えっ?だったら俺も、」
「ごめんね。先に寄るところがあるの」
「ああ──。じゃあ、また後で」
 翼はぎこちなく笑いながらながら、去っていく恋人へ手を振った。彼女の姿が見えなくなると、置き去りにされた本を手にとる。ページをめくりながら、我知れずため息がでた。さすがに悪いと思ってか、六文がしょんぼりと肩を落とす。
「なんか、ぼくのせいで気まずくなっちゃって……」
「ふん。お前を責めても、しょうがないだろ」
 翼は本の間に挟まれたしおりを取り上げた。ラミネート加工のバラの花びらが色褪せないのは、それが造花だからだ。外気に触れて朽ちることがないように、しっかりと守られた真紅の花びら。翼はそれを、日に透かしてみる。
「──まだ、忘れられないのかな」
「十文字」
「ったく。あの野郎、どこで何をしてるんだか」
 ひゅう、と冷たい風が吹いて六文は身震いした。じきに春が来ると人間達は言うけれど、春のきざしはまだどこにも見当たらない。
「本当に。一体、どこに行ってしまったんですか?」
 侘しい枯れ木を見上げながら、行方知れずの元主人に思いを馳せた。




To be continued


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