迦陵頻伽  - 2 -




 あの後気前のいいりんねは、乗りかかった船だといって捕獲した鳥の霊をまとめて浄化して輪廻の輪へ送ってやった。鳥小屋の管理係は大層喜び、返礼としてあの世の商店街で使えるギフトカード三万円分をりんねに手渡した。
 さらに、どうやらその鳥達の中に懸賞金が掛けられていた悪霊がちらほらと混ざっていたらしく、思いがけず十万円の賞金を手に入れる運びとなった。
 りんねにとってはまさに、棚からぼた餅のいいことづくめの日だった。クラブ棟の階段を昇るりんねの足取りは、今にもスキップをし出すかと思われるほどに軽やかだった。
「ほんと、良いことをするといつか自分に返ってくるものなんだね」
「そうだなあ」
「そうですねえ」
 死神と人間と黒猫。二人と一匹で炬燵を囲んで焼きそばを食す彼等の間では、そんな遣り取りがなされていた。


 軽食をとってきたので帰宅しても空腹を覚えなかった桜は、先に入浴を済ませてしまうことにした。
「うーん、やっぱり背中が変な感じ……」
 髪を解きながら洗面台の鏡を覗き込み、桜は少し眉を顰める。実のところ先程クラブ棟にいたときも背中に違和感を覚えていた。突拍子もないことを言ってりんねの上機嫌に水を差すのは憚られ、黙ってはいたが。
 ニットベストとブラウスを脱いで下着姿になると、桜は鏡面に背を向けた。思わずあっと息を呑んだ。
「何、これ!?」
 桜はたった今脱いだばかりのものを再び着込み、慌ただしく家を飛び出した。


 戸口を叩く音に、炬燵でうつらうつらしていたりんねははっと目を醒ます。
「こんな夜更けに誰だ?」
「お父様じゃないといいですね〜」
 欠伸を噛み殺しながらの六文の科白にりんねは露骨に嫌そうな顔をする。あの男は金の亡者なので有り得なくもない。息子の臨時収入を即日に嗅ぎ付けて奪取するくらいのことは容易くやってのけるだろう。
「疫病神め」
 寝起きで若干機嫌の悪いりんねは、きっとそうだと来客の顔を確かめもしないうちに決めつけて小さく舌打ちした。鬱憤を溜め込んで何の前触れも無くドアを引く。
 ドアを叩いていた人物が拍子で前につんのめった。ウェーブがかった褐色の長い髪が視界を過ぎると、りんねはすぐに罪悪感に見舞われた。慌てて手を差し出して、思いがけない来客を腕の中に受け止める。
「びっくりしたー、いきなり開けるから」
 りんねの腕に助けられて体勢を立て直し、桜は苦笑した。
 ドアの向こうにいるのが桜と分かっていたら絶対にぞんざいな開け方などしなかったのに。りんねは心から申し訳なく思った。
「すまん、親父かと思ってつい身構えてしまった…」
「ううん、こっちこそごめんね。こんな時間にいきなり来たから驚かせちゃったよね」
 桜が顔の前で手を合わせた。りんねは気にするなといって彼女を炬燵にいざなう。驚きはしたが無論迷惑などではない。桜はりんねがこの部屋に歓迎する数少ない人物の一人なのだから。
「桜さま、こんばんは」
「こんばんは、六文ちゃん。こんな時間にお邪魔しちゃってごめんね」
「桜さまならいつでも大歓迎です!」
 どうやらこの黒猫は主人と以心伝心のようだ。
「で、どうしたんだ?こんな遅くに」
 自分も炬燵に腰を落ち着けて、りんねが早速用件を訊くと、桜は困り顔になった。
「六道くんに相談したいことがあったの」
「相談?どうした、改まって」
 不謹慎にも頼ってくれたことを嬉しく思いながらりんねは尋ねた。そんなりんねの内心など知る由もなく、桜は小難しい顔になる。
「現世に帰ってくる少し前から、なんだか背中が変だなって思ってたんだけど」
「背中?」
「うん。それで家に帰って鏡で見てみたら、やっぱり背中に不思議なものが浮かび上がってきてて」
「なるほど」
 りんねは腕組みをして聞き入る。
「何か霊的なものが背中から入り込んだのかもしれないな」
「やっぱりそうなのかな……六道くん、ちょっと見てもらえない?」
「え?」
 一瞬の沈黙があった。桜は上半身をひねり、服越しに背中を摩る。
「六道くんなら何かわかるかなと思って」
「あ、ああ…見てみなければ何とも言えないが……」
 りんねの内心の動揺をまるで分かっていない六文が余計なことを言う。
「蝋燭の火、消しましょうか?服を脱がれるんですよね」
「うん、お願いしてもいい?」
 桜の方も全く意に介していない様子だった。同世代の異性の前で着衣を脱ごうとしているのにも拘らず、緊張も恥じらいもまるで感じていないようである。意識しているのは自分だけかとりんねは思わず脱力しそうになる。
 六文がふっと蝋燭に息を吹き掛け、部屋を灯す唯一の明かりが消えた。
 暗闇の中、桜の脱衣する音だけが微かに聞こえる。ニットベストがブラウスと擦れ、ボタンが外され、ブラウスが畳に落ちるなめらかな音。りんねが意識しないようにと思うほどに、無音の空間においてそれらの音はかえってより一層際立ってくる。
 ──不謹慎だ。せっかくこうして自分を信用して頼ってきてくれたのに。信頼を裏切るような疚しいことを考えてはいけない。
 りんねは自身を咎め、自分の頬を軽く叩いた。私情を諌めるように、自分は医者で彼女は患者だ、これは診察を施すようなものなんだと言い聞かせる。
 桜が蝋燭の火をつけてくれるよう六文に頼んだ。
「六道くん、見える?」
 桜は長い髪を前に流し、彼に背を向けていた。闇に浮かび上がる女性のまろやかな曲線に、自制を忘れてりんねは一瞬思わず目を奪われる。が、鯖缶に立てられた蝋燭の火によって照らし出された白い背中にはっとした。
「これは……迦陵頻伽」
 虹色の衣、霓裳羽衣に身を包んだ人頭足鳥の摩訶不思議な生き物が、そこに宿っていた。極楽浄土に棲む神鳥、迦陵頻伽(かりょうびんが)である。
 桜の背に描き出されたのは、刺青のような鮮明かつ毒々しい絵図ではなかった。水彩画のように淡く神々しいものだった。だが幾らその絵が美しいとはいっても、こんなものが背にあっては彼女も不都合だろう。
「迦陵頻伽は類い稀なる美声の持ち主だから、きれいな声には目がないんですよね。桜さまも気に入られてしまったのかなあ」
 六文が机にちょこんと座ったまま言った。桜は困り果てた顔をりんねに向けた。
「迂闊だった。さっき俺達が捕まえていた鳥の中に紛れ込んでいたんだろうな」
「鳥っていうのは気まぐれですからね〜極楽浄土から降りてきてたんでしょうね」
 りんねは駄目もとで燻蒸式の分離香を用いてみたが、迦陵頻伽は幽霊ではないのでやはり効かなかった。
 もくもくと立ち篭める煙の中、六文が咳き込みながら窓を開けて部屋の換気を促した。りんねは桜の肩に黄泉の羽織を掛けてやり、心配するなと告げた。
「今からあの世に行って鳥鎮めの笛を買う。それを使えば迦陵頻伽も大人しく出ていくはずだ」
「本当?」
 桜がほっと胸を撫で下ろした。
「やっぱり六道くんは頼りになるね。ありがとう」
 りんねが有頂天になったのは言うまでもない。




To be continued


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