迦陵頻伽  - 1 -




 羽ばたきと囀りが辺りに満ちた。半透明の鳥達が一斉に、様々な方向に向かって飛び立っていった。


「六文、お前はあっち側に逃げた鳥達を捕まえてこい」
「わかりました!」
 桜は手で庇をつくり、ばらばらになって立つ鳥を追っていくりんねと六文を見上げた。りんねは両手に重そうな鳥籠を下げているため、重心が定まらないのか飛び方が危なっかしい。
「六道くん、六文ちゃん、大丈夫ー!?」
 雀に鳩に葦切、様々な鳥の霊に囲まれたりんねが捕獲に奮闘しながらも「大丈夫だ」と上空から返した。六文の方は、ペリカン霊の集団に長い嘴で身体のあちこちをつつかれて情けない声を上げている。
「いでっ、わっ、りんね様〜!」
「今こっちも取り込み中だ、悪いが助けてやれん」
 あれでもないこれでもないと死神道具を懐から出しながらりんねが声を張り上げた。
「本当に大丈夫かな」
 鳥達からの猛攻撃を受けている二人を仰ぎ見ながら、桜が苦笑いを浮かべた。たくさんの実体のない羽根が落ちてきて、地に触れる前に音も無くいずこへと消えていく。


 事の始まりはほんの数分前に遡る。
 りんねは桜と六文を伴って、あの世の出店を訪れていた。造花作りの内職の給料が受給されたので、そのなけなしの金で補充しておきたかった死神道具を買い求めに来たのである。
 新商品を勧めてくる売り子のしつこさに辟易していたところに、突然背後から誰かの嘆きに満ちた悲鳴が聞こえてきた。
 何事かと思った三人が振り返ると、同時に数え切れないほど沢山の鳥の霊が、枷が外れたかのように空へ散り散りになっていくのが見えた。 
 血相を変えて羽織姿の男が駆けてきた。どうやら近くにある鳥小屋の管理係らしい。定刻通り餌をやったあとにうっかり施錠を忘れ、小屋から大量の鳥の霊が逃げてしまったのだという。
「どうかあの鳥達を捕まえるのを手伝ってください!もちろんお礼はきっちりさせていただきますからっ」
 と必死になって頼み込んでくるので、当然素通りというわけにはいかない。元来の親切心とほんの少しの見返りへの期待に突き動かされたりんねは、黒猫とともに鳥達が散らばった空を目指したのだった。


 思ったよりも時間がかかりそうだ。暇つぶしに出店を見て回っていようと思い立ち、桜は横手の一本道を下っていった。
 前方に広がる縁日のような光景は、現世で見られる夏の一齣と寸分とたがわない。どこまでも連なる赤提灯、並べられた鼈甲飴の透き通った金色。焼いた煎餅の香ばしい薫りに、満ち足りた表情をした幽霊達が鼻をひくつかせる。
「六道くんと六文ちゃん、お腹すいてるかな」
 焼きそばの出店を見つけて立ち止まり、桜はぽつりとつぶやいた。ブレザーのポケットから財布を取り出す。この世界で流通している通貨は現世のものと同じようなので便利だった。
 差し入れがてら何か買っていってあげようと思い、桜は財布を手に店先に近付いていった。三人分の焼きそばをビニール袋に入れてもらい、窪んだ目をした店主と二言三言交わして踵を返した。
 ──不意に、パサパサ、と耳のすぐそばで羽ばたきが聞こえた。
 何かが滑るように視界の端から端へと過ぎていく。
 桜は咄嗟に視線でそれを追った。それはごく小さな鳥だった。
「六道くんが捕まえそこねちゃったのかな」
 桜が小さな声でいうと、飛び去っていこうとしていた鳥はぴくりと身を震わせて、宙で旋回した。通り過ぎようとしていたはずの彼女の元へ戻ってくる。肩にちょこんと止まって羽根を落ち着け、耳元で透き通るような美声を出した。
「へえー、きれいな声で鳴くんだね。何ていう鳥だろ」
 桜が小さな鳥を指で撫でながらいった。鳥は目を瞑って、甘えるように彼女の指に頬を擦り寄せた。
 背後から呼び掛ける声がした。
「真宮桜、ここにいたのか」
 振り返った桜は目を丸めた。仏頂面のりんねがそこにいた。彼の頭や肩を止まり木にして無数の鳥が羽休めをしている。両手の鳥籠には溢れんばかりのふくろうや鳩がひしめいている。いずれの鳥達も随分と大人しい。
「ひどい目に遭った」
 りんねが溜息をついた。
「さっき買った死神道具…あの霊を引き寄せる磁石みたいなやつを試してみたんだ。目的の霊が追い掛けずとも自分から戻ってくるから確かに手間は省けるが、俺自身が磁石になってしまうらしい。おかげでさっきから顔にまで鳥がへばりついてくる」
 言っているうちから、空を漂っていた鳥がへろへろと引き寄せられてきて、羽根を広げた格好のままりんねの額にぺたっと張り付いた。
「とんだ欠陥商品を買わされた」
 りんねは露骨に嫌そうな顔をしてその鳥を引きはがし、頭に乗せた。
「早いところ鳥小屋に行くぞ。道具の効果が切れたらまた一からやり直しだ」
 と、うんざりしたように言い、りんねは踵を返して歩き始めた。鳥達に止まり木にされている少年を、通り過ぎる霊達が不思議そうに振り返る。あの世で流行りの新手の見世物か何かかと思われているのかもしれない。
 堪えきれなくなった桜が笑い声を上げた。同時に、彼女の肩に止まっていた鳥が羽ばたいた。
「……えっ?」
 桜は違和感を覚えて立ち止まった。一瞬、背中から何かが入ってきたような奇妙な感覚を覚えたのだった。首をかしげながら背中を摩ってみるが、何も変わりはない。
「どうした?」
 数歩先でりんねが立ち止まり、振り返った。狐につつまれたような気分で、桜は「ううん、なんでもない」と首を振り彼の隣に並んだ。
「あ、そういえばさっき出店で焼きそば買ってきたよ。お腹すいたかと思って。六文ちゃんの分もあるから帰ったら三人で食べようね」
 鳥の幽霊たちの重みにげんなりしていたりんねは、途端に日が差したように表情を輝かせた。しかし手放しに喜ぶのは不謹慎だと思ったのか、申し訳なさそうにつぶやいた。
「いつもすまん、真宮桜…気を遣ってもらって」
「私がしたくてしてることだから。気を咎めることなんてないよ」
 桜はりんねの片手から鳥籠を受け取ろうとした。
「持ってあげる。貸して」
「いや、結構重いからやめた方が」
「大丈夫だよ」
 と半ば無理矢理鳥籠を奪ったはいいが、想像以上の重さに全く運ぶことができない。
「本当に重いね」
「魂が詰まっているからな」
 と鳥籠を持ち直して、りんねは悟ったような口調で言う。
「でもおかげで肩が凝って仕方がない」
「これだけ重いとそうだよね」
 桜は笑った。一瞬、喉からこぼれた笑い声が自分のものではなく鳥の鳴き声のように聞こえ、驚いて手で口元を覆った。
「真宮桜?」
 りんねが不思議そうな顔をした。
「今、私の声、」
 上擦った声で桜は言った。
「……変じゃなかった?」
「声?」
「うん、なんか鳥の鳴き声みたいな…」
 桜は肩を見下ろした。いつの間にかあの小鳥はいない。
「幻聴かもしれないな。これだけ鳥に囲まれているから無理もない」
 りんねは頭上の鳥達を見上げて苦笑した。半透明の鳥達は居心地よさそうに寛いでおり、そこはもはや巣のようになっている。
 笑いの衝動が沸き上がる。桜は背中に疼きを覚えた。




To be continued


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