行き触れ  - Chapter 14 -



伸ばした手に落ちる寸前に、花びらははかなく消えた。まるで、それがもう決して干渉することのできない「過去」の景色であることを、暗に告げているかのようだった。
 りんねと桜は、花並木の下を歩いている一人の青年を見つけた。涼やかな顔だち。髪は輪っかのような形で結ってあり、首からは勾玉を下げている。在りし日の霊の姿だった。
「いやだ」
 二人の側にいた霊が、過去の自分から目を逸らして俯いた。
「見たくない」
「たとえこれが、あなたにとってつらい記憶だったとしても」
 りんねが静かに告げた。
「向き合わなければいけない。そうしなければ、あなたは前に進めないのだから」
 霊はおそるおそる顔を上げた。桜が手にする枝から花びらが舞い、淡い光がぼうっと浮かび上がった。

 赤い装束をひるがえして走ってくる少女がいた。青年の前に立つと、遅れたことを詫びるように、両手の袖口を合わせてぺこぺこと頭を下げた。笑顔がまだあどけなく、花のように可憐だ。
「花が美しゅうございますね。どれほど見ていても、飽きませぬ」
 ああ、と青年は返しつつも、視線は少女にくぎ付けだ。
 花を見るためではなく、少女を見ていたいがために、きっとそこにいるのだろう。

 景色がゆがんだ。りんねは桜の肩を抱いて、時空のひずみに耐えた。
 次に目の前に現れたのは、いくつもの几帳が立てられた部屋だった。几帳の隙間から、たくさんの人影が見える。場の空気は、ぴりりと肌を刺すように険悪だ。
「決して許されないことだ」
「どうか、お慈悲を──」
「ならぬ。お前達二人を、引き離さねばならない」
 威厳ある声が、轟き渡った。
許しを願った青年が、深く項垂れた。

 場面が液体のようにどろりとかき混ざる。誰かとはげしく言い争う青年。机に顔を伏せて泣いている少女。甲冑を着て剣を振るう青年。うつろな目で書状を読む少女。たった一人、小舟に乗って河を漂う青年。──様々な景色が目まぐるしく現れては、渦の中にとけていった。
 それらを見送る霊は、底なし沼のような暗い目をしている。
 りんねは心配になり、桜の顔を覗き込んだ。目の前で繰り広げられる悲劇に、彼女は表情を曇らせていた。
「大丈夫か」
 耳打ちすると、桜は小さく頷いた。最後まで見ていてあげたい、とその目が訴えかけていた。

 最後の追憶は、穏やかな河辺だった。青年が、冷たく少女を突き放していた。
「帰れ。私には、お前を幸せにしてやることはできない」
 少女はさめざめと泣いていた。涙で美しい顔がぐしゃぐしゃだった。
「あなたのそばにいることが、何よりの幸せです。なぜ、分かってくださらないのですか」
 腕に抱きつかれて、青年は澄んだ瞳を揺らす。どうしたらいいのか分からないらしい。
 遠くから、剣や槍をかまえた兵士達が迫っていた。
「私にどうしろというのだ!」
 青年の叫びに、少女は声を詰まらせる。胸元から、刀を取り出すと、目にもとまらぬ速さで鞘から刀身を抜いて、青年の後ろ首にぴたりとあてた。
 ようやく、青年の顔に、諦めが浮かんだ。
「──では、共に地獄まで、来てくれるか」
二人は手を繋ぎ、桜の花びらが浮かぶ水面を見下ろしている。どこまでもご一緒いたします、と少女が気丈に囁いた。
 
 やがて水面には、幾重にもなって広がる波紋だけが残った。
 そしてその光景もまた、時の渦の中へと、いつしかかき消えていった。

 
 
To be continued



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