行き触れ  - Chapter 13 -



 ──私を殺さなければ六道くんが悪霊から逃れられないのなら、それでもいい。
 途切れかけた意識の中で、桜はそんなことを思った。りんねの手にかかって苦しむ理由を、まもなく訪れるだろう死を、自分自身に納得させるため。
 けれど、気付けば哀願するようなりんねの瞳に、ほだされていた。無視することなど、とてもできなかった。乞われるままに、魂子の小刀をとってしまった。絶対にそれを使うことはないと、決めていたはずだったのに。
 どちらも石のようにかたまったまま、ぴくりとも動こうとしなかった。りんねの手は桜の首元を捉えたまま。桜の手にした小刀は、りんねの首筋に当てられたまま。
使うつもりなんて、なかったのに。
 桜は痛いほどの罪悪感に苛まれている。こんなに危険な物を、りんねに向けていることが信じられない。今すぐに手をおろして、この物騒な刃物を彼から遠ざけてしまいたいと思っていた。なのに、りんねの悲しげな瞳がそれを許さない。
 ──この手にかけるくらいなら、その手にかかる方が、いい。
 心に思うことはたがいに同じだった。だからこそ、りんねも桜も、譲歩することができなかった。

「もう終わりにしよう、真宮桜」
 いつもよりずっと冷静な声で、りんねが告げた。視線はすでに桜からは逸れ、自分の首元にあてられた小刀をとらえている。身体はまだ自由がきかず、いつまた手に力が入るかわからない。取り返しのつかない過ちを犯す前に、その手で全てを終わらせてほしかった。
「……もう疲れた。何もかもが、嫌だ」
 一週間の間、邪気に蝕まれ続けていたりんねは、心身共に困憊していた。追い打ちをかけるように、悪霊の洗脳に屈し、大事な存在をその手にかけた。もう、取り返しがつかない。全てを終わらせて、楽になってしまいたかった。
 りんねの首筋から小刀が離れた。桜の手が、彼の頬を、ぴしゃりと打った。
 ──そんなの、六道くんらしくない。
 けれど声が出ないので、りんねには何と言ったのか分からない。戸惑いながら、聞き返した。
「真宮桜?」
こんな所で、諦めないで。
 目に涙を浮かべて、桜は声なき声をはき出し続ける。どんな思いで、私がここまで来たと思ってるの──。
 初めて見る、桜の涙だった。どんなに恐ろしい目に遭っても、彼女が泣いたことはなかったのに。りんねは動揺もあわらに、彼女の肩をつかんだ。桜が泣いている。どうしたらいいのか、分からない。
「真宮桜、分かった。俺が悪かった。だから、もう泣くな、泣きやんでくれ──」
 桜はりんねの手をとった。離さない、というように強く握り締める。
一緒に、現世に帰ろう。
 その言葉だけは、りんねにもかろうじて理解できた。けれど、言葉は分かっても、桜の気が知れなかった。
「俺のせいで、お前は悪魔に声を取られた。それに、俺はお前をこの手で殺しかけたんだ。俺を助けようとしてくれたお前のことを。一緒にいても、ろくなことがない。なのにどうして、」
こうして、そばにいてくれるんだ。
そんなの簡単だよ、とばかりに桜は微笑んだ。
──いたいと思うから、そばにいる。ただ、それだけ。
 触れた手から、想いは伝わった。まじり気のない彼女の気持ちを受け取ったりんねは、心がどうしようもなく疼いた。きびしい冬を越えて、待ちに待った一番咲きの花を見つけた時のような、暖かな喜びが心に満ちてゆく。うれしくて、しあわせで、今、無性に桜を抱きしめたい衝動に駆られた。
 心のおもむくままに、手を伸ばしても、桜は拒まなかった。黙ってなすがままにされ、りんねの腕の中におさまった。やり方を知らない、ぎこちない抱擁。誰かをこうして抱きしめるのは、初めてのことだった。桜がりんねの胸元に頬をすり寄せた。彼女の髪からは、いい匂いがした。そうしていると、温かくて、柔らかくて、とても心地よかった。
 強ばっていた肩から、徐々に力が抜けていくのが感じられた。悪霊に支配されていた心が、驚くほど軽くなっていく。同時に身体も、邪気の束縛から解き放たれていくようだった。
 深呼吸をして、心を鎮める。桜の耳元で、りんねはそっと囁いた。
「……真宮桜。今度こそ、終わらせよう」
 身体を寄せ合ったまま、二人は部屋の一角を見つめた。
 悪霊の青年が、自分の小指に結ばれた赤い糸を、悲しげな瞳で見おろしている。その糸は、桜の足元に落ちている、花の枝へと続いている。桜は屈んで、その枝を拾い上げた。
「来るな」
 怯えた霊の青年がかぶりを振った。
「地獄【ここ】から出たいのなら、これ以上逃げてはいけない。過去からも、この人からも」
 慎重に、りんねが諭す。
「あなたを救うと決めた。必ず、輪廻に戻すと」
「輪廻……」
「あなたの、未練を断ち切る手伝いをさせてください」
 霊は憂いを帯びた表情でうなだれた。しばらくそうしていたが、意を決したのだろう。顔を上げると、桜が差し出した枝に、透き通る手でいとおしげに触れた。
 突風が吹きすさび、部屋の壁に霊道への入口がひらく。
 霊道に入ったりんねと桜は、霊と共に、はるかな時を渡った。
 千年の道行きは長かった。
 行き着いた先では、視界を覆い尽くさんばかりに、桜の花びらが散り交っていた。
 


 



To be continued




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