愛の妙薬 Act.5



 ディナータイムはまさに緊張の一時だった。
 ローストビーフを口に運んでいる時も、かぼちゃジュースを呷る時も、クラッブと話している時も。
 背中に絶え間なく熱意の籠った眼差しが向けられているのが、ひしひしと感じられた。
 さり気無く一瞥すれば、グレンジャーはうっとりした表情をしてこちらを見ながら、両隣に気付かれないように小さく手を振ってくる。無視するわけにもいかず、こちらも周囲に勘づかれないように気を配りながら、手を振り返す。
 きっとだらしない表情をしていると思う。デザートはまだなのに、まるで砂糖のたっぷり入ったパブロワを食べた時のように、頬が緩みきっているのが分かる。
 彼女があんな顔でこちらを見詰めてくる日が来るなんて、夢のまた夢だと思っていたから。
「ドラコ、なにニヤニヤしてるんだ?」
 牡牛のように料理を掻き込みながらゴイルが眉を顰めた。幸福感に水を差されて不快だった。苛立ち混じりにゴブレットを傾けると、中身が空だ。調子が狂ってしょうがない。
 嘆息しながら長椅子から腰を上げる。
「デザートはいいのか?」
「ふん。どうせ、この辺に出てくるのはお前達が全部平らげるだろう」
 言い捨てて一足先に寮に戻ることにする。横顔に焦げ付くような視線を感じたが、グレンジャーの方は見なかった。
 あの熱視線を目の当たりにして、今度はどんな失態を晒すやら知れたものではない。


 が、閑散とした長廊下を早足で渡っていると、背後から追い掛ける足音が聞こえてきた。
「待って、マルフォイ!」
 グレンジャーの声だった。仰天して振り返ると、手を振りながら駆け寄ってくる彼女の姿があった。
「グ、グレンジャー?」
 困惑する僕の前で立ち止まり、グレンジャーは息を切らしながら微笑んだ。栗色の前髪からこぼれた汗が、通った鼻梁を伝い落ちる。上下する胸を押さえながら彼女は目を輝かせた。
「良かった、追い付いて。あなた歩くのが速いんだもの」
 不覚にも目を奪われる。柔和な表情に釘付けになった僕に、グレンジャーはまた恥じらいの表情を見せた。頬がうっすら上気したのは、全速力で駆けたせいだけではなかっただろう。
「あのね、えっと…ほら、あなたに『おやすみ』が言いたかったのよ」
「おやすみ?僕に?」
 思わず目を丸めた。彼女は足をもじもじさせながら頷いた。
「そんなことのためにわざわざ…」
 こそばゆい思いがしながらも、あまりにも急激な変化に狼狽する。
 そんな僕の内心などグレンジャーは知る由もなく、染まった頬を両手で包み込みながら更なる爆弾を投下する。
「だって私、一秒でも長くマルフォイと話していたいから……」
 頭の中で花火が打ち上がったかのようだった。顔に一気に熱が集まった。
 自分で言って自分で恥ずかしくなったのか、彼女も首元まで赤くして俯いた。
「……ほ、本当よ?嘘じゃないんだから」
「だって…君は本当は、僕のことを毛嫌いしていて……」
「えっ、私があなたを?どうしてそう思うの」
 グレンジャーが眉を下げながら、顔を覗き込んでくる。緊張して一歩下がると、逆に一歩詰め寄ってきた。
「私、あなたを嫌ってなんかいないわ。マルフォイ」
 と、彼女は心からの笑顔を浮かべた。胸が詰まった。それがたとえ仮初の笑みだとしても、心を震わせるには充分だった。
「グレンジャー…」
「何を勘違いしているのか分からないけど、私はあなたと仲良くできたらと思ってる。本当よ、嘘なんかじゃないわ」
 グレンジャーが僕の肩に手を添えた。顔が近付いてきたとき、僕は瞬きすらも忘れた。なだらかな曲線を描く、色素の薄い長い睫毛が瞳を覆っている。思わず目を固く瞑ってしまったが、彼女はそうしなかったと思う。
 頬の上で小さなリップ音が弾けた。
 耳元で「おやすみなさい」とそよ風のような声が囁いた。
 頬に成される親愛のキスは別段珍しいものではない。が、その一瞬の感触はあまりにも衝撃的で、そして幸福に満ち溢れていて、永遠に忘れられないものとなった。
 キスされたところを押さえながら、放心して立ち尽くす僕を置いて、グレンジャーは長い廊下を駆けていった。途中何度もこちらを振り返って、手を振ってきた。食事を終えて大広間から流れ出てきた生徒達の波に呑まれながら。
 僕は不覚にも涙が出そうになって、天井を見上げた。
 夢なら覚めないでくれ、と切実に願った。




To be continued


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