花嫁 - 11 - | ナノ

花嫁 - 11 -




 月光がそそぐ小川を見詰めながら、アシタカとサンは、離れていた間にあった由無し事を報告し合った。アシタカは、薪を割ったり田畑を耕したりして、代わり映えのない日々を過ごしていたこと。サンは洞穴で不摂生な生活を過ごしてばかりいて、兄弟に呆れられたこと。
 アシタカの方が折れて訪ねてきたことで、サンの溜飲は完全に下ったらしい。いつものように表情豊かにおしゃべりに興じている。無愛想な時には手の施しようがなく、どうしたらよいか分からなくなるのだ。機嫌を直してくれたことに、アシタカは心底安堵した。
「たった一週間のことだったのに、随分長く感じたものだ。やっぱり私はアシタカに会えないと寂しい」
 サンが川原の小石を水面に投げて、照れくさそうに微笑んだ。石は水面に映った月の真ん中に、ぽちゃんと音を立てて沈んだ。
 アシタカは揺れる水面から、彼女の横顔に視線を移す。
 視線を感じたサンも、彼を見詰めた。
 小夜のおとずれを知らせるように、ふくろうの親子がどこか遠くで鳴いている。小川はさやかなせせらぎを立てながら、下流を目指して流れていく。微風すら吹かず、葉擦れの音はほとんど聞こえてこない。森の精霊たちが、息を潜めて二人を見守っている。
 サンが小さくくしゃみをした。驚いた夜鳥の羽ばたきがした。
 風邪かと心配そうに問うアシタカに、大丈夫だとサンは微笑みかける。
 月の光が差しこみ、彼女が着ている銀の衣が美しく輝いている。
「雅びな着物を持っているな、サン」
 アシタカが彼女の肩に手を置き、興味深そうにその衣を眺めた。それはほんのりとあたたかかった。
 サンは鼻を啜りながら、なんとはなしに言う。
「これはシシ神様に貸してもらった。すごくあたたかいんだ」
「シシ神……?」
 頭を殴られたような衝撃を受けて、アシタカは目を見開いた。気づかぬサンは、衣の合わせ目をつかんで寄せる。
「近頃冷え込んできたから、ありがたく使わせてもらってる」
「……そうか。シシ神が、そなたにその衣を」
「ああ。アシタカはシシ神様にもうお会いしたか?とても優しくて、あたたかい神様だった」
「……」
「これでこの森も安心だ。その証拠に、近頃森が活気づいてきていると思わないか?アシタカ」
 アシタカは沈黙した。サンはきょとんとした目で、シシ神の衣を見つめる彼を見遣る。
「アシタカ、どうした?」
「……サンは、」
「ん?」
 彼はかつてタタリ神の呪いを受けた腕を押さえながら、静かに尋ねた。
「サンは、シシ神のことをどう思っている?」
「どうって……それはどういう意味だ?」
「シシ神はそなたを花嫁に所望しているのだろう?」
「ああ、シシ神様はそう言っていたようだが」
「それで、サン自身がシシ神のことをどう思っているのか、聞かせてはくれないだろうか」
 サンは、そこでようやく問われていることの意味に気がついたらしく、ばつの悪そうな顔になった。アシタカに背を向け、川原の湿った土に、人差し指で意味もなく円を描く。
「シシ神様のことは、別に嫌いじゃない。──むしろ、好ましく思う」
 アシタカは長い睫毛を伏せる。彼の憂いを気取ったサンは、あわてて言いさした。
「でも、それはあの人が森のシシ神だからで」
「……うん」
「シシ神というのは、森の父さんみたいな存在だと思うから」
「うん」
「私にとっては家族みたいなひとなんだ。母さんや兄さん、弟を大事に思うのと同じ。だから、あの人のところに嫁ぐとか、そういうことになると──」
「……なると?」
 固唾を呑んで待つアシタカに、サンはごく小さな声で告げた。
「……少し違う、と思う」
 その答えを聞くや、アシタカは腕を伸ばして、彼女を背後から抱き締めた。そうせずにはいられなかった。大袈裟に身を竦めるサンの肩に、アシタカは顎をのせて、ほっと息をつく。
「サン、私はね、シシ神を羨んでしまったよ」
「シシ神様を?」
「うん。シシ神のような神通力があれば、たとえ離れていても、寒がっているそなたをあたためてやることができたのに──と悔やまれてならなかったんだ」
 でも、とアシタカは静かに続ける。
「こういうあたたまり方というのも、悪くはない」
「……」
「そうは思わないか?サン」
 サンは耳まで真っ赤になる。素直過ぎる彼女の反応に、アシタカは優しく目を細めた。
「私は、サンとこうしているだけで充分あたたかいよ。うちで囲炉裏の側にいる時よりもずっとね。──そなたが、同じように思ってくれているなら嬉しい」
 頷きたい。自分もそうだと、言いたい。
 けれど──恥ずかしい。
 サンは意気地なしの自分を責めながら、かと言ってどうすることも出来ず、背にアシタカのぬくもりを感じながらひこちなく俯いた。夜風が火照った頬を冷ましてくれるまで、あとどれくらい待たなければいけないだろう。
 そうして互いを近く感じているうちに、この世で最も心地良いぬくもりに、二人の目蓋は次第に重くなり始めた。
 やがて二つの唇からは、微かな寝息がこぼれ始めた。
 一羽の美しい鳥が、冴え冴えとした月光に照らされる夜空から、静かに二人を見下ろしていた。



【続】

back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -