行き触れ  - Chapter 12 -



 暇を持てあました魔狭人は背後の扉を開ける。すると中では青い顔をしたりんねが壁に手をついて、おぼつかない足取りで立ち上がろうとしているところだった。一瞬、扉が開けられたことに怯えたように肩を竦める。が、それが懸念した人物ではなく悪魔だと知り、ほっとしたようなばつの悪そうな複雑な面持ちになる。
「りんねくん、気分はどうだい」
 ほがらかにたずねる魔狭人に眉を顰めた。
「最悪な気分だな。──魔狭人、お前なぜ、彼女を連れてきたんだ」
「彼女、って誰のこと?」
「とぼけるな」
 しらを切る悪魔にりんねの目が据わる。怒りで身体が震えていた。
「彼女は俺とはなんの関係もない、ただの人間だ。厄介事に巻き込みたくない。頼むから、現世へ帰してやってくれ」
「関係ない、か。案外嘘が下手だな、りんねくん」
 魔狭人が含み笑う。りんねの中でふつふつと怒りが煮え出した。
「関係ないはずがないじゃないか。きみは、あの人間の女子のことが好きで好きでたまらないんだから」
「……黙れ」
「黙らないよ。認めたくないっていうなら、何度でも言うさ。りんねくん、きみはあの人間の女子に惚れているんだ。そして、そのことでうじうじ悩んでいるから、悪霊につけ込まれたんだ」
「黙れっ!」
 どれほど凄みをきかせようと、恋にかまける愚か者など恐るに足らない。魔狭人は意地の悪い笑みを浮かべた。気分が良かった。ウサギ小屋での恨みを、晴らしてやる。
「たかがそんなことで悪霊に憑依されるなんて、死神失格だな」
「──うるさい」
「おまけにきみは、その死神の鎌であの子を殺そうとした。大好きな真宮桜、をね。死神としても、人間としても、お前は失格だ!」
 返す言葉もないりんねは、頭を抱えてうなだれた。魔狭人はチンツ張りの椅子の上で長い脚をゆったりと組み直し、追い打ちをかける。
「それに、あの子はきみのせいで、大切な物を失ってしまった」
 なに、と弾かれたように顔を上げるりんね。その一瞬、怒りよりも、怯えがはるかに勝った。
「どういうことだ。お前、まさか真宮桜に、何かしたのか」
「声を奪った」
 端的な一言。一瞬、何を言われたか理解できず呆然とした。
「……声を、奪った?」
 掠れた声で確かめるりんねに、魔狭人は無表情で頷く。片手にクリスタルの瓶を出現させると、それを振ってみせた。中に入っている小さな玉が転がり、りんねにとって聴きなれた、耳に心地よい笑い声が小さく響いた。それを耳にしたりんねは唇を震わせ、今にも泣き出しそうな顔になる。
「──なぜだ」
「きみを助けるためだよ。死神界に使いを出す代わりに、」
「なぜ、彼女を、真宮桜を巻き込んだ──!!」
凄まじい剣幕に魔狭人ははじかれたように立ち上がった。りんねの全身から、押さえ付けていた蓋がずれたように、じわりと邪気があふれ出す。しまった、やりすぎたか、と魔狭人は舌打ちした。りんねを崖のふちまで追いつめてしまった。
「真宮桜が、俺のせいで悪魔に声を奪われた。──もう合わせる顔がない」
 邪気の中で蹲り、りんねは絶望に打ちひしがれている。その背後で、黒々とした邪気が寄りあつまって人の形になる。古めかしい髪型の美青年。悪意に満ちた表情が、おそろしい修羅を思わせた。
「お前が悪霊の本体か。りんねくんも、とんだ穢れに遭ったな」
 青年の口元がゆがんだ。
「殺せ」
 命じられたままに、震えるりんねの手が絨毯に横たえられている鎌に伸びた。魔狭人は険しい表情で身構える。
りんねが駆け出した。ざく、と宙をはすに切り裂く刃をよけて、魔狭人は翼をのばす。そのぎりぎりのところを、ふたたび振りおろされた刃先がちりっと掠める。徐々に後退しながら魔狭人は思わず抗議の声をあげた。
「恩知らずめ!僕はきみを匿ってやったのに!」
「無駄だ。この少年に声は届かない」
 悪霊が嘲笑う。苛立った魔狭人はつい言い返そうとして、気が逸れた。瞬間、鎌の刃先が彼の頬を切りつけた。傷は浅いが、たらりと顎に血が伝い落ちてきて不快だった。魔狭人はそれを手の甲で拭いながら、舌打ちする。
「容赦がないな、りんねくん。完全に乗っ取られたか」
 りんねの瞳には明らかな殺意があった。普段の彼にも、行き過ぎた悪戯をする魔狭人を牽制するために鎌をふるうことはあるが、一応手加減はしている。今のりんねには、そういった自制心がまるで利かないようだ。
 魔狭人は懐から十八番の技を出した。無数のキャッシュカードが刃となって、正面からりんねに襲いかかる。しかし、顔や腕に切り傷を作りながらも、彼は怯むことなく向かってくる。操り人形になったせいで痛みを感じていないのだろうか。だとしたら、この闘いは魔狭人には分が悪い。彼自身は生身の悪魔なのだから。
ここはひとまず、逃げたほうがいいかもしれない。
 どうにか刃をよけながら、魔狭人はしだいに扉に近付いていった。後ろ手にノブを探り当て、ひらりと踵を返そうとした──
が、そうはいかなかった。背中に誰かが突進してきて、部屋の中に押し戻されたのだ。
「誰だよっ!」
 憤慨した魔狭人はぶつけた額をさすりながら起き上がった。
「ごめんなさいね?でも、あなたの翼が邪魔だったのよ」
 鎌を構えた魂子が、低い声で言った。隣には花の枝を手にした桜がいる。
「揃いも揃って、花見にでも行ってきたのか?呑気だな」
 呆れる魔狭人をきれいさっぱり無視して、魂子は振りおろされたりんねの鎌を正面から受け止めた。
「まずいわね。完全に操られてる」
 彼女が鎌を薙ぐと、りんねはさっと後ろに飛び退いた。その背後に、悪霊がぼうっと浮かび上がった。
「あら、初めまして。孫が随分とお世話になっているようで」
 ありったけの皮肉を込める魂子を睨み付けつつも、悪霊は桜の手元にある枝を気にするそぶりを見せた。自分の小指に括りつけられていた赤い糸が、その枝と結ばれているのを見て、顔をしかめる。
「あなたが捜していた人を、連れてきました」
 魂子が悪霊の反応を窺いながら告げた。
「その人の魂が、この枝に宿っています」
 魂子は桜に目配せした。ひとたび頷くと、桜は悪霊とりんねのところへ近付いていった。
 ──轟音を立てて、突風が吹いた。
 あっという間もなかった。魂子と魔狭人は風に追いやられるようにして、部屋の外に締め出された。扉が独りでに閉まり、がちゃりと鍵がかかる音がした。

 桜はすかさず扉に駆け寄った。何度か叩いてみるが、反応は返ってこない。耳をつけてみても、扉の向こうからは何も聴こえてこない。
「結界を張った。その扉は開かない」
お前が息絶えるまでは。
 桜は枝を強く握り締める。絨毯に落ちた花びらを、悪霊は冷笑しながら見やった。
「その枝があの女だと。そんなはずはない。あれは、私を裏切った。私を置き去りにして、己だけ転生したのだ」
それは違います。
 言ってから、桜はもどかしげに喉を押さえた。しかし、悪霊には伝わったらしい。
「何が違う。あれが留まっていたはずがない」
でも、ここには確かにその人が宿っているんです。
 桜はじりじりと後ずさっていた。悪霊の表情が徐々に険悪になり、呼吸をするごとに邪気が濃くなっていく。
 俯いていたりんねが顔を上げた。鎌を握る手が、ぶるぶると震えている。顔は死人のように蒼白で、明らかな怯えが見て取れた。目が、桜を見ることを避けていた。
「あの少女を、殺せ」
 悪霊の声が重々しく響いた。りんねは不自然な動きで、首を横に振った。邪気がいっそう増し、鎌を握る手に力がこもる。それでも頑なに首を振り続けた。
「……出来ない」
 今にも泣き出しそうな声で、りんねは呟く。柄を握り締める力がふっと緩み、鎌が絨毯に落ちた。
「彼女だけは、だめだ」
 六道くん。
 桜は胸を衝かれる思いで、駆け出した。静止するりんねのか細い声を振りきり、正面に立つ。怯えた彼が顔を背けようとすると、両手で頬をはさんで真っ直ぐに向かせた。
 ちゃんと、私の目を見て。
 しばらく、無言のまま見つめ合った。りんねの頬に、魔狭人のカード攻撃で受けた傷を見つけて、桜は少し困ったような微笑を浮かべた。帰ったら手当てをしようね、と言われているような気がした。こんなかすり傷程度、声を失う苦しみに比べればなんということはないのに。申し訳なくて、涙がでそうになる。
 りんねは頬に添えられた桜の手をとって、握った。小さくて、少し冷えた手。こんなふうにしてしまったのは、自分だ。
 すまない。
 そう言いかけたとき、彼の中で、押さえ付けていたはずの邪気がのたうち回った。
あまりの邪気に、身体をくの字に折り曲げた。青ざめた桜が顔を覗き込んでくると、手が勝手に伸びて、彼女を突き飛ばした。絨毯の上に倒れた桜が、目を丸めて彼を見上げる。そんな彼女に、馬乗りになった。細い首に震える手を伸ばす。身体の自由がまるで利かない。首を締める手には、少しずつ力が加わっていく。
「やめて、くれ──」 
ようやく搾り出した声は、哀願に近かった。少しだけ、彼女の首を締める力が緩んだ。苦しそうな顔をした桜が、せき込みながらも、そっとりんねの手首に手を添えた。引きはがすわけでもなく、まるでなだめるかのように。瞬間、桜の手首で数珠が光った。りんねは光のつぶてに見舞われて、火に触れたように彼女の首から手を離した。数珠がばらばらと絨毯に転がり落ちた。じゅう、と絨毯に焦げ付きを残して、跡形もなく消えていく。身を挺して、彼女を守ってくれたのだ。
 桜が喉を抑えてむせ込んでいる。彼女の周りには、枝から落ちた桜の花びらが散らばっていた。今、彼女という花を散らそうとしているのは、ほかでもない、りんね自身だった。
いっそのこと俺を殺してくれ──。頼むから。
 涙で視界がかすんだ。それでも意思に反して、伸ばした手が再び、彼女の首をとらえようとしていた。逃げてくれればいいのに、桜は動こうとしない。心が、引き裂かれるように痛い。
 ふと、りんねはもう一つ、強力な守りの存在を察知した。
 それは桜の手元に落ちている、祖母の小刀だった。りんねの視線がそれに釘付けになっているのを見て、桜の表情が強ばった。それはだめ、というように、首を振る。悲しげな瞳でうったえかけるりんねから顔を背けた。駄々をこねる子供のように、絶対にだめ、と激しくかぶりを振った。それでもりんねは哀願し続けた。もう、これしか方法はない。かたくなな二人の間で、攻防が続く。
 悪霊が、りんねの背後でにたりと笑った。
 りんねの手がふたたび、桜の首をとらえる。
同時に、彼女が手にした小刀が、彼の首すじにぴたりとあてがわれた。
 

 
 


To be continued



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