命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも - 16 - | ナノ

命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも 16



 ──今、何時なのかしら。
 暗闇の中、目を覚ましたかごめは手探りで着物を手繰り寄せて身に纏い、あくびをしながら起き上がる。
 過ぎた情事の名残で身体が重い。けれどかごめの心は満ち足りていた。胸の裡の全てを吐露してくれることはなかったが、犬夜叉はまた彼女に触れてくれた。彼女を求めてくれた。
 部屋の隅で蝋燭の光がぽっと灯った。
 力強い腕が伸びてきてかごめの細腰を搦めとる。後ろから抱き締められ、かごめは幸福そうに笑った。
「犬夜叉、起きてたの?」
 耳の後ろ辺りで頷く気配があった。長い銀髪がさらりとかごめの肩に降り掛かった。そのひと束を指に絡めながらかごめは後ろを向く。
「……かごめ」
「なに?」
 かごめが優しく訊く。
「一緒に来て欲しいところがある」
「今すぐに?」
「ああ」
「どこ?」
「……」
 犬夜叉は曖昧に微笑む。
 かごめは暫しその表情を見詰めたあと、弾けるような笑顔を浮かべた。
「分かった。連れてって」


 外に出てみると暗夜だった。繊月の光だけでは道を照らすには心許無い。犬夜叉に手を引かれて深い森に分け入りながら、かごめは足場に気を取られてばかりいる。
「鳥居の結界、解かれてたわね」
「……ああ」
「黄金さんと白銀さん、お出掛けしてるのかしら」
 かごめが後ろを振り返りながら呟いた。犬夜叉は無言で、森の奥へ黙々と進んでいく。
「犬夜叉、歩くの速いわ。急に元気になったみたい」
 少し息を切らしながらかごめが言った。犬夜叉はぴたりと立ち止まって後ろを振り返る。かごめが首をかしげて笑い掛ける。
「どうしたの?」
「いや……疲れたなら負ぶさるか?」
 犬夜叉が身を屈めて訊いたが、かごめは首を振った。
「大丈夫よ、ちゃんと歩けるから」

 鬱蒼と繁茂した木々を抜けると、そこには洞窟があった。
「……ここだ」
 と犬夜叉が指し示した。手を引かれて近付いていきながら、かごめは訊く。
「ここに何があるの?」
「中に入れば分かる」
 洞窟の中は湿っぽく、冷え冷えとしていた。手が離れると、かごめは自分で自分を抱き締めた。そこにいるだけで底冷えがする。
「ここ、とっても寒いわ」
「そうだろうな」
 彼女の前方で、犬夜叉がふっと笑いながら言った。
 かごめは眉根を寄せた。
「……あんた、誰?」
 如法暗夜の深い闇の中、白銀の髪がきらりと輝いた。
「何言ってるんだ?かごめ」
「とぼけないで」
 じりじりと近付いてくる気配を覚え、かごめは後ずさりながら気丈に言い放つ。冷たい岩壁に背が辺ると、顔の横を手で囲われて逃げ場を失った。
「あんたは犬夜叉じゃない。誰なの?」
「……」
「犬夜叉に化けたりして一体何のつもり?悪いけど、そんな下手な変装とっくにお見通しだったわ」
「……ふふふ」
 犬夜叉が肩を揺らして忍び笑う。かっとなったかごめは眉を吊り上げた。
「なにが可笑しいの!」
 犬夜叉は──否、犬夜叉の姿をした何者かは、かごめの顎を掴んだ。
「よく喋る小娘だ」
 ぞくりとするほどに低い声だった。かごめは怖気付きそうになる自分を叱咤し、闇の中で見えない男を睨み付ける。
「私の変装を見破っていただと?よくもまあそのような法螺を吹く」
 男がくくっと嘲笑しながら言った。かごめは怪訝な顔をした。
「どういう意味よ」
「そなた、この姿に二度も騙されたではないか」
 犬夜叉の声が囁く。
「一度目はバスの中。二度目はあの夜道──」
 かごめが目を見開いた。
「まさか、あれ……!」
「……そう、あれは私だった。弱っておられるあの御方が、あのように外界へ出向くはずがないだろう」
 男がせせら笑った。かごめは唇をきつく噛む。
「騙されたのだろう?愛しい男の姿に」
 犬夜叉の温もりがかごめを包み込む。かごめはつい絆されそうになりながらも、必死に抵抗を試みた。
 髪から薫る香りも胸板の厚さも声の響きも、何もかもが犬夜叉と同じなのに、何かが違った。その違和感が、この男の腕に抱かれることを拒絶させる。
「触らないでよ!確かにこの前は騙されたかもしれないけど、もう騙されないんだからっ」
 かごめは渾身の力を篭めて男を押し返した。しかし目の前に立ちはだかる身体はびくともせず、距離をぐっと詰めたかと思うと、噛み付くように唇を重ねてきた。
 かごめは目を見張った。犬夜叉以外の男に唇を奪われた屈辱に涙が浮かんだ。怒りに任せて振り上げた両の拳は、それ以上の反撃を封じるため、片手で岩壁に縫い止められた。
 頭がぼうっとした。決して口付けの陶酔などではなく、何かが損なわれているゆえの反射だった。合わせた唇を介して、内側から何かが吸い取られていく。
 意識が途切れそうになっても抵抗の姿勢を崩さずに、かごめは男の下唇を思い切り噛んだ。やはりびくともしない。この男には血すらも通っていないのだろうか。
「このまま魂を取ってくれる。あの御方のために」
 唇が僅かに離れると、またしても犬夜叉の声が囁いた。
 かごめはその言葉に抵抗を忘れた。
「愛しい男の魂の肥やしとなるなら、そなたも本望だろう」
 かごめはもう何も答えなかった。ひどく倦怠感を覚え、考えることが億劫だった。それでも頭の中で、たったひとつの存在を思い描いていた。




To be continued
 

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