14th of February - Case of RINNE & SAKURA -


 
 十文字翼はただただ感涙に咽ぶのみだった。今しがた受け取ったものを震える両掌に乗せ、それがまるで天からの聖なる贈り物であるかのように、誇らしげに頭上に掲げてみせていた。同級生達からの好奇やら呆れやらの入り混じった複雑な視線など、この少年は意にも介していないようだ。
「生きててよかった、真宮さんからバレンタインのチョコを貰えるなんて……!」
「それは大袈裟だよ、翼くん」
 と、桜が微笑みながらもかるく窘めた。
「いつも仲良くしてくれてるから、そのお礼がしたかったの」
 無論それは、その贈り物が本命チョコではなく、俗にいう友チョコあるいは義理チョコという代物であることを仄めかす言葉だった。が、翼からしてみれば、想いを寄せる女子から貰えるものであれば、何であろうと心が浮足立たないはずがない。歓喜抃舞の態で幸福に浸っている。
 これを明らかに呆れを滲ませた眼差しで見ているのは、机に頬杖を付いて出納帳をつけているりんねである。出納帳の開かれた一頁で、収入を上回る支出の部分が、黒丸でぐるぐると囲まれている。その筆圧の濃さにりんねの鬱憤が表れているかのようだった。
 鉛筆を指先で器用に回しながら、りんねはふっとささやかな吐息をこぼし、
「……幸せな奴」
 ごく小さな声で呟いた。
 それから視線を桜の背に遣った。彼女は親友のリカとミホ、そして他数人の女子達と、少女趣味なラッピングの施された菓子を渡し合っている。
 甘い香りのする教室は、いつもとは少し違った雰囲気に包まれている。くすくすと楽しそうに含みを持たせて笑う女子達と、それに反して口数の少ない男子達。クラスの中に見えない境目があり、ふたつの全く異質な世界が隣合せで存在しているかのようだ。振り回す側と、振り回される側。
 りんね自身は、そのどちらにも属していないつもりでいる。中学の頃もそうしていた。冷静かつ超然とした眼差しで、取るに足らない行事に色めき立つ生徒達を眺めていた。
 下駄箱やロッカーに大量のチョコレートが溢れていても、一切動じなかった。贈り物は全て、やっかみ混じりの冷やかしを言ってくる同級生や、その辺の野良犬にくれてやった。祖父が養ってくれていたあの頃は、特に食べ物に困っていた訳でもなく、執着は微塵もなかった。菓子にも、人にも。
 面倒で取るに足らない行事と一蹴していた。少なくとも去年まではそうしていたはずだった。
「……今だって。興味など、ない」
 負け惜しみのように、りんねはいった。嘘だと自分で気づいていた。今となってはあの頃のように、見ざる聞かざるに徹することはできない。本人が意図せずとも、りんねの意識をひきつける者がそこに居る。
 あちこちで数人組になって固まっている男子達が、時折意味ありげに桜を見ていることに、彼はとっくに気が付いていた。彼女を気に掛けている男子は少なくない。彼等もまた、彼女の本命チョコの有無とその行方を気にしているのだ。りんねと同様に。
 りんねは質感のあるジャージのポケットに、布地の上からそっと触れた。桜から貰った菓子は、そこに入っている。見たところ、翼やリカ達が受け取っていたものと同じものだった。
 ──友達か義理か、どっちにしろ本命ではないな。そもそも真宮桜に本命がいるのかさえ分からない。いたとしても俺なんかでないことは明白だ。もし本当にいたとしたら、やはり誰かに本命チョコを渡すんだろうか……
 一瞬りんねは遠い目をした。その瞬間、指の間を摺り抜けた鉛筆が、床に落ちて音を立てた。ついさっきカッターで削ったばかりの芯が折れた。明らかな動揺の表れだった。
 彼は小さく溜息をついた。身を屈め、鉛筆を拾う。
 半身を起こすと、隣の席に桜がいた。内心息を呑みながらも、今し方まで考えていたことなどおくびにも出さず、りんねは何食わぬ顔で出納帳に視線を落とした。同時に鐘が鳴った。
 起立の点呼がかかり、朝礼が始まる。着席の刹那、桜が身体をりんねの方に傾けて、聞こえるか聞こえないかの声で耳打ちした。
「……六道くんのお菓子ね、他の人のとは違うんだ」
 え、とりんねは聞き返した。二度言うつもりはないらしく、桜は微笑んで視線を逸らした。
「頑張って作ったから、美味しいといいなあ」
 今度は明瞭に耳に届いた。
 美味しくないはずがないだろう、とりんねは心の中で呟いた。





end.

2012.02.14 Valentine's Day

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