行き触れ  - Chapter 11 -




 魂子は桜を連れて霊道に入ると、りんねの小指とつながっている糸玉を道の先に向かって放り投げた。糸をしゅるしゅると伸ばしながら、玉は彼方へ消え去っていく。魂子にならい、糸玉が消えていった方角に桜も目を凝らした。
「ちゃんと目的地へつないでくれるはずよ」
 飛ばされていった糸玉はもう見えなかったが、一本の赤い糸が向こう側からぴんと伸びて、魂子と桜の間を通り抜けている。先を急ぐと、間もなく二人の目の前で道が開け、地に足がついた。桜は魂子とならんで歩みを進め、前方にむかって真っ直ぐに伸びている赤い糸をたどっていった。
「おかしいわねえ、どうして死神界【ここ】に繋がったのかしら。転生していたとしたら、現世に通じるはずなんだけど」
 魂子が首を傾げる。つまり悪霊の運命の相手は、転生していない?
 閑散とした道の先に一本の大木が現れた。糸はそこに向かって伸びている。生前あの悪霊と縁を結んだ女性が、その根元に佇んでいるのだろうか。だとしたら、一体どんな人だろう。
「あら、あの木は」
 魂子の歩みが止まり、それにならって桜も立ち止まった。二人は揃ってその大木を見上げた。
 桜の予想に反して、そこには誰もいなかった。その代わり、見事な桜の大木が聳えていた。淡く色づいた十分咲きの花が可憐に枝をいろどっている。そよ風に乗りながら、辺りには花びらが雪のように散り交っている。
 どうしてか桜は、この木から春の気配を感じられなかった。美しい衣をまとった女性の立ち居姿のようなのに、はかなくて、侘しい。着飾っても着飾っても、むなしいと言っているような気さえする。じきに訪れる春の温かさというよりも、それはむしろ、終わりの見えない冬の寒さを思わせた。
「寂しそうな木でしょう?」
 魂子がそっと木肌を撫でる。
「この木、千年以上も前からここに生えているんですって。いつ来てみても、桜が満開なのよ。でも見てのとおり、なんだか寂しそうな木じゃない。いわくつきなんじゃないかって、気味悪がって、誰も花見に来ないのよね」
 確かにこの木の下で花見を楽しむような気分にはなれないかもしれない、と桜は思った。すると魂子が何か思い出したように、手を叩く。
「これは子供の頃に聞いた話なんだけどね。なんでも、一番最初にこの木を見つけた死神が、枝を一本手折って現世へ持っていったらしいのよ。迎えに行く人間への、手土産に」
 最後のくだりで、魂子の眼差しがこころなしか遠のいたように桜は思った。少し間を置いてから、魂子はまた続きを語り出す。
「その枝が現世で立派な木になって、種が色々な土地に蒔かれていったんですって。枝から木になるなんて不思議だけど、死神界の木だからそんなこともあるのかもしれないわ。……それから、随分と時が経ってからのことだけど、その桜の銘柄は衣通姫【そとおりひめ】って名付けられたそうよ」
 衣通姫。聞き慣れない名称を桜は唇の動きで呟いた。
「現世に伝わる伝説からとった名なんですって。衣通姫伝説というみたいだけど、桜ちゃんはどんなお話か知ってる?」
 桜は首を横に振った。魂子が心持ち彼女の方へ身を乗り出して、目を輝かせる。
「衣通姫伝説というのはね。禁断の恋をした男女の、悲恋物語なのよ」
 熱心な語りぶりに、桜は目をみはる。古今東西、女は恋愛物語に目が無いらしい。彼女自身も、それがどういった伝説なのか気になった。しかし、伝説について語り出そうとした魂子は急に真剣な顔つきになる。
「いやだわ、私ったら。こんなところで道草食ってる場合じゃなかったわ。早くりんねのところに戻ってあげないと」
 彼女の隣に立っていた魂子が、ふわりと地面を離れた。やがて何かを探すように満開の花の中に埋もれていき、その姿が見えなくなる。たゆみない赤い糸が、虚空できらりと光った。戻ってきた魂子の手には、手折られた一枝があった。魂子はそれを無言で桜に手渡した。はずみで数枚の花びらがはらりと散った。赤い糸は、その枝先に括りつけられていた。魂子の顔を、それから渡された枝を、桜は交互に見比べる。
「そこに魂が宿っているわ。可哀想に、長いこと出てこられなかったうえに、誰にも気付いてもらえなかったのね」
 つまりこの桜が、りんねに取り憑いた亡霊と、過去に愛しあったひとの成れの果て。千年以上もの間、まるで自分の居場所を知らせるかのように懸命に花を咲かせて、離れ離れになってしまった人が見つけてくれるのを待ち続けていたのだ。

 ほどなくして二人は魔狭人の屋敷に戻ってきた。開け放たれた門に入っていこうとした桜を、ふと、魂子が背後から呼び止める。
「桜ちゃん、本当にいいの?」
 なにがですか、と言いたげに桜は魂子を見つめ返す。
「中に入ったら危ない目に遭うかもしれないわ。手強い霊だから、何をしてくるかわからない。今回は少し、荒療治になるかもしれない」
 それに、と魂子は続く言葉に力を篭めた。
「りんねは桜ちゃんを傷付けたくはないはずよ。今回のことに巻き込んでしまっただけでも、申し訳なくて居た堪れない気持ちでいると思うの。おまけに、自分のせいであなたが声をなくしたことを知ったら……」
 魂子は暗い顔をする。真珠色にかがやく髪がさらりと頬に降りかかった。
「──桜ちゃん。あなたに出会ってから、りんねは変わったわ」
 表情とは裏腹に、その声はとても優しいものだった。
「父親があんなろくでなしだからか、あの子は小さい頃から妙に達観したところがあってね。大人しくて、聞き分けが良くて、ほんとうに手のかからない子だった。でも、一つ心配事があったの。なかなか人の輪に入っていこうとしないのよ。おじいちゃんが死んでからは、もう一人で生きていく、なんて言って私のことまで遠ざけるし。せっかく合格した高校だって、仕事にかまけてなかなか行こうとしなかった。──このまま、人と深い関わりを持たずに大人になるつもりなのかしらって、いつも不安だったわ」
 桜は出会った頃のりんねを思い出していた。全てを見透かすかのような、落ち着いた眼差しをした不思議な少年だった。確かに、人と積極的な関わり合いを持とうとするようには見えなかった。むしろ、独りでいることを好んでいるかのようだった。
「でも、それから桜ちゃんと会ったでしょう。幽霊の見える人間と会ったのは、多分初めてだったんじゃないかしら。ましてや死神の仕事を誰かと共有するなんてこと、前のあの子だったら有り得なかったわ。きっと、桜ちゃんと会って初めて、あの子は誰かに心を許すことを覚えたんだと思うの」
 魂子の微笑みに、ほんの少しだけ、桜はこそばゆい思いがする。
「最近のりんねは、会うたびに表情が生き生きとしているわ。桜ちゃんのおかげで、学校では友達も出来たみたいだし。それに、そうね、ようやく年頃の男の子らしくなったみたい」
 クス、と魂子はつい含み笑いをこぼすが、すぐに表情を引き締めた。
「あなたたち二人には、これからもそうやって関わり合っていてほしいと思っているの。でも、このままだと、りんねは桜ちゃんから離れてしまうかもしれないわ。責任感の強いあの子のことだから、あなたをこんな目に遭わせておいて、これ以上側にいることは出来ない、と思うはずよ」
それは、六道くん自身が決めることです。
 桜がきっぱりと告げる。魂子は口をつぐんで、彼女の唇の動きに気を配った。
 でも、と桜は続けた。
──六道くんが望むなら、私は側にいます。これからも六道くんと、関わり続けていきたいから。
 言葉を咀嚼しながら、手振りをまじえてゆっくりと告げた。声が出なくても伝わっていることを、桜は願った。
 魂子は唇を一文字に引き結ぶ。長い間、桜を見つめていた。葛藤をかかえているように見えた。小さく溜息をつくと、懐をまさぐりながら桜へ歩み寄っていった。
「桜ちゃん。あなたみたいな女の子に出会えて、りんねは本当に幸せものだわ」
 彼女が桜に何かを差し出した。視線で受け取ることを促している。桜は木の枝を持っていない方の手で、それを手にした。黒塗りの鞘におさめられた小さな小刀だった。
「これは退魔の刀。とても強力なものよ。それを使われたものは、どんな悪霊であろうと、強制的に輪廻の輪へ送られる。危ない目に遭ったら、使うといいわ」
 桜はその刀からいまだかつてないほどの強い力を感じ、思わず手放してしまいそうになった。なにか、不吉な予感がした。
これを使ったら、六道くんはどうなるんですか。
袖を引きながら視線で問いかけてくる桜に、魂子は薄目を開ける。孫とよく似た赤い瞳が揺れるが、表情は相変わらずつかみどころがない。
「憑依された状態でそれを使ったら、りんねも悪霊の道連れになるでしょうね」
 桜の背筋をうすら寒いものが走る。
魂子は彼女の手元で震える桜の枝を見おろしながら、静かに締めくくった。
「つまりあの子も、転生するということよ」






To be continued



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