行き触れ  - Chapter 10 -




 肩を揺すられて、りんねは深い眠りから目を覚ました。重い目蓋を擦っていると、桜がすぐ目の前で顔をのぞき込んでいるのが見えた。つぶらな瞳がパチパチと瞬きをする。鼻先がくっつきそうなほど近い距離に、どくりと心臓が跳ねて、りんねは思い切り後ろに仰け反った。
「ま、真宮桜?」
 大袈裟な驚きぶりに桜はくすっと笑った。
「六道くん、今日は七時限目からずっと居眠りしてたよ」
「居眠り……?」
「うん。何度も起こそうかと思ったけど、内職で疲れてそうだったから」
 りんねはしきりに目を擦りながら辺りを見まわした。何の変哲もない、いつもの一年四組の風景が広がっている。終礼を終えたあとらしく、クラスメート達は帰り支度をしながらお喋りに興じている。そのなんでもない風景に、りんねはかすかな違和感を覚えている。歯車がかみ合わない、心地の悪さ。今しがた彼女に起こされるまで、どこか、別のところにいたような気がする──。しかし、その「どこか」については、何も思い出せない。
 ──夢でも見ていたんだろうか。
 間の抜けた表情をしているりんねを見て、桜が小首を傾げた。
「もしかして六道くん、寝ぼけてる?」
 図星なのかもしれないので黙っていると、桜が「珍しいね」と言って笑った。彼女は誰にでも愛想笑いを振りまくような人ではない。だからその笑顔には、静かに咲いてすぐ閉じる花のような、なんとも言えない趣がある。滅多に咲かないからこそ、ほころびた瞬間が見れると、なんとはなしに得をした気分になれる。りんねもつられて頬が緩んだ。
「百葉箱、見に行くんでしょ?」
「ああ、そうだな。真宮桜も来るか?」 
 答えが分かりきっているにもかかわらず、確認の意味合いをこめてきく。桜が返事をしかけたとき、教室に駆け込んできた女子が彼女の名を声高に呼んだ。振り返った桜に、にやけ顔で告げる。
「他校の男子が桜ちゃんのこと、校門のところで待ってるみたいだよ!」
 教室がにわかに色めき立った。椅子を引いて立ち上がった桜に、野次が飛ぶ。相変わらずモテるね。十文字が帰ったあとで良かった。六道、うかうかしてると他の奴にとられるぞ──。
 余計なお世話だ。
知らない男子が桜を訪ねて来たことへの混乱と相まって、苛立ったりんねが言い返そうとすると、桜が視線でそれを制した。何を言っても冷やかされるだけだよ、と目が冷静に告げていた。相変わらず、自分への野次なんてどこ吹く風の、無表情。何を考えているのか、さっぱり分からない。
「知らせてくれて、ありがとう」
 伝書鳩役の女子に律儀に礼を言うと、桜は鞄を肩にかけてさっさと教室を出ていった。

 りんねは学校の上空をうろついていた。浮遊霊を探すふりを装いながら、視線はちらちらと校門付近へ向けられている。この界隈一の進学校の制服を着た男子が、校門に寄りかかっているのが見える。少し下降して、目を凝らした。通り過ぎる女子達が、わざわざ振り返ってその男子を二度見していった。誰もが認める好青年といった印象だった。
 桜が玄関口から出てきた。小走りにその男子に近付いていく。その姿をみとめて彼ははにかみ笑いを浮かべ、小さく手を振った。桜も振り返した。そのやり取りを見ただけで、りんねには先の展開が手に取るように分かった。
「久しぶり、桜。元気だった?」
 無理やり踵を返すりんねの耳に、澄んだ声が聞こえてきた。

 仕事に今ひとつ身が入らず、クラブ棟に戻って造花作りの単調な作業に励むりんねを、しばらくしてから桜が訪ねてきた。
「手伝うよ」
 隣に腰を下ろして造花の材料を手にとる桜。その横顔を、りんねは無言で盗み見る。やはり感情の読めない表情をしていた。
 並んで黙々と手作業を進めていく。作業に没頭する桜は一向に口を開こうとせず、何も教えてはくれない。他校の男子が自分を訪ねてきたことなど、早くも忘れてしまったかのような様子だ。あるいはそのことを、りんねに語る必要などないと思っているのかもしれない。
 ──あの男子に告白されたんだろう。
 たったそれだけ聞くことができたなら、このもどかしさから解放されるのに。
けれどりんねにはそれだけの気概がなかった。彼女と向き合うときは、どうしても尻込みしてしまうのだ。踏みこんだ発言をすることに躊躇する。鬱陶しいと思われはしないか、と恐れてしまう。
 いつだったか、そういった恋愛ごとには「興味がない」と、大見得をきってしまったことがある。彼女はその言葉を今も真に受けているのだろう。だから、こういうことがあっても何も打ち明けてくれないのかもしれない。まさに身から出た錆、自業自得、だった。
 地獄で芋虫を踏んだような不快感に悩んでいるうちに、いつの間にかダンボール箱は完成した造花であふれかえっていた。入りきらない造花を別のダンボールに移しかえながら、ちらりと桜を盗み見ると、彼女は単調な作業に集中しながらもどこかうわの空の様子。りんね同様、彼女も物思いにふけっていたらしい。
 そんな顔をして、一体何を思っているんだろう。りんねは桜の横顔を見つめながら、ふと想像してみる。告白してきた男子のことだろうか。告白の返事に悩んでいるんだろうか。それとももう良い返事をしていて、デートの日を心待ちにしているのかもしれない。
 想像がそこまで及ぶと、胸がえぐられるように痛んだ。
もし、掛け替えのない人ができたなら、きっともう彼女は自分の側にはいてくれない。こうしてクラブ棟を訪れてくれることも、なくなる。
 桜がいつか言った通り、二人はあくまでもただのクラスメートでしかない。それ以上でも、それ以下でもない。りんねには、それ以上の関係に踏み込む勇気がない。そしてその資格すらないようにも思えた。
 進学校に通う将来有望な好青年と、貧乏人のお先真っ暗な自分。比較するまでもない。考えれば考えるほど、ああいう男子こそが桜の隣に立つにふさわしく、自分のような輩は不相応なのではないかと思えてならなかった。
 自分では、幸せにしてやれない。けれど、彼女の隣に他の誰かが立つのを見るのは、耐えられない。それでも彼女には幸せになってほしい。そして彼女の幸せを、側で見ていられたなら嬉しい。けれど、──側にいても幸せにすることができない。
 想いは堂々巡りで、辿り着くところを知らない。迷いばかりがひとつ、またひとつと心の底に沈んでいった。
「どうしたの?」
 あまりじっと見つめていたので、不審に思われたのだろう。りんねは慌てて視線を手元の造花に落とした。目が合うと、心にわだかまっているものを見透かされてしまいそうで恐ろしい。
「──真宮桜」
 薔薇の花びらの形を整えながら、何気ない調子をよそおってたずねてみた。
「真宮桜の思う幸せって、何だ?」
「え?」
「いや、なんとなく気になって」
「幸せ?……うーん、なんだろう」
 桜はすこし肩を竦めたきり、また造花に集中した。考えも及ばないのか、答えを言うつもりはなさそうだった。
そんな彼女がもどかしくて、ますますりんねを惹きつけてやまない。見えないものを見たいと願うのが、人の性なのだ。さまよえる霊の心を見透かすことのできるりんねが、どれほど目を凝らしても読めない彼女の心。読めないからこそ、いっそう引き込まれていく。
 その無表情の裏で、一体何を思っているのだろう。
「もうこんな時間。そろそろ、行かなくちゃ」
 桜がふっと顔を逸らし、腰を上げた。名残惜しくて、りんねは作りかけの造花を放り出して、その手を掴んでしまう。
「行かないでくれ」
「六道くん?」
 振り返った桜が、困ったような顔をする。
「どうしたの?」
彼女の手を握っているという事実に、顔があつくなる。この感情にどう名前をつけたらいいのか。
「教えてくれ、真宮桜。お前は──」
 みなまで言うことはできなかった。
ぐるり、と視界が暗転した。

 
 


To be continued



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