灯籠流し



 
 すいっちょん、すいっちょん。草むらからのせき立てるような馬追の鳴き声を聞きながら、りんねは桜の手を引いた。
 夜の川辺には既にたくさんの人だかりが出来ている。盆も暮れに近い今夜、ここで年に一度の灯籠流しが催されるのだ。
「ごめんね、支度が遅くなっちゃって」
「気にするな。突然誘って悪かった」
 そう言いつつちらりと後ろを振り返り、りんねは頬を緩ませた。自分と会うためだけに、桜がわざわざ浴衣を着てめかし込んできてくれたことがとても嬉しい。今夜こそは久しぶりに、邪魔者もなく二人きりで平和に過ごせるだろう。やっぱり彼女だけを誘って良かった。
「百葉箱に依頼があったの?」
「いや。この前、この川辺で見つけた浮遊霊を輪廻の輪に送ったんだが、せっかくだから灯籠を流してやろうと思ったんだ。ちょうど、あの霊がいた場所だからな」
 りんねはポケットに忍ばせてきたマッチに火をつけ、出店で買った灯籠に明かりをともした。
 かつてこの川で溺死したというほんの幼い少女の霊。その魂を慰めるように、淡い桃色の和紙を透かしてほのかな光がぼうっと浮かびあがる。和紙に書かれた少女の名を小さく呟いたあと、桜は神妙な面持ちで手を合わせた。
 水際まで近づいていき、灯籠をそっと川面に浮かべるりんね。それを彼女が無言で見守る。
 隣に戻ってきて腰をおろすと、りんねも彼女にならって両手を合わせた。しばしの間目を閉じて、ともに少女の鎮魂を祈って黙祷を捧げる。
 目を開けてみると、色とりどりの灯籠が黒く長い川をゆったりと流れていた。揺らめくあの明かりの数だけ、現世を旅立った魂と、彼らを追悼する人々の思いがある。暗澹とした夜の川を彩る灯籠は、儚いながらも美しかった。
「きれいだね」
「……ああ」
 すこし離れたところで、くるぶしまで水に浸かった子供達が、色鮮やかな兵児帯を背で揺らしてはしゃいでいるのが微笑ましい。先祖の霊がさ迷い歩くというこの季節の夜も、これだけ明るく色鮮やかになれば、ついついこうして恐怖を忘れてしまうのだろう。
「あの人達、行き遅れたのかな?」
 桜が前方を指差した。川の向こう側に幽霊が寄り集まって、送られていく灯籠を静かに眺めている。彼岸と此岸をへだてる境界は、なにもあの三途の川だけではないのだろう。
「きっと自分の灯籠を見ているだけだろう。いずれは成仏するはずだ」
 りんねは桜を見た。灯籠の光によって、闇の中に彼女の輪郭が浮き立っている。とつぜん心臓が騒ぐのを覚えて、気付かれないようにそっと浴衣の上から胸を押さえた。
 思わず触れてみたくなるような柔らかそうな頬が、こんなにも近くにある。手を伸ばして触ってみたいが、嫌がられたり拒絶されたら結構傷付くだろう。葛藤を抱えたりんねは息を吸うこともわすれて隣の少女に釘付けになった。彼女のかすかな息遣いにすらも、敏感になっている自分に気付く。
 けれど当の本人は、そんな恋わずらいの少年の様子など全く察していないようで、
「あの灯籠は、最後にはどこに流れ着くのかな?」
 真面目な顔でそんなことを言うので、りんねは拍子抜けした。なんだか自分が煩悩の塊のように思えて、ちょっと恥ずかしい。ごまかすように咳ばらいした。
「……川の終わりといえば、海だろう。だから海に流れて行くんじゃないか?」
「そっか」
 桜は頷いたきり、また前を向いて川を下る灯籠の群れに釘付けになった。
 日頃から幽霊が見える彼女のことだから、多くの魂を見送るこの行事に、人一倍の感慨を抱いているのかもしれない。とはいえ、りんねは若干の物足りなさを感じずにはいられなかった。せっかく邪魔ものもなく二人きりでいられるのだから、もっとこっちを見てほしい。デートらしいことのひとつも、してみたい。もっとも、彼女がこれをデートと見ているかどうかすら、謎ではあるが――
 気付けば桜が彼の目をじっと見詰めていた。我に返ったりんねは、いきなりの至近距離にたじろいでしまう。
「ど、どうしたんだ、真宮桜」
「六道くん、さっきから難しい顔してる。私といても、楽しくない?」
 とんでもない誤解だ。りんねは目をみはった。
「そっ、そんなはずがないだろう」
 無意識のうちに、桜の両手をとって強く握りしめていた。桜が持っていた花柄の巾着袋が、草の上にころりと転がった。
「俺は、真宮桜、お前と一緒にいる時がどんな時よりも楽しいんだ」
「……」
「本当だ。嘘なんかじゃない」
 呆気に取られた桜の顔に、ついつい熱くなりすぎたことを悟ったりんねは恥ずかしさのあまり赤面した。顔を伏せたい。なのに、少しずつ緩んでいく彼女の頬から、どうしても目が離せない。
「そうなんだ。……よかった」
 心の底からの安堵の呟き。おかげでりんねは、緊張が弾けたような気がした。柔らかそうなその頬に、やっぱり触れてみたい。ぶり返した望みのおもむくままに、近い距離をさらに詰めた。少しまよってから、それでも意を決して彼女の頬に口づけてみた。
 すぐそばの草影から、せき立てるような夏虫の鳴き声が聞こえた。灯籠の明かりは、いつのまにやらはるかに遠い。



end.


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