賽の河原




 学校を終えクラブ棟に戻ってきたりんねは、頬被をして部屋をうろつくいかにも面妖な人物を視界に収めると、反射的に手にしていた死神の鎌を振り上げた。
「ははは、危ないじゃないか」
「なぜお前がここにいるっ。帰れ」
 次々と繰り出される攻撃をかわしながら飄々と笑う男に、りんねは眉をここぞとばかりに顰めて「帰れ」を連発する。
「ひどい。パパはただ可愛い息子にプレゼントを持ってきてあげただけなのに…」
 襟巻の端で眦を抑えてさめざめと泣く振りをしながら、りんねの父・鯖人は畳の上を指差した。
 このろくでなしが寄越すものなどどうせろくでもないものに決まっている。辟易しながらりんねは父が指し示す方へ視線を流し、絶句した。
 そこには白い産衣にくるまれた赤ん坊がいた。安らかな顔をしてすやすやと眠っている。一目見ただけで故人であることがりんねには分かった。その子からは生気がまったく感じられない。
 振り返りざまに、鎌の頭部を父の脳天に一切の手加減なく振り落とし、りんねは冷えた声で言った。
「説明しろ。どういうことだ」
 頭にたんこぶをつくった鯖人が、眠る赤ん坊を存外丁寧な所作で抱き上げ、胡散臭い笑みを浮かべた。
「いやー、なんか拾っちゃって」
「拾った?どこで」
「アハハ」
 なにがアハハ、だ。頬を引き攣らせながら、りんねはまた父の頭部に手痛い一撃を与えた。
「……お前、まさかこの子をあの世に引き込んだのか?こんな生まれたばかりの子を」
 りんねの声がすっと低くなった。堕ちた腐れ死神であるこの男ならやりかねないが、もしそうだとしたら許し難い行為だった。
 芽吹いたばかりの生命の若芽を摘みとっても良心が咎めないのか。私利私欲の為なら見境というものすら忘れるのか。この男は一体どこまで外道なのだ。
 軽蔑を露わに睨みつけてくるりんねに、鯖人は動揺したらしかった。
「違う。この子はあの世で拾ったんだ」
「あの世のどこで」
「……賽の河原」
 観念したように肩を落としながら、鯖人が白状した。りんねは赤い目を瞠る。
「賽の河原…?なぜそんな所をお前がうろついていたんだ?」
「まあ、なんとなく」
 はぐらかすように鯖人は笑った。腕(かいな)に抱いた赤ん坊を揺籃のようにゆっくりと揺り動かしながら。
「なんとなく拾って、持て余したってわけか。相変わらず無責任だな」
 りんねが父の腕の中で眠る赤ん坊を見詰めながら、遣る瀬無い笑みを浮かべた。その子がなぜか遠い日の自分と重なったように思えたのだ。
 思念を追い払うように頭を振り、りんねは父を見遣った。
「……わかった。俺があの世へ連れていって、輪廻の輪に送り届ける」
 受け取った赤ん坊は、背に羽根が生えているのではないかと錯覚させるほどに軽かった。その軽さがりんねには物悲しく思えた。耐えられずに裏返した黄泉の羽織でくるんでやると、実体化した赤ん坊はようやく確かな重みをその腕に感じさせた。
 なぜこの子は夭折しなければならなかったのだろう。この子の両親はどんな思いで喪に服しているのだろう。
 生命はこんなにも儚い。だからこの重みを決して忘れてはいけない、とりんねは思う。 
 息子が不馴れな所作でぎこちなく抱きかかえている赤ん坊を、鯖人はしばらく感情の読めない瞳で見詰めていたが、やがて無言で踵を返して扉を出ていくと、つむじ風とともにいずこへと去っていった。


 間を置かずに訪れた桜が、見知らぬ赤ん坊を抱いて部屋の真ん中に佇むりんねを見て、硬直した。何か見てはいけないものを見てしまったかのような顔付きをしている彼女に、りんねは嫌な予感を覚えたが、続く問い掛けでそれは確信となった。
「……六道くんの隠し子?」
 りんねが素っ転けたのは言うまでもない。


 散々な誤解を解くために、りんねが事の顛末を必死になって説明した甲斐があって、桜の疑心も漸く消え失せたらしい。赤ん坊をりんねの腕から受け取り、抱いてやりながら柔和な笑みを浮かべている。
「かわいい赤ちゃんだね。幽霊だなんて信じられない」
「今は羽織で実体化しているからな」
 白桃のような赤ん坊の頬に指先でかるく触れながら、桜は頬を緩ませて「かわいい」を繰り返している。将来彼女が子を授かったら、さぞかし慈しみ深い母親になることだろう。そんな空想をした自分がりんねは気恥しくなった。
「……六道くん?顔赤いよ、どうしたの?」 
「な、なんでもない」
 ぶんぶんと首を振りながらりんねは言った。明らかに何か誤魔化したような様子だったが気にせずに桜は再び視線を赤ん坊へと落とした。
「それにしても、これからどうするの?この赤ちゃん」
 りんねは腕を組みながら赤ん坊の寝顔を覗き込んだ。
「あの世に連れていく。輪廻の輪にきちんと送り届けてやらなければならないからな。また賽の河原に戻されでもしたら不憫だ」
 賽の河原。夭折した子供が行き着くとされる三途の川の畔である。父母より早く命を落とした親不孝の罪を贖うために、彼等は石を積み上げて供養塔を作らなければならない。
 しかし完成の前に地獄の鬼がやってきて破壊してしまうため、永遠に完成させることができない。憐れな子供たちは彼岸に見える輪廻の輪に近寄ることもゆるされず、泣く泣く石積みを続けるのである。
 賽の河原は地獄寄りにあるため、ただでさえ死神の来訪が少ない上に、正規の死神は滅多に辿り着くことができない。鬼達が死神の干渉を嫌って目くらましの霧を立ち篭めさせているからだ。
 それでも、堕魔死神の巣窟を発見されないよう日々あれこれと小賢しい手を使っている鯖人にとっては、そんな目くらましをやぶることなど、赤子の手を捻るようなものだったのかもしれない。
「でも、お父さんって結構優しいんだね」
 突拍子のない桜の言葉にりんねは仰天した。
「どこが?あいつの、どこが優しいって?」
 心底解せぬといった表情で力一杯訊いてくるりんねに、桜は苦笑いを浮かべる。
「だって、この子が可哀想だと思ってついつい拾っちゃったんでしょ?見捨てていくのは可哀想って良心が咎めたんだよ、きっと」
 りんねは渋柿を食ったような顔をした。
「……あいつにそもそも良心なんてものがあるだろうか」
 桜が諭すように優しく言った。
「良心のない人なんて、この世にはいないと思うよ」


 最後に赤ん坊を生前の両親と再会させてやってから、りんねと桜はあの世へ向かった。
「お父さんとお母さん、泣いてたね。幽霊でもまた逢えて嬉しかったって」
 瞳を潤ませながら桜が言った。
 赤ん坊の母親は身体の弱い女性であったらしく、難産の末に産まれた子が死産だったことに深い自責の念を抱き、ひどく憔悴しているようだった。亡くしたはずの我が子を抱いて現れたりんねと桜にはじめは驚いて言葉も出なかった様子だったが、震える腕で眠る赤ん坊を抱くと、声にならない嗚咽をこぼして涙した。
『──大丈夫。私達がちゃんとこの子を輪廻の輪に送り届けてあげますから、きっとまた逢えますよ』
 彼女の確信を篭めた力強い言葉が、どれほどあの両親の心の救いとなっただろう。
「真宮桜、お前は並みの死神よりもずっと死神らしいな」
 感心と尊敬を抱きながらりんねは言った。彼等を最後に再会させてやることを、りんねが思い付くより先に提案したのも彼女だった。
「六道くんの真似をしただけだよ」
 桜は微笑みながらりんねを見上げた。照れ隠しのように少しだけ、りんねは笑った。
 輪廻の輪に近付いていくと、昏昏と眠り続けていた赤ん坊がはじめて目を覚ました。生まれたての瞳で自分を抱くりんねをじっと見詰めている。次にその隣の桜に視線を移す。まるで記憶に焼き付けるかのように、二人の顔を凝視している。
「もしかしたら、私達をお父さんとお母さんだと思ってるのかもしれないね」
 桜が耳打ちすると、りんねは耳元まで赤くして咳払いした。
「そんなはず……」
「将来、私達の子供になって生まれてくるかも」
「えっ!?」
 爆弾発言に、石のようになったりんねから赤ん坊をそっと抱き取ると、桜は「冗談だよ」と微笑んだ。
「行っておいで。また逢えるといいね」
 その言葉を理解したかのように赤ん坊は目を瞑った。輪廻の輪はその清廉な魂を引き付けて、来世へと送り出していった。
 会者定離は世の理というが、輪廻によって成り立つ世界は循環を繰り返している。だからまたどこかで出逢うことになるかもしれない。それがただ一瞬袖の触れ合う程度の邂逅となるか、それともすぐ身近で起きる邂逅となるか、未来など誰にも予知することはできないが。
 ──そうだよね?死神さん。
 ともに手をつないで空を浮遊するりんねに桜が微笑みかけると、未だに何か考え込んでいたらしい様子の彼はうっと言葉に詰まって、片手で染まった顔を隠した。
 一連の出来事を、霧の立ち篭める河原から見守っていた父の姿があった。




end.


back




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -